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■ 岩手県・山田町 訪問報告

2011-06-27 17:06:06
テーマ:東日本大震災
・・・というわけで、先日、岩手県の山田町にお伺いしてきました。
この場所は3月から既に何度も訪問させていただいている場所で、行くたびに、その復旧度合いに感心させられます。

3月には山の木々に散乱した洋服が引っ掛かっていたのが
4月にはだいぶ減り、
5月にはただただ放置されていたガレキが少しづつ山になりだし、
6月にはガレキが撤去され、各家の土台が見えるようになっていました。
・・・「撤去され」と言っても、集積所に移動しただけなんですけどね。

でも、こうして少しづつ復興していく町の様子に、元気をもらっているのは明らかに訪問する私たちの方だと感じます。

Dolphinの 毎日、ごきげん! from 横浜・元町

その一方、いろいろ考えさせられることも多くありました。
そのうちの1つについて、書きたいと思います。

今回は5人での訪問となり、今回も片道10時間、深夜に走り通して現地に着いたのち、朝の10時~21時までぶっ続けでマッサージ(しかも、2日とも!)、という超・ハードスケジュールでした。モグラ

(このハードさ故、私たちは『マッサージ“部隊”』として活動しております。。。)
参加してくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました!!
今回もスーパー・厳選メンバーで、発起人の私としては、いつもラクをさせていただいておりますニコニコ

そんなスーパーメンバーで計6か所を回って行ったのですが・・・

うち1か所、高校の体育館にお邪魔しました。

被災地の現状としては今、ひと口に「避難所」といっても、様子はさまざまです。

旅館の個室や、研修所などの個室を「避難所」として使っているところもあれば、
体育館や公民館のようなところを「避難所」として使っているところもあります。
後者の中でも、「一人になるのが怖い」という理由で自主的にそこに残っている方もおられれば、
他にどこに行くこともできず、やむなくそこに残っておられる方もおられます。

状況は、さまざま。
なので、ひと口に「被災者」といっても、その心情もさまざま。
もちろん、個々の性格の問題もありますし、ね。

で、その、高校の体育館のお話です。

震災から早100日以上経ちますが、そこで見た光景は、震災直後となんら変わりがありませんでした。

もちろん、食べるものに困る状況は過ぎています。
水も、電気も、通っています。
その意味では、震災直後より随分「よくなった」と言えるかもしれません。

しかし、24時間、人目にさらされた生活をしているのは相変わらずです。
一人当たりのスペースも、1×1.5m 程度しかありません。
食べ物は自衛隊の炊き出しによって1日3食食べることができますが、もちろん、「食べたいもの」を食べることはできません。昼間は菓子パンと飲み物だけ、が日常です。
住宅地の中で近所にスーパーがないのでバスで遠くのスーパーに行くことはできるのですが、個人が使える冷蔵庫もキッチンもないので、材料を買って自分でつくることもできません。
私たちが訪問した日は6月だというのに32℃を超える猛暑でしたが、飲み物を冷やして飲むことすらできません。

せめて気分転換にお散歩でも、、、と思うのですが、周りは坂だらけの住宅地で高齢者が歩き回るのにふさわしい土地ではありません。 田舎なので街灯もなく、夜は真っ暗ですし。

体育館の外に出れは・・・既に学校が始まっているので、まわりは生徒がいっぱいです。
「本来、ここにいるハズの者ではなく、場所をお借りしてる身」としては、なるべく邪魔にならないように、と、体育館に引きこもってしまいます。
そんな日が100日以上、続いています。
80を超えた老体に、そんな日々がいいわけがありません。
これは健康な人まで歩けなくなってしまうのではないか・・・ そんなことを感じました。

たしかに、「食べたいものを食べたい」と願うのは贅沢かもしれません。
非常時において「人間らしい暮らし」を望むのも贅沢かもしれません。
でも、それが、3カ月以上、続いているんです。 毎日、毎日、毎日、毎日・・・・


私なら、気が狂いそうになるかもしれません。 気持ちがすさんでしまうと思います。
そんな毎日の中で気丈に生活をしておられる被災地の方々は、本当にすごいな~、と、人として尊敬の念を抱きます。

一方、被災地に対する支援の手は、だんだんと撤退気味です。
仕方がありません、資金が続かないのですから。
仮設住宅への移動が始まり、少し「日常生活」への道筋が見えてきたから、というのももっともな理由です。
「あの団体は、6月いっぱいで帰っちゃうの」
「この団体は、7月末が精一杯かな~って仰ってたわ」
「仕方ないわよね、これまで助けていただいただけでも、十分ありがたいわ」
被災地の方からはそんな声が聞かれました。

でも。

阪神淡路大震災で取り残されていく多くの高齢者の悲惨な状態を見てきた私としては、ここからが勝負だと感じています。

震災直後はいいんです、みんなが「助かった~!」という一体感があるし、世間も必死で支援してくれるし。

でも、こうして少し復興が進むと、「日常に戻れる人(=若者)」と「戻れない人(=高齢者)」との差が顕著になってきます。
しかし世間的には、「戻れる人」が大半を占めるため、「支援はもういらないね。 あとは自立して」と支援が薄れ始めます。
でも、「戻れない人」にそれはなかなか難しいんですよね。
すぐ隣に「戻れる人」がいるだけに、その孤独感は増す一方ですし。

「そんなことは、被災があってもなくても、同じことだよ」
という意見もあると思うのですが、考えてみてください、自分が80歳になったと想像して。

家もあります。
この先なんとか生きていける程度の資産もあります。
「贅沢はできないかもしれないけど、これで平穏な余生を送ろう」と思って過ごしています。

そこへ急に、想像を絶する大津波がやってきて、なにもかも失いました。
家もなくなりました。
家具も、資産も、すべてなくなりました。
一緒に支えあっていこうと思っていた伴侶も亡くなりました。

・・・・

既に80を超えた身だというのに、これから家を確保しなければなりません。
建てるほどの資産もない。 ローンが組めるほど若くもない。
賃貸契約だって保証人がいなければ、難しいでしょう。
なんとか住む家が見つかったところで、前の家とはとうてい比べ物にならないおうちになってしまうことでしょう。

年金はなんとかもらえるかもしれませんが、こちらは80を超えた老体。
「つつましく暮らしたい」と思っても、あっちが痛い、こっちが痛い、と、病院にお世話になる機会も多いでしょう。
贅沢をするつもりはなくても、「衣・食・住」のお金さえあればいい、という状況でもありません。
でも、周りの関心は薄れていきます。
「仮設に入ったら、自立してね」
「いつまでの震災にとらわれてないで、前を向いて生活しなきゃ」

・・・理屈としてはその通りなんですが、
「あの震災さえなければ・・・」
「こんなことなら生き残らなければ・・・」
と思ってしまうのも、人として当然の感情のように思います。

・・・・

もし私が、今のお仕事を選ぶような人間でなければ、こんなことを気にかけなかったかもしれません。

でも、

「みんなに、幸せな気持ちを味わってもらいたいな~恋の矢

そんな想いでサロンを始めた私なので、できれば被災地でがんばっている方々にも、

「とりあえず食べ物はあるから、餓死しないから、これでいいでしょ」

ではなく、少しでも生きる喜びのようなものを感じていただければなぁ、と思うのです。
そんな想いで、チョクチョク被災地に行かせていただいております。

被災地の方とお話していると、「震災からもう○日」と正確に日数を仰る方が多いのが印象的でした。

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