November 09, 2006

いじめを乗り越えて

テーマ:追憶

小学3年生の時から卒業間際まで彼女とその取り巻きに陰湿ないじめを受けた。
休憩時間や昼休みが長すぎる...と感じた。
毎日毎日夏休みまであと何日って指折り数えてた。
両親には言えなかった。
彼らは彼らの問題で余裕がなかったのは子供心に敏感に感じてたから
心配かけちゃいけないって思ってた。
っていうか自分のプライドが許さないってとこもあった。

家では一人でぼーっとしてた。
逃げ場は自分の空想の中だった。
新宿とか大きな駅の階段を上る無数の人たち。
その中の一人なんてとてもちっぽけな存在に見えた。
もっと上から見下ろすと蟻んこのように小さくなった。
もっと上にいくともう人は見えなくなって
日本という国が見えてきたけどそれもどんどん小さくなっていった。
そして地球が小さくなり、銀河も小さくなり
宇宙から見たら
自分の問題なんてチリくずみたいな存在だった。

死んでやる!
って思ったけど
死んでも死ななくても私の命なんて
宇宙にとっちゃあ
鼻くそより小さい存在で
すぐに忘れ去られるんだ!
って思ったら、ばかばかしくなって
なんであいつらのために私が死ななきゃいけないんだ!
って思い直した。

テレビではカンボジアの虐殺で多くの人たちが苦しんでる映像が流れてた。
ああ、あの子ども達は私なんかよりもっともっと不遇な境遇にいるんだ。
生きたい、生きたいと願っても生き延びれない子達がいるのに
食べるものも、着るものも何不自由ない私が死にたいなんて
なんて甘いんだろう。

待ってて!
立派な大人になったら、きっとあなた達を助けに行くから。
私の命を有益なことに使うから
それまで生き延びてて!

相変わらずいじめは続いてたけど
辛くなるたびに

生きたくても生きられない恵まれない子供達のことを思い出した

6年生の時、彼女のいじめが炸裂して
とうとうクラス中が気がつきはじめ
彼女がクラスで村八分になる一歩手前で卒業式がきた。
彼女は逃げきった。
私は生き延びた。
3年に及んだいじめはあっけなく終わった。

*****

社会人になって
私は仕事のかたわらボランティアをやっていた。
仕事では過労死寸前でふらふらしてたけど
「あの子達を助けに行く!」っていう
当時の生きる拠り所としての誓いを
まだどこかで引きずっていた。

有給がたまったらタイの貧困地帯やスラムを訪ねたりしてた。
でもその度に体調を崩して下痢で寝込んだりして
みんなに迷惑をかけて
逆に現地の人に看病してもらうような情けなさだった。

貧困地域の子供達の笑顔は私にはあまりにもまぶしすぎた。
みんな恵まれてなかったけど
ちっぽけなことに大きな幸せを見つけ出せる達人だった。

私みたいな役立たずなんて
ここでは必要とされてないんだよなーってしみじみ落ち込んだ。

今になって振り返ってみれば
はっきりわかることなのだけど

私はあの子達を救おうと思うことによって
あの子達にずっと救われてきたってことだ。
あの子達を必要としていたのは
他でもない私自身だった。
いじめから救ってくれたのも
過労死寸前の状態から目覚めさせてくれたのも
あの子達だった。
だからもうあの子達を救おうなどという高慢なことは思ってない。
そのかわり、ちょっとでも恩返ししたいって思ってる。

私はいま結婚して外国でつつましく暮らしてる。
相変わらず幸せを感じるのが下手くそだけど
あの時死なないでよかったと思ってる。
もっともっと広い世界を見ることができたし、
いじめた彼女についても、
私の人間的成長に必要な肥やしだったんだと
思えるようになった。

長いトンネルには必ず終わりがある

希望を捨てないで




■この記事は最近お気に入りの宋文洲さんのいじめに関する記事 に触発されて書いてみました。



AD
いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
June 18, 2006

アマチュア卒業記念日

テーマ:追憶
彼は4月のCD発売記念ライブの何日か前に、あるホテルのパブでライブを行った。
平日の夜だったけど、私も仕事帰りにカメラマン役で付き添った。
本当はタバコの煙が苦手だし、仕事の格好で行くと浮くから
こういう場所はなるべく来たくないんだけど
HPやプロモ用の写真を出来るだけ撮っとかなきゃいけない。

ライブ

ここはけっこう音楽好きな人達が集まる場所として知られてるパブで
有名なバントが下積み時代に出演したりしてる場所。
音響スタッフも腕がいい。

夫が歌い始めたときにはテーブルに10人
カウンターに15人くらい人がいて
ビール片手にがやがやしてた。

ところが不思議なことが起こった。

ギターの美しい音色が響き渡り
パブの中がシーンと静まり返ったのだ。

すごくいい出来だ。
皆が金縛りにあったように聞き入っているのが肌でわかった。
今までこのパブに何度も足を運んでるけどこんなこと初めてだった。

いつもはハラハラして聞いてる私だけど
その日は私も彼の音楽の世界に完全に引き込まれてた。


よくここまで来たね

そう思ったら、じーんとして
あふれた涙で目の前がぼやけた。


演奏が終わってCDを買いにきてくれた聴衆の1人が彼にサインを依頼した。

びっくりした。
初サイン体験。

この調子でCD発売記念ライブも頑張るのだ~!

っと思ったが、当日はいつもの音響スタッフが風邪で
代打の人がPAシステムに慣れてなくてあまり良く聞こえなかったし
彼は彼でギターのカポの位置を変え忘れるというドジをやらかすし

観客を酔わせたあの日のライブの再現はならなかった。

でも、彼は確実に一つ上の段階に移行したのだ。
もう後戻りすることはない。

おめでとう。

 
ブルースギターのしらべ CD付

AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
April 04, 2006

いじめの序曲

テーマ:追憶
小学校の入学式当日

私は赤いブレザーを着せられ、父親が撮る記念写真のためにイヤというほどボーズをとらされた。

両親から祝福された特別の日は一日限りで、翌朝はきれいさっぱり忘れ去られたかのようなそっけなさだった。

母は私に聞いた。

「昨日一緒に歩いた道、ちゃんと覚えてる? 一人で行けるかな?」

幼稚園の時だって一人で家路についていた のだから何をいまさら・・という感じだったが

小学校への道のりは今までの2倍以上、歩いて1時間はあった。

「うん、大丈夫だよ。道は他の子達の後をついていけばわかるし。」

私は答えた。

団地だから、同じ小学校に通う子供達は周りにたくさん見かけられた。

そこへちょうどアパートの別棟に住む新一年生二人が三年生のお姉さんに連れられて通りかかった。

母はすばやくその子達を呼び止めた。

「あなた達、○○小学校に行くの? この子と一緒に行ってくれるかな?」

お姉さんが「いいですよ」と言い

母は「ありがとう、助かるわ。じゃ、お願いね」

と言い残してさっさとアパートの中に姿を消した。

私は無神経な母にかなりムッとした。

私が「一人でも行けるよ、大丈夫だよ」とはっきり答えたばかりなのに

何故、頼んでもいないことを勝手に決めるのか。

まったく余計なお世話というほかなかった。

相手の子達に聞く前にまず私の意向を聞くのが先だろう。


私はその一年生達には良い印象を持っていなかった。

幼稚園では別のクラスでしゃべったこともなかったけれど、

先生が注意しても聞かないでおしゃべりしてたわがままな子達だってことは覚えてた。


自尊心の強い私は母にものすごく腹を立てていたから

その子達の会話には加わらず、ふてくされたまま学校に到着した。

彼女達とは違うクラスだったけど

3年生になったらそのうちの一人と一緒のクラスになった。

同じクラスになってからその子にはいじめ続けられた。

今、振り返ってみるとあの入学式の翌朝が全ての元凶だったのかも知れない。

川合 正
いま、子供たちが変だ―親子の会話を取り戻すために


AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
February 27, 2006

入院

テーマ:追憶
熱が下がらなくて病院に連れて行かれた私はそのまま入院した。

猩紅熱だった。

隔離病棟で3週間近くの入院。

おかげで楽しみにしていた幼稚園の卒園式に出られなかった。

お星様のお遊戯に出る予定だったのに・・・

母と妹が後から荷物を持って来てくれた。

妹が「すっごく大きな注射でこわかったね~。お姉ちゃんの腕と同じ太さだったよ」と言った。

母も「よく泣かないで頑張ったね」と言った。

点滴したことなんてきれいさっぱり忘れていたのに

必死にこらえて我慢していた記憶を呼び覚まされてしまった。

家族から離れた独りぼっちの夜。

寂しかったのは家でも同じだったけど

それに輪をかけて寂しくて退屈だった。

毎朝、舌をチェックしに来てた看護婦さんが

「もうそろそろ退院だよ」

と言ってくれ、お風呂に入る許可が出た。

病室から薄暗い廊下をつたって独りで入る 初めての人影のないお風呂。

お化けが出そうで怖かった。

シャンプーハットがないから、気をつけて洗った。

シャンプーが目に入って泣いても誰も気がついてくれないのだから。

北国の3月はまだまだ寒かった。

細谷 亮太
小児病棟の四季

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
February 09, 2006

さよなら悲別

テーマ:追憶
父が転職することになった。
しぼんでいく炭鉱の町の病院から賑やかな港町の病院へ。
父にとってはキャリア・アップだった。
「遠いところにお引越しするんだよ。」
「ねえ、ゆっくんにまた会える?
今川のおじさんとおばさんにもまた会える?」
「しょっちゅうは会えなくなるけどまた会えるよ。
今川のおじさんは手伝いに来てくれるから着いたらすぐ会えるよ。」
「よかった~。すぐ会えるんだね。」
今川のおじさんとおばさんは私のことをとても可愛がってくれていた。
「新しい町で幼稚園に通い始めたらお友達もいっぱい出来るよ。」
新しい町に行く不安はあまりなかった。
でもゆっくんと一緒に遊べなくなるのは残念だった。
車が発進した。
見送りの人たちが遠くなっていく。
窓から一生懸命手を振った。
「バイバイ、バイバイ、悲別」
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
February 07, 2006

ゆっくん

テーマ:追憶
年子の妹が出来て、私の人生はがらっと変わった。

両親の注意は妹ばかりにそそがれ、私はもう構われなくなった。

幸い、隣の家には同い年の男の子ゆっくんがいたので3歳の時はよく一緒に遊んだ。

ある日、私はいつものようにゆっくんと外で遊んでいた。

母は私たちに目を配りながら洗濯物を干していた。

でも、ちょっと目を離した隙に二人は忽然と消えていた。

どこを探してもいない。

必死になって探してみるがどこにもいない!

どうしよう。

ふと、高台の家から国道を見下ろすといつもはガラガラの田舎の道路がひどい渋滞になっていた。

もしや・・・

急いで国道への坂道を走り下る。

「ピーッピーッピッピー!!」
「ピーッピーッピッピー!!」

車のクラクションが聞こえてくる。

まさか事故・・・

真っ青になった母がやっと国道脇に辿り着き見たものは

立ち往生してるたくさんの車・・・

そして、そのど真ん中でお手てつないで立っていたゆっくんと私

北村 年子
おかあさんがもっと自分を好きになる本

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
January 22, 2006

昔 悲別で

テーマ:追憶
当時、私は3歳前後だったと思う

父が釣りに出かけるというので私はミミズを捕まえて父にあげた

父は時々私を釣りに連れて行ってくれたが

その日は連れて行ってくれなかった

父の車が去って行った

私が覚えているのはそれだけ


母は、父が私を釣りに連れて行ったとばかり思っていた

父は、母が私の面倒を見ているとばかり思っていた

実際は私は独りぼっちで外にいた


夕闇が訪れた

台所で食事の支度をしていた母は外で獣のような鳴き声を聞いた

「ぎゃ~お~お~お~ん、ぎゃ~お~お~お~ん」

野生の猫のような鳴き声がどんどん激しくなる

不審に思った母が外に出てみると

暗闇の中にぎらりと光る二つの目があった


その黒い物体は猫よりも少しでかいようだ

「ぎゃぁぁああおぉぉぅううぅぉぉぉおおお~ん」


目を凝らしてみて、 母は心臓が凍りつきそうになった

ドブに落っこちて全身まっ黒けの私が力の限りに声をふり絞って泣いていた


母26歳。 妹1歳半。

夢じゃなくて本当にあった話

まだ悲別(正確にいうと「昨日、悲別で 」のモデルになった街)に住んでいた時のこと



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
January 06, 2006

最初の記憶

テーマ:追憶
自分が生まれたときのことを記憶している人がいるが、私の人生の一番最初の記憶は離乳食の頃だ。
この時の記憶はその時点からずっと覚えていたものではなく、あることをきっかけに思い出したものだ。私の経験でいうとビデオや写真を少し後で見せられたりという「きっかけ」により早いうちに思い出した3才くらいまでの感情はその後も忘れずに覚えている。
(ちなみにその時点からずっと忘れずに覚えていた最初の記憶は3才の頃のある事件 だ。)

離乳食の時の記憶は一時すっかり忘れていたのだが中学生の時に突然思い出したのだった。

中学生の時、飼っていたつがいのインコから6羽のヒナが誕生した。
親鳥が生育の悪いヒナ達のえさやりを放棄したので人間が代理でえさをやることになった。

ヒナの胃袋がパンパンになって爆発しそうになるまでスポイドでえさを流し込む母。

「そんなに詰め込んだら可哀相だよ~。」

「これくらい入れておかないといけないのよ。必要量なんだから。」

母は結婚して専業主婦になるまでは准看護婦として働いていた。
全てを効率よくテキパキとこなす。一羽、二羽、三羽。

羽毛の生えていないヒナ達のお腹から粟玉が透けて見える。

その時、突然自分が赤ん坊だった頃の感情が甦ってきた。

母が私の口の中に離乳食のスプーンをむりやり押し込む。

口の中がいっぱいでなかなか呑み込めない。

母が「はい、アーンして、アーン」と急かす。

まだ口の中に半分残ってるんだよ。もうちょっと待ってよ。

そう抗議したいがそのような言葉はもちろんまだ知らない。

でも文句を言いたくて唇をちょっと開いた瞬間に母が次のスプーンをすかさずねじ込む。

母は傍にいた別の大人の方を向き、自分の手際の良さを誇るような勝利に満ちた笑みを浮かべる。

私は悔しくて惨めな敗北感を味わっていた。

「はい、もう一回アーンして、アーーン、アーーーン」

もうその手口にはのらないぞ。


あの時の怒りを追体験している自分がいた。

そうか、私もこのヒナ達と同じ目に遭っていたんだ。

デーヴィッド チェンバレン, David Chamberlain, 片山 陽子
誕生を記憶する子どもたち

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。