間もなく平成中村座の後半3ヶ月のが六代目中村勘九郎襲名興行という形でスタートする。
昨日から稽古が始まっているので、私は中村座に行った。
勘三郎丈と目が会うと「ただいま」と言われたので、「お帰り」と答えた。
そして笹野さんの楽屋にも顔を出した。
すると笹野さんは「僕は法界坊や団七の時には普通に出きるのだけど、今回仁左衛門さんや海老蔵さんや我當さんなどがいらっしゃるので緊張しますよ」と言っていた。
考えてみりゃ初めての中村座から笹野さんは出演してくれたので、私達は何の違和感も無かったが、今回は口上にも連なるのだから大変気を使うことだろう。
我々が五軒長屋として中村座に同行することになったのはニューヨーク公演の時であった。
「ニューヨークで中村座をやる事になったんだけど、お客が小屋に入る前に江戸の雰囲気なしたいんだよ、五軒長屋を作るから、付き合ってくれる職人さんを五人そろえてくれないかな?実は交通費・宿泊費も出せないので自費でいって、あちらで稼いでほしいんだけど無理かな?」と言われた。
「解かった声をかけてみるよ」と胸を叩いたものの、内心そんな酔狂な連中を5人まで集める自信はなかった。
勿論、私と橘右之吉氏と手拭いのふじやの川上君の3人は行くとおもっていたのだが、あとの二人は川上君に任せた。
そしてあとの二人を彼が口説いてくれた。
一人は市松人形の藤村君である。そして最後の一人は簪の三浦君であった。
これが元祖五軒長屋である。
その後名古屋や大阪などで1ヶ月の公演を行うようになった時、他の職人さん達に1週間づつ交代で加わってもらうようになったが、今でも外国となるとこのメンバーで行くことになっている。
その元祖五軒長屋のメンバーで六代目勘九郎の楽屋のれんを、今日プレゼントした。
六代目中村勘九郎さん江という楽屋のれんに、五軒長屋店子一同として贈ったのだが昔の長屋の絵が描かれ、その格障子に、地紙に文の字や江戸文字と書かれていたり、人形の頭や簪が描かれていたり、手拭いと書かれているだけで屋号などは入っていない、そんなデザインののれんである。
勘九郎は、「綺麗だね、しゃれているよ、すぐ掛けます」と言ってくれた。
歌舞伎役者というのは昔からいるけど、長屋の住人から楽屋のれんを贈られた役者はいないだろうと言う思いでこんな楽屋のれんにしたのだが、襲名でいろいろな方から楽屋のれんが贈られているであろうに、すぐに掛けてくれると言う言葉に、私は中村座を成功させたいとニューヨークに五人で乗り込んだ頃の事が思い出されてい
た。
次に外国へ中村座を持って行く時も、この五人の馬鹿がついて行くぞ。


