#4 【????】 で紐解く 東洲斎写楽 (前編) | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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#4となります今回は、
こちらの 《三代大谷鬼次奴江戸兵衛》 でお馴染みの…

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-三代大谷鬼次奴江戸兵衛


東洲斎写楽 (生没年不詳) を取り上げます。

“美術なんて、全然興味がない!”
という人でも、おそらく写楽の名前は知っているのではないでしょうか。

今では、一般常識並に有名な写楽ですが、
彼が浮世絵師として活動した江戸時代には、そう有名な人物ではありませんでした。
実は、写楽の名が、一般的に有名になったのは、
時代がだいぶ経って、大正時代のこと。

ユリウス・クルトなるドイツの心理学者が、
歴史の中に埋もれに埋もれていた写楽を発掘し、
その著書 『写楽』 の中で、

“レンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家だ!”

と、絶賛したことが、そのきっかけ。

「海外で認められるんだから、そりゃ、スゴイ浮世絵師に違ぇねぇ」
「んだんだ」

こうして、日本でも写楽ブームが起こり、写楽の名は、一般的になっていったのです。
何だか、無名だった菊池凛子やマシ・オカが、
アメリカで認められた途端、日本でもスター扱いされたのに似ていますね。



さて、そんなわけで、遅ればせながら、写楽の人気が高まり、
研究者たちは、躍起になって、写楽研究を始めたのですが、時すでに遅し。
何せ、活躍時期から数十年も経過していたため、
ほとんど記録が残っておらず、

「写楽は誰なのか?」

という問題に突き当たったのです。

これこそが、日本美術界最大のミステリーの一つ “写楽の謎” です。
今まで、多くの方々がこの謎に挑みましたが、未だに、写楽の正体は、明らかになっていません。


“それならば、アートテラーとして、僕もこの謎に挑まなくては!”

そこで、今回は、写楽の謎に迫りながら、
その片手間に、彼についてご紹介していこうと思います (←おいおい!)


さてさて。
そもそも、 「写楽は誰なのか?」 とは、一体、どういうことなのでしょうか。
これは、よく考えてみれば、おかしな疑問です。

「ゴッホは誰なのか?」
「ゴーギャンは誰なのか?」
「フェルメールは誰なのか?」
「デビルマンは誰なのか?」

他の芸術家に対しては、誰もこんな疑問を持ったことがないはずです。
(若干一名、関係ないのが混じってしまいましたが)
では、なぜ、写楽だけが、こんな風に、存在そのものを問われるのでしょうか?

その理由は、こちらの人物を抜きには語れません。

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-蔦屋重三郎


蔦屋重三郎 (1750-1797) です。
彼は、江戸時代に活躍した超敏腕の版元。
(版元とは、本や浮世絵を出版する人のこと)

ちなみに、そんな蔦屋重三郎にあやかろうと、
創業者が、 「現代の『蔦屋』になる」 という意思で名づけた社名が、

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-TSUTAYA


ご存じ、TSUTAYA。

そんなTSUTAYAの創業者も一目置くほどの蔦屋重三郎は、
次々とヒット作を飛ばし、喜多川歌麿や山東京伝などの一流のアーティストを世に送り出しました。
いわば、流行の発信源だったわけです。
これは、現在で例えるならば、

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-avex


まさに、avexのような存在。


そんな蔦屋重三郎が、

 ・ある日突然、当時、無名も無名だった東洲斎写楽を、大々的にデビューさせたこと。
 ・写楽をデビューさせてからは、他の人気浮世絵師の作品を出版しなかったこと。
 ・さらに、そこまで社運を賭けた写楽の浮世絵が不評だったのにも関わらず、
  10ヵ月もの間、懲りずに次々と新作を出版し続けたということ。

この蔦屋の不可解な行動が、ものすごく謎だというわけです。
これは、例えるならば、

 ・avexが、全く無名の新人ボーカルSHARAKUを発掘し、大々的にデビューさせる。
 (↑まぁ、これはありそうですが)
 ・SHARAKUのCDはリリースするのに、浜崎あゆみや倖田來未、大塚愛のCDはリリースしない。
 (↑この時点で、株主はビックリですよね)
 ・そこまで社運を賭けたSHARAKUのCDがオリコン50位以内に入らなくても、
  全く気にせず12枚連続リリースとかしちゃう。
 (↑株主は、もう怒り心頭ですよね)

という状態。
万が一にも、avexがこんな経営をしたなら、
普通の方は、まず間違いなく、こう思うことでしょう。

SHARAKUって何ものだよ?」

と。
これが、写楽の謎の正体なのです。


ちなみに、現在までに発表された写楽の正体に関する説は、
100種類以上あると言われています。
それらの数ある説の中で、
この蔦屋の謎の行動に対して、何となく説得力があるのが、

『写楽別人説』

と呼ばれる説。

“写楽の正体は、葛飾北斎だった?!” とか、
“写楽の正体は、円山応挙だった?!” とか、
“写楽の正体は、英一蝶だった?!” とかが、その代表例。

「実は、“写楽” の正体は、葛飾北斎なんですよ」
というならば、蔦屋の謎の行動も、納得は出来なくはありません。

「実は、SHARAKUの名前でリリースしているんですよ」
avexが、こういう戦略を取るのも、あり得そうですし。

しかし、この場合、avexは、
SHARAKUの正体が浜崎あゆみだという情報を、
それとなく流すはずです。
そうしないと、売れないわけですから。

ところが、蔦屋重三郎は、
“実は、写楽は、とある大物作家でして…”
というような情報を、一切流していません。
あれ??

「それは、商売人としておかしいぞ」 というのが、
『写楽別人説』 に対する一番大きな反論。

さらに、
「仮に、蔦屋重三郎が残してなくても、
 写楽の正体が大物作家なら、当時の人間の誰かしらが、記録に残しているはずだ」

という反論も。


それゆえ、 『写楽別人説』 は、トンデモ説的な扱いを受けているのです。
う~ん。
僕個人的には、 『写楽別人説』 はロマンがあって好きなのですがねぇ。。。
やっぱり、無理があるのでしょうか。。。



…と、長いものに巻かれようと諦めかけたその時です!
avexのアーティスト一覧を眺めていたら、
『写楽別人説』 も、ありえる気がしてきました!

だって、avexにもいるじゃないですか。
名前を変えて、別人として大々的にデビューしたアーティストが!
しかも、公式的には、その正体を明らかにしていないアーティストが!




そう。 【DJ OZMA】 です。

“東洲斎写楽は、江戸時代の 【DJ OZMA】 ような存在だった!”

こう考えると、 『写楽別人説』 は、成立する気がします!




と、このままでは長くなりそうなので、この続きは中編に→