日常を、よりリアルに。

日々の落書きや、制作物、言葉をアップ


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評論家とアーティストは違う。
おそらく評論家は、そこ(制作物と制作者の間)にはいないから、
制作者より客観的にみれるんだと思う。
でも、その時点で、つくったものと、感じたものの距離はある。
その差異を縮めるのか、客観的な立場で、ある一定の距離を保ちながら、多視点での観察をするのか。
制作者以上に作品の事を理解することができるのかもしれない。
制作者が作品のことを考えるのは当たり前だけど、
だれよりも純粋に作品の事を想うはずだけど、自分から離れた時点で、一番の理解者になり得ないのかな。

いや、やっぱり違うのかもしれない。
そうなのかも知れない。

わからなくなるから、メモ。

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サイズは4種類
正四面体はいずれも相似している。

多くの事象も、問題の大小はあれど、根源の問題は相似しているのかもしれない。

どの状況でも完全であることと、
不完全であることそれぞれが同じであるように。



ほんとか?
そうなのか?
言葉遊びなのか?

でも、様々な情報を取捨選択して自身にとりこんで、
いつか、あたしの物差しでアウトプットしていくのなら、
無意識にしていることも、意識下でしている行動も、
同じなのかもしれない・・・ような。

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精神の均衡を保つためにアートという行為をなしていると思っているのだけれど、
かすかに見えるリアルにおびえて、全てをうやむやにして、思想を咀嚼し、
行為を反芻して増大させる。

インスタレーションをやっているつもりはないのだけれど、
分類が一番近い、解りやすい位置だったから。

コンセプチュアルアートだと思うけど。
概念とか、観念とか、思想だとか考えだすうちは楽しいけれど、だんだんわからなくなる、
スマートになっていく世の中でいずれ全て実体がなくなるのではないのかとすら思う。

アート自体が社会から、しかるべき状態で生み出される物だから、
いくら自慰行為的な産物だとしても、それは生み出されるべき社会だったと思うのだけれど、
だけど、それと好きな事しているというのはまったく違う。
大好きなアートをしているのと、実体を伴わない好きな事は・・・違う。

テーマ:
対象物に距離を与え、プロセスを絡ませる。
一見四次元と思われる行為は、二次元を逸しては語り得ない。
広がりを持っていた空間に制限をかける傲慢さはさらに、概念まで携えて、倦怠すら感じさせる。
嫌悪に似た閉塞感を回避するため、平面絵画へと舞い戻る。

テーマ:
悩んだり迷ってるフリして、
ほんとは全部腹の中では決めている。

あとはそれに近づく努力をするだけなのにね~。
そうできないのは、弱さだったり、怠惰だったり。

ん~。
やらなきゃね。

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前回岡山までしかいけなかったので、今度こそ。


神戸前回いけなかったし。


鳥取、広島と素敵な街でした。


domu

domu

色々思うところあって、そこまでで、断念。

福岡はまた今度~

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