
さてはて昨今の東京は突然の雷雨と、嵐の去った空色デイズって感じですが、みなさんどうですか。
いつにもましてなんともいえない前口上ですが、悪しからず。
唐突ではありますが、5月末日をもって東京を離れ、来たる6月から故郷である静岡県は静岡市にて暮らすこととなりました。
本来であればお世話になった人々に直接お話しするのが筋ってもので、その点についてとても申し訳なく思っています。
いかんせんそう決めてからまだ日が浅く、決断の強固さと若干の戸惑いの中で右往左往しているうちに、いたずらに日数だけが過ぎてしまったというのが現状です。
ただ、アートモバイルや太郎ミュージックの活動を凍結させるつもりはなく、これまでどおりやっていくつもりです。
確かに、今の自分が東京を、それ相応以上にこだわりのある東京を離れることのデメリットはとても大きいです。ただし、非常に内省的な根拠による決断であることや、また漠然とした物言いになってしまうことが大変申し訳ないのですが、ぼくは高く飛ぶために一度退きます。
自分の詩を引用するならば、「夢の続きに似た光」を「追い駆けていく」ってわけです。
「今でも君を信じてる」という曲です。
「夢の続きに似た光」って言葉には、ふたつの意味があります。
ひとつは、眠っているときに見ていた夢の途中で目覚めてしまい、覚醒した現実から追いすがる「夢の続き」のことです。それは、「夢と現実のはざま」、「夢うつつの状態にしか存在しない感覚」のことです。
もうひとつは、幼い頃に憧れた将来の自分、あるいは、そうありたい現在ないし未来の自分を、通過した後の未来のことです。
長年執着しつづけてきた成果なのか、確かに前者を自分の手中に感じることは出来ます。
ただし後者については、ぼくにとって未来が未来でしかなく、ここでいうところの「未来」とは「現在軸の延長線上」に過ぎません。それは言うまでもなく、今ここにある「現在」なのです。
その両者を捉えて、かつ社会的に関わっていくことは並大抵のことではありませんが、ぼくはそれがしたいのです。かつて顎の下の髭を長く伸ばしていたのでよく誤解されるのですが(あれはファッションのつもりでした)、世捨て人となり霞を食いつつ暮らしたいなどとは夢にも思っていません。
あるいは、ぼくにとってのその方法が、自分の音楽を作り続けることの他にあるのかもしれないけれど、今の自分にはそれ以外にないわけだし、なによりも今のままの自分では、何をするにしても夢に溺れながら、気持ちよく何処か良くないところへ行ってしまうのではないかと、自分で自分に戦くわけです。
上記の後者でいうところの「未来」を確実なものにするため、ぼくは静岡に帰ります。
このところなかったほどの前向きな気持ちでいながら、この数日間で決して少なくない人々の想いに触れ、俗っぽい喩えで言うならばゲリラ豪雨のように湧き上がった感傷の中で書いたこの文章が、容易に齟齬や矛盾を生じさせるものとは思いながらも、ぼくにとって点と点が線と化した今、とても赤裸々に現状を語ることが出来たと思っています。よくわからない方は連絡いただけるとうれしいです。
単に「心機一転」とでも書けばいいようなことですが、まだこういうやり方でしか、ぼくにはできませんでした。
昨日はぼくの誕生日でしたが、産まれてここまで生きてこれたことがこんなにもうれしかった誕生日は、今までにありませんでした。
なんだかわざとらしいですが、本当にそう思ったのです。
それではさようなら。






