開業医F本医師の娘で岡山R病院でのN君の担当医、F本美香はN君の両親によく理解してもらうために、抑揚をつけずにゆっくりと喋り続けた。
「その腫瘍が酸化して水になってます。それが『胸水』です。その胸水が肺と心臓、その他の内臓をだんだんと圧迫してた状態です」
N君の母親は大きく眼を見開いた。
「腫瘍って…」
「病名は『胚細胞腫瘍』です」
卵子や精子のもとになるものが胚細胞と呼ばれ、これが腫瘍化したものが「胚細胞腫瘍」と呼ばれるらしい。
卵巣や精巣の病気かというと、そうでもなくて頭部や胸部などから発生する場合もあるという。
N君の場合は胎児の頃に胚細胞のもととなった原始生殖細胞が肺のあたりに迷い込んで、やがて腫瘍となったということらしいのだが。
いやしかし、「腫瘍」と聞いて連想する重い病気がある。
「先生。それって良性ですか?それとも…」
「まぁ内臓を圧迫したりするいたずらをするという点においては悪性ですけどね…」
あまり詳しくは語らなかったF本美香。
それには理由がある。
卒業式まであと2週間。
家でゴロゴロしててもよかったんだけど、4月からの進路が決まってない僕は母にたいして申し訳ないという気持ちとともに、うるさく言われたくないという気持ちが入り混じってたので、汽車に乗って倉敷へ出かけた。
母にとっては近所の人の手前、という思いもあることは僕も承知してたから。
幸いにも通学定期は3月末まで期限があるというのも出かける理由を助けることになった。
改札を抜け、老朽したバスセンターの前を過ぎて国道2号線の交差点。渡ると商店街。
さらに100メートルほど進んで右に曲がると、今度は通りの細い商店街。
50メートルほど歩いたところにあるレコード店に立ち寄る。
エルトン・ジョンのライブ盤を買った。
それからさらに商店街を進み、路地を曲がったところにある映画館の前の小さなラーメン屋へ。
その後再び商店街を歩いて抜けきったところにあるトンネルの脇の図書館へ。
ここのレコード・ライブラリーで時間を潰すというのが、土曜日の放課後によく歩くコースだった。
今日もそうしようかと思い、ラーメン屋を出て商店街に戻ったところで、K子に出会った。
倉敷の西にある玉島という町の高校に通ってた彼女は4月からは岡山の短大へ通うという。
「この向こうにロック喫茶があって、これから行くんよ」
「え?ロック喫茶って?」
そんな店がこの倉敷にあるという。