コンセプチュアル・アート演習2014 | しもりえにっき

Joseph Kosuth "One and Three Chairs" 1965
 これはジョセフ・コスースの「一つと三つの椅子」というタイトルの作品です。実物の椅子、その等身大の写真、そして辞書にある「椅子」の語義を並べたものです。ひとつひとつはそれぞれが「椅子」であることを主張している記号です。私たちは「椅子」を思い浮かべる時、これら(イメージや用途、それにまつわるもの)を同時に考えます。
 実物の椅子は知覚の対象としての椅子(指示記号)と、心理的象徴としての椅子(概念表象)の2つによって「椅子という記号」になっています。一方、写真と辞書の語義はこの前述の2つの代用物として「椅子のメタ記号」と言えます。コスースはこれら3つの椅子を並置することによって、プラトン的なイデア(理性によってのみ認識されうる実在)としての1つの椅子を表現しました。この作品の鑑賞者達は物質についての現実と観念の間を行き来させられることになるのです。

 この作品は「コンセプチュアル・アート」の代表的な作品です。コンセプチュアル・アートとは1960年代にアメリカを中心に始まった美術史上のムーブメントで、非視覚的なもの(行為、観念、意志など)を非物質的な方法(写真、言語、記号など)で表現するというものでした。
 コンセプチュアル・アートには、近代までの美術作品が持っていた、鑑賞者の情感を動かす要素が見当たりません。下図のように作品の要素を切り詰めた「ミニマルアート」でさえ、人の手(手わざ)を経た事物(作品)でした。

Frank Stella "Tomlinson Court Park" 1959
 ところがコスースの作品にあるのは記号そのもので、作者はただ既製品(レディメイド)を並べたにすぎません。つまり、このムーブメントは、鑑賞に堪えうる作品をつくるという従来の意識や価値観を捨て、作品それ自体よりも、制作の着想とプロセスこそが芸術であるという思想を表明するものでした。

 上級コースの6月の課題は「コンセプチュアル・アート演習」でした。
 それでは、その内容をご紹介いたします。課題文は次のようなものです。

 絵画や彫刻といった従来の美術にあった手わざを伴った作品(物)を根本から否定して、コンセプトこそアートとするこの思想に、最初は皆さん当然ながら困惑されました。
 そこでまず初めに、講師による参考作品をお見せしました。それがこちらです。

Murao Masanori "LOVE" 2011
この作品は、LOVEというラベルが貼られた箱を皆さんにプレゼントするというパフォーマンスです。受け取った皆さんは嬉しそうに箱のふたを開けます。でも実は、中には何も入っていないのです。しかし確かに作者は愛を中に込めました。これは、目に見えぬ大切なものを可視化しようとする試みなのです。皆さんは箱の中に何を見たのでしょうか。

 それでは、生徒作品をご覧ください。

Kanazawa Miki





講評会で作者によるコンセプトの発表を聞くクラスメートたち。
 携帯電話やタブレットの画面に映し出されているのは作者本人。そしてそれをまた二重に撮影したものをプリントアウトして壁に展示しました。作者の姿を確認できるのは携帯電話などの画面の中だけで、その被写体(本人、本体)の姿はそれ以外に見当たりません。情報化社会と言われ始めてから随分長い年月が経ちましたが、今や人間そのものも情報と化し、本当の本人の姿はぼやけて霧の中に居るかのようです。フェイスブックなどは、まさにこれにあたるでしょう。世界中の人とコミュニケーションが瞬時にとれるようになり、人間同士の絆が一見強くなったようにも思えますが、二重にも三重にも情報のベールが積み重なることで、実は誰と向き合っているのか、もはや分からなくなっているのではないかという危うさを感じずにはいられません。



Ikuta Kennji

 一見すると視力検査表のように見えるこの作品。よく見ると実は通貨記号の羅列です。これらはそれぞれ、世界の国々の中で経済的な豊かさの順、国民の幸福度の順、国土の面積の広さの順になっています。視力検査のように片目でこの表を見つめてみましょう。目立って見えるものはどこの国の通貨記号でしょう。よーく見ようとしても見えてこないのはどこの国のそれでしょう?お金をたくさん持っているということは、幸せということなのでしょうか? 日本は経済大国になりましたが、毎年3万人近くも自殺者をだしてしまっています。一方、南アジアに位置するブータン王国の経済規模は日本の市町村レベルに匹敵するほどの低い水準ではありますが、「世界一幸せな国ブータン」として知られるように、幸せの指標である国民総幸福量が高いと言われています。鑑賞者はこの視力検査表を前にしたとき、自分の何を検査する事になるのでしょうか。




Ishii Kanato
 同じ大きさの発泡スチロール製の玉をブラック、ダークグレー、ライトグレーの3色で塗り分けました。重さは当然どれも同じですが、色の性質によりブラックが重く、ライトグレーが軽く感じますね。人間の知覚をくすぐる作品です。「鉄1kgと綿1kg、どっちが重い?」なんだかこのなぞなぞを思い出しちゃいました。(笑)



Tomotune Atushi
 記号論的に"apple"をシニフィアン(指示するもの)とシニフィエ(指示されるもの)に分け、時系列ごとにロランバルト的「シニフィアンの戯れ」にチャレンジした作品。ひとつのリンゴから色々な事柄を連想できるのですね。


クラスメート全員で作品を鑑賞中です。




Takahashi Yumiko
 この作品はオブジェになってしまっていて、コンセプチュアル・アートとは言えませんが、作者の心情を素直に表現できている魅力的な作品となりました。頭から耳から鼻からスパイラルが噴出しています。目からは涙が出ていますね。きっと心を揺さぶられるようなことがあったのですね。

コンセプトを発表中の作者


 基礎コースから順を追って続けてきた、美術史を学ぶカリキュラムもいよいよ現代美術に突入しました。そして、これが最後の美術史の授業となります。上級コース生はこの先、今まで学んで来た美術史の知識と、今まで身につけた作品制作の技術と精神を基に、各自の創作研究を深め、独創的かつ優れた作品を生み出す事を目指します。

 
 前回(2011年)のコンセプチュアル・アート演習の様子をご覧になりたい方はこちらをクリックして下さい。
コンセプチュアル・アート演習①
コンセプチュアル・アート演習②

絵画教室下落合アトリエ
講師 村尾 成律
www.shimorie.com