こんにちわ、灘田です。
先日は、初めて参加されるお子様もいつもより多かったのですが、
レギュラーの子どもたちが、自分のやり方というか、時間や素材の使い方に慣れていて
自由に色や素材と遊ぶ背中を提示して、空気を作ってくれたおかげで、
私たち大人が得に細かく言わなくても、その子その子のペースで、クリエーティブなプロセスを楽しんでいたように思います。
(すみません、何故か今回、撮った写真のサイズがちっちゃいです・・・・)今回も、先月子どもたちがあまり興味を示さなかった ちぎり絵 を、セッションのはじめの方に提示しました。
(後半は、絵具だして~、という要望があり、絵具中心に時間を過ごしました)
ちぎって、それを作っていく”場”や”面”の素材にする、というのは
絵具をつかう、というのよりも慣れないアート素材といえるかもしれません。
それに、絵具のように、筆ひとはけ でクイックに色はつかない。
ちぎる素材に興味を持ち、
ちぎる作業が楽しめて、
貼る作業がたのしめないと、
面白い! と思えないのかもしれないのですが、
これはこれで奥が深いテクニックであり素材であり、アイデアでもあるので、こどもの反応が一見いまいちでも、選択肢のひとつとして提供していきつづけたい、と思いました。
というのも、先月のちぎり絵の接し方と今月の接し方では発展が明らかにあったからです。
紙以外、フェルトもリボンも、それははさみを使ってですが形を切り落として、ちぎった紙の素材と同様に貼っていました。フェルトはのりをいっぱい使わないとくっつかないね、と自分で発見していました。その言い方が、
ああ、この子は何度も、なんどもくっつけたい素材がくっつかなくて、自分なりに試行錯誤してやっと見つけた、
という、感動の発見 をしたんだな、
と感じさせるもので、改めて、教えられる のではなく、見つけていく過程の大切さ、
その過程に感動や、くやしさや、残念さや、 自分を突き動かす ”生きた感情” ”忘れられない感情体験” があり、その強い内的な経験こそ、クリエーティブで進化し続けるエネルギーの源なのではないかとおもいます。
最初から教えられたら、なんだそんなもんか、って、その知識や技術の習得に、深い心の体験はありません。
心の体験をするには、教えられるより時間がかかるけれど、
それはかけがえのないものだと、私は信じています。
きいろと、青を、紙の上でグリグリ混ぜて、色が緑になっていっているとき
「わぁ! みどりになった!」
と感嘆の声をあげた子どももいました。
こんなにシンプルで当たり前のことなのだけど、
自分の手で混ぜ合わせたものが、自分の手で混ぜていくペースで、色が変わっていく体験は、
シンプルだからこそ、
そのものごとに真剣に取り組んでいるからこそ。
そして、大人が余計な口出しをしないからこそ。
じっと、みまもっているからこそ。
お金では買えない感動が、クリエーティブな過程にはごろごろ転がっていることを改めて感じさせられました。
作品を書き上げた瞬間、
「これ、ママよろこぶよきっと」
と言った子どもがいたのですが、
アートベースに来つづけることで
せめて個人的なクリエーティブな取り組みは、自分の喜びのために、
まず誰かにいいね! って言ってもらうためでなく、
自分がいい! って思える、
自分に嘘がない作品づくりの経験ができるように、
内側から自然と変わっていくのかもしれません。
誰に何をいわれようと、自分はこれが好き!
そういえる確かなものが育ってきたら、
人と自分が違うことも尊重できるし、理解できるし、その違いを刺激として取り入れて、もっとその違いを楽しめるようになる、どんなところでも自分を見失わず、周りとかかわっていくヒントを得ることができるんではないかと思います。
最後は、いつも作品発表の時間をもちます。
みんなの前で語ることは、
作者は 自分の気に入っているところ、頑張ったところ、を
他の人は ”自分が”かっこいい! と思うところとか、作品から感じたことを。
きれい~、 とか 上手~ という他人からの言葉を意識して、アートを使った時間を過ごすのではなく
純粋に、自分の喜びのために、
純粋に、自分は何が楽しいのか、何が好きなのか、もっとこうしたい、こんな風にしたら面白いかも!
そんなことを、無意識にでもみつけていく時間。
作品作りで、また作品をみることによって、心にどんな波紋が起こったか、起こっていくのか、
そういう視点をもつことを、私は大事にしています。









