テーマ:日々のこと
私は一見、良く言えばしっかり者で、落ち着いていて、礼儀を重んじ、ぶれがなく、
真面目で、感情よりも知性重視といったタイプだ。
だがそれは、世を渡るための仮の姿で、実際は人間嫌いで臆病で、
自分を開示せず、人にも踏み込まない。
自分一人になれる安心できる時間と場所がないといられない。
ぶれがないどころか、ぶれまくりで、
物事を知性でなく好き嫌いやフィーリング、直感で判断する。
マシンガントークが苦手でおとなしく、おっとりしていると見られるが、
実は感情のアップダウンが激しく、涙もろく、かなりの激情家だ。
保守的で常識を重んじる年相応の大人ではあるが、
規格外れな行動も多く、かなり子供っぽい。
「変なことはしない」という印象を受けていた人には、びっくりされる。
打ち解けるのは苦手だが、心許した相手に対しては甘えん坊でナイーブな
側面も見せる。
それまでは言葉に気を遣い、ゆっくりと考えながら話すのに、
時に毒舌家になり、はっきりと言い過ぎるところもある。
人と争うのは苦手で、無言の緊張の雰囲気すら耐えがたいのに、
時に攻撃的で好戦的になる。
群れたりつるんだりするのが何より出来ない、一匹狼。
そのくせ寂しがりや。
さてさて、ざっと書いてみただけでも、これだけある。
人は多面体で出来ているとよく言うが、しかも各々が矛盾しているのだ。
普通に付き合っていると、このうちの数個の要素しか見えないらしく、
それが全部だと判断する人がとても多い。
でも逆に私もきっと、人の一部しか見てないのだろう。
だから出来るだけ、決めつけないようにしている。
それまでのイメージと違う、思いもよらぬ面が出てきたとしても、
それを面白がって見ている。
年齢や外見、性格や職業は副材料で、もっと深いところにある、
いわば生命の炎の色といったものを私はいつも見ていて、
そこの部分とお付き合いをするようにしている。
人からは一部しか見えないのをいいことに、それを私は隠れ蓑として
周囲を煙に巻いてきたが、どうやらそれが通用しなくなったようだ。
生命の炎と炎で付き合いをする同族と出会ってしまったようだ。
それを「本能で付き合う」と彼らは表現している。
同族だということを、つい最近まで知らなかった、
普通の意味での仲良しさんだと思っていたのだから、
「生命の炎を見る」が聞いてあきれる。
自分の思い込み、先入観があったということだ。
本当、申し訳なかった。
だがこれまでになく手強く、面白く、付き合い甲斐のある人たちだ。
それはある意味、動物と真っ向渡り合うのと似ている。
私は、人が生まれてきてやっておくべき3つのことがあると思っている。
1つは、親との和解。
2つめは、魂で人と付き合うこと。
3つめが、1と2を経た後、さらにそれまでになかった自分を作ること。
私は長年かかって1をクリアしたが、今回生きているうちに2に至るとは
思っていなかった。
しかもそれは、突然鳥のように舞い降りてきたのだ。
人生は面白い。
自分の人生を見捨てないで良かった。
なんだかそんな風に思えるのだ。