アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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目黒区美術館で開催中の “よみがえる画家-板倉鼎・須美子展” に行ってきました。

目黒区


こちらは、昭和初年にパリで活躍した洋画家、板倉鼎・須美子夫妻にスポットを当てた展覧会です。
“よみがえる” と言っても、実際にゾンビのように蘇ったわけではなく。
2015年に松戸市立博物館で回顧展が開催されたのをきっかけに、
没後、長らく忘れ去られていた2人の画家が再注目されている、というようなニュアンスです。


では、どんな画家だったのか、それぞれ簡単にご紹介いたしましょう。

自画像
板倉鼎 《自画像》 1924年 松戸市教育委員会蔵


こちらの韓流スターのような甘いマスクのイケメンが、板倉鼎です。
東京美術学校 (現・東京芸術大学) 西洋画科に入学し、岡田三郎助に指導を受けました。
卒業の翌年に須美子と結婚。
さらに、その翌年に、須美子とともにパリ留学へ。
パリではロジェ・ビシエールに師事し、画風が大きく変化します。
着実にキャリアを積み将来を嘱望されるも、帰国を目前にした昭和4年に敗血症で客死。
28歳の若さでした。


一方、こちらのYOKO FUCHIGAMI (ロバート秋山のキャラクター) みたいな髪型なのが、板倉須美子です。

赤衣の女
板倉鼎 《赤衣の女》 1929年 松戸市教育委員会蔵


ロシア文学者・昇曙夢 (のぼりしょむ) の長女。
文化学院創立と共に入学し、あの山田耕筰に音楽を学んだそうです。
大学を中退後、17歳で板倉鼎と結婚しました。
鼎の手ほどきで油絵を始めたところ、なんと、その年のサロン・ドートンヌに初入選。
さらには、出産・育児など多忙な中で制作を続け、翌年にもサロン・ドートンヌで入選しました。
順風満帆な人生かに思えましたが、鼎と同じ時期に幼い次女をパリで亡くし、失意の帰国。
その後も不幸は続き、長女も病死。
再起を図り、有島生馬に改めて絵画指導を受けるも、
結核を発症し、25歳という若さでこの世を去りました。

ちなみに、そんな板倉夫婦の媒酌人を務めたのは、あの与謝野寛・晶子夫妻なのだとか。
むしろ、これまで知られていなかったのが不思議なくらいにトピック満載の芸術家夫婦です。


作品としての印象は、板倉鼎はどことなくマティス風。

金魚
板倉鼎 《金魚》 1928年 松戸市教育委員会蔵


板倉須美子は、グランマ・モーゼスとアンリ・ルソーを足して2で割った風です。

午後 ベル・ホノルル
板倉須美子 《午後 ベル・ホノルル 12》 1927-28年 松戸市教育委員会蔵


個人的には、板倉鼎の人物画に関しては、パリに留学する前のほうが好きでした。

木陰
板倉鼎 《木影》 1922年 松戸市教育委員会蔵


パリに行ってから、文字通り、人が変わってしまったようです。

黒椅子による女
板倉鼎 《黒椅子による女》 1928年 松戸市教育委員会蔵


なんだか全体的にカクカクしています。
腕が妙に長いです。
腕と脇に開いた謎のスペースが気になります。
総じて、不安感が漂う絵です。


ちなみに、今回一番印象に残ったのは、《画家の像》 という一枚。

画家の像
板倉鼎 《画家の像》 1928年 松戸市教育委員会蔵


はじめは、“他の絵ほど、不安感が漂っていないなぁ!” と思ったのですが。
よく見ると、パレットの持ち方が変です。
手首、ねじれてない?
感情を失った表情でこっちを見つめてくる須美子。
ホラーです。




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