長江文明 古代蜀 解明王朝の絶滅
テーマ:中国歴史
2012-02-07 11:49:18
posted by asayama55
長江文明 古代蜀 解明王朝の絶滅
黄河文明
と共に中国文明の代表とされる。
文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]
。
台湾
から太平洋全域に拡散していったオーストロネシア語族
のルーツを長江文明に求める説もある。
6380キロの源流は
三つの河の合流から始まる
20世紀
前半に黄河文明
の仰韶文化
が発見されて以来、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がっていったとの見方が支配的であった。
しかし1973年
・1978年
の発掘調査で発見された浙江省
余姚市
の河姆渡遺跡
(かぼといせき)により、この説は覆される。河姆渡遺跡は紀元前6000年から紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作
の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式
であった。
このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの「中国文明すなわち黄河文明」という当時の定説を大きく覆す事になった[3]
。
更に、東北の遼河
周辺でも文明の痕跡が発見されるに至り、現在では遼河周辺、黄河上・中・下流域、長江上・中・下流域に分類し、それぞれが互いに影響しあい、かつ独自の発展を遂げていったと考えられている。
長江文明の特徴
初期段階より稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯で発展したものと見られる。
長江文明の発見から稲(ジャポニカ米
)の原産が長江中流域とほぼ確定され、
稲作の発祥もここと見られる。
日本の稲作もここが源流と見られる。
中流域の屈家嶺文化
(くつかれいぶんか、紀元前3000年? - 紀元前2500年?)・
河姆渡遺跡からは玉
で作られた玉器や漆器などが発見されており、
これらが後の楚・呉・越に繋がったと考えられるが、どのような流れをたどって繋がるのかは未だ解らない。
本格的な発掘が始まってより30年ほどしか経っておらず、発見されたものの量に対して研究が追いついていないのが現状である。
四川は地形的に他の地域と途絶しており、そこで発見された文明は黄河・長江とも異質な文明を発展させていた。そこで四川文明と分類されることもある。
三星堆の特徴として怪異な面が多数発掘されることがあり、青銅の人像の顔に被せられた黄金面も発掘された。
古代にあったとされる蜀
の国だと考えられる。
三星堆遺跡と近年発見された金沙遺跡(古代 金が採取されていた)
から この古代蜀国は注目されているが ある日突然と滅びていく、
そのときの王は 解明王であり 滅亡の原因は 洪水 疫病などといわれているが
はっきり確定はされていない。
彼らは夾族とされ 滅亡後 中国各地に拡散していたものと考えられている。
長江6380キロ
その源流は 上流3つの河の合流地点から長江の流れが始まる
スカパー 長江6380キロ
シリーズ 3-4による
この蜀国は『史記
』ではほとんど登場せず、まだ中華文明の視野の外の地域であった。
なお、蜀地域の地域史書である『華陽国志
』ではこの古代蜀についての詳しい記述があったが、黄河文明中心史観の時代にあってはこれらの文献は想像の産物だと思われていた。
しかし、三星堆遺跡の発見で一躍現実味を帯びたものとなった。
2004年
現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年から紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字
が紀元前1300年くらい(武丁
期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字ということになる。
長江文明
- 玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき)
- 湖南省 道県 。紀元前14000年? - 紀元前12000年?
- 仙人洞・呂桶環遺跡(せんにんどう・ちょうとうかんいせき)
- 江西省
万年県
。紀元前12000年頃?。
-
頭山文化 (ほうとざんぶんか)
- 湖南省 澧県 彭頭山遺跡(澧はさんずいに豊)を代表とする。紀元前7000年? - 紀元前5000年?。
-
大渓文化 (たいけいぶんか)
- 重慶市 巫山県 大渓遺跡を代表とする。紀元前4500年? - 紀元前3300年?
-
- 湖北省 京山県 屈家嶺遺跡。紀元前3000年? - 紀元前2500年?
-
大石家河文化 (せつかがぶんか)
- 屈家嶺文化から発展し、湖北省 天門市 石家河に大規模な都城を作った紀元前2500年頃を境として屈家嶺と区別する。
-
- 浙江省 余姚市 河姆渡遺跡。紀元前5000年? - 紀元前4000年?。
- 馬家浜文化 (ばかほうぶんか)
- 浙江省
嘉興市
馬家浜。紀元前5000年? - 紀元前3800年? 河
崧沢文化 (すうたくぶんか)
- 上海市 青浦区 崧澤村。紀元前3800年? - 紀元前3500年? 玉による腕輪など、装飾品が作られ始めた。
- 良渚文化
- 浙江省 余杭市 良渚鎮。紀元前3500年? - 紀元前2200年? 呉城文化
- 江西省
樟樹市
呉城鎮。紀元前1400年? - 紀元前1000年?黄河文明とは異質な青銅器
を特徴とし、原始的な磁器なども出土している。
四川文明(古蜀文明)
- 宝墩文化
- 成都市 新津県 龍馬郷宝墩村。紀元前2500年? - 紀元前1700年?(龍山文化) 新石器時代の城壁で囲まれた集落が成都平原 の岷江 扇状地 に複数存在した。最大の遺跡である宝墩遺跡は1990年代に発見され、発掘が続いている。
- 三星堆文化
- 四川省
徳陽市
広漢市
南興鎮の三星堆遺跡に代表される。紀元前1700年? - 紀元前1200年?(夏晩期~商後期) 大量の青銅器が出土し、前述の他に目が飛び出た仮面・縦目の仮面・黄金の杖などがあり、また子安貝
や象牙
なども集められており、権力の階層があったことがうかがい知れる。青銅器については原始的な部分が無いままに高度な青銅器を作っているため他の地域、おそらくは黄河流域からの技術の流入と考えられる。長江文明と同じく文字は発見されていないが、「巴蜀文字」と呼ばれる文字らしきものがあり、一部にこれをインダス文字
と結びつける説もある。
- 金沙・十二橋文化 (BC1200~500年、商後期~春秋後期)
- 晩期蜀文化
(BC500~316年、春秋晩期~戦国期)
長江 6380キロをたどる シリーズ NO3-4史記には記載されていない 古代蜀文明最後の王朝 解明王のとき その王朝は突然姿を消す洪水がすべてを埋没させたのか あるいは疫病なのかいずれにしろ これらの拡散したキョウ族と思われる民族が後の呉楚などの石杖になったと思われている思えば中国5000年ではなく 中国15000年の悠久の時であるにかかわらず現代中国の経済膨張技術革新 世界に進出は 隔世の感を覚える
- けさ7時からこの長江 6380キロを訪ねてを放映していた
- 見ていたのだか 昨日3時に寝て6時に目が覚めて みていたに突然と朦朧として 完全にみることができなかった
- シリーズ3-4である
- ああー再放送はあるのだろうか








