Director's background
Theme: 院長プロフィール Thu, May 26, 2011
Birthplace
1965年 東京都大田区雪谷にて誕生
67年 豊島区目白に移転
77年 東京学芸大学附属大泉中学校(現国際中等教育学校)入学
83年 帝京高等学校Bコース(現理数コース)卒業
86年 法政大学工学部建築学科(現デザイン工学部)中退
90年 日本柔道整復専門学校卒業 接骨師の国家資格を取得
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Sports career
軽井沢在住時(30歳)、プリンスホテルスキー場にて
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小学校:◇少年野球チームで週末は野球。放課後も毎日野球の日々。
◇冬休みと春休みはスキー。ゲレンデを疾走する子供暴走族でした(笑)。
◇スイミングクラブで週2回ひたすら泳ぎまくってました。上を目指せるような速さはなかったのですが、
持久力だけはいっちょまえ!?だった気が…。
◇サッカーチームにも入ってました。“好み”でいえばサッカーが一番好きでしたね。
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中学校:◇軟式テニス部に入りました。
◇当時日本に初めて入ってきたスケボーにはまって、週末は代々木公園あたりで滑りまくってました。
◇昼休みはたいていサッカーをやってました。帰宅後も日が暮れるまでリフティングをして遊んで、夜は当時12チャンネル
で放送していた「三菱ダイヤモンドサッカー」にかじりついて観てました。
その時代のイングランドの名プレーヤー「ケビン・キーガン」の大ファンでした。
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高校:◇硬式テニスに転向。部活には所属せず、地元クラブのジュニアチームに入ってサテライトを転戦。埼玉県のベスト16どまり
で、自分でもたいした才能がないなあと感じてました。勝ち負けよりもプレーの芸術性を求めるタイプでした。 とにかくジョン・
マッケンローが大好きでしたね。
◇学校では、昼休み毎日サッカーをやってました。2年生のとき、サッカー部の友人から冗談とも本気ともつかぬ顔で、
入部を誘われたことがとても印象深いです。
大学3年時、軽井沢合宿にて。
大学:◇オリエンテーション初日に強引な勧誘にあって、結局硬式テニス部に入ってしまいました。その部が実はめちゃくちゃ
体育会系のノリで、先輩に会ったら「ちわっ!」と大きな声で挨拶し、その場を離れる時は「失礼礼します!」と、これまた
大きな声を張りり上げる。食堂だろうが、道端だろうが、駅のホームだろうが、ところかまわず挨拶しなければならない、
まるで応援団のような体質だったんです(爆笑)。
酒の席では、1年生は芸を披露し、面白くないと一気飲みをさせられる。基本的に先輩の役目は後輩をつぶすこと。
先輩がビール瓶を持ったら、後輩はコップの中身を飲みほして、先輩の前に「お願いします!」と言って、元気よく空のコップ
を差し出さなければいけない。当時はとんねるずのいっきいっきの全盛時代。肝臓さんにとっては相当に迷惑な日々でした
ね。
◇体育祭での駅伝大会では、3年連続区間賞。後輩からはまるで“馬”だと言われました(笑)。
◇バイトはテニスクラブでのインストラクター。バブル時代だったので、今思うと、けっこういい金額をもらってました。
ちなみにそのほかのバイトは、渋谷の公園通りにあった銀座コージーコーナーで、パフェを作ってました。
専門学校:◇柔道部に入って、初段を取りました。
私のスポーツ歴のなかでも、一番はまったのはこの柔道です。こんなに面白いスポーツが世の中にあったなんて!とい
うくらい衝撃を受けて熱中しました。実は私の祖父は、北海道の帯広警察署の柔道師範をやっていて、相当に強かったら
しいのです。晩年には静岡県に日本初の柔道大学を創設しましたが、この事業は後にとん挫し、消滅しました。
父も柔道をやっていましたが、3代目の私をなぜ柔道教室に通わせなかったのか、今でも不思議な気がします。
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Director's invention‐院長考案の固定法‐
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