マレー半島の中程、インド洋側に小さなペナン島がある。ペナンとは、元々マレー語でビンロウ樹という意味があるそうであるが、この小さな島の中心部は「ジョージタウン」というイギリス風地名である。またフェリーで20分ほどの対岸マレー半島の町は「パタワース」という。

 最初にペナン島を訪れたのは、1981年であった。当時、東北大学にいた香野俊一先生と一緒にマレーシア環境科学省の騒音担当技術官の技術指導を兼ねてジョージタウン周辺の環境音調査及び工場騒音の調査を行うことが目的であった。

 私はそれより数年前、当時クアラルンプールにあったマレーシア工科大学(U.T.M.)に籍を置き、環境科学省と共同で首都の騒音調査を行ったことがあるが、その時の担当官はすでに退官しており、全くの初心者に再度1から調査方式を理解させなければならなかったことを記憶している。

 以前よりペナンに立ち寄った際には、一度泊まってみたいホテルがあった。そのホテルは「E&Oホテル」といい、今から120年以上前、1885年に建てられた古いホテルで、イギリスの作家サマセット・モームが宿泊したと言われている。「E&Oホテル」は、建てられた当時はイギリス風に最も近代的であったであろうが、現在では、観光、ビジネスいずれの目的でペナンに来る人も気に入って泊まるかどうか、それ程旧式設備のホテルである。しかし私はペナンに行った際は、必ずそのホテルで足を休めるようにしている。その理由は、古いイギリス風の雰囲気を味わいたいためのみでなく、裏庭が海に面しており、早朝、夕方の潮風と波音で心が洗われるような気分になるからである(LAeq58dB)。海に面した場所、ホテルは、ここでなく他の場所にも沢山あろう。しかしながら、今も変わらない椰子の樹より低い、涼しげな茶色の瓦で葺かれた屋根、古い映画に出てくるようなリフト、ゆっくりと廻る天井扇の音、質素な中に礼儀正しいイギリス風接客など、まるで東南アジアの角にいるというような感じがしなくなる。夕闇が迫る頃、一歩外へ散歩がてらにトライショーで涼しい風を頬に受けながら、海岸に面した道路をコーンウォーリス要塞方向へ行くと、ホテルの裏庭とは全く異なった風景に突然出会う。白色の裸電球で色彩とりどりの原色の魚介類をこうこうと照らし、大声で客を呼び込み、好みの料理を提供する海鮮屋台、香ばしい煙と匂いで客を誘うサテー屋台、椰子油と香辛料で独特の味付けをした麺屋台、パパイヤやバナナ、すいか、オレンジ等の100パーセントの果汁屋台、中華風ソーセージ屋台など、マレー人と中国系の人々が入り混じり、食欲をそそる活気溢れる夜店街(LAeq58dB)。

 満腹になった体を少し整えるべく、素足に何の飾りもないゴム製のビーチサンダルで「ペタペタ」と歩いていると、声とも歌とも思われる歪んだ音が性能の悪いスピーカから流れてくる。良く目を凝らして見ると、トラックの荷台に簡単な舞台を組み「京劇」を演じている。木戸銭はいらない。

 観客のほとんどは老人と子供であるが、食後のひととき、夜長を楽しんでいる。この田舎京劇は、誰かが自分の家の祝いのため、その座に依頼したものであろう。演題はほとんどが「三国志」にまつわるものであるが、役者は一生懸命に演じており、小学生の頃、村の広場や公民館で観た芝居を想い出す。

 昼間のジョージタウンには、昨日の夜の雰囲気とは全く異なり、幹線道路は自動車の音が主に、建築工事現場近くでは、すでに日本で使用されなくなって久しいディーゼルパイルハンマーや大きな音のディーゼル発電機がうなりをあげている。しかし市内のどこでも見える何台かのイギリス時代の時計が、刻を告げる鐘の音を響かせ、人工音の喧騒に一瞬の清涼剤としてのサウンド/ランドマークとして現在でもキリッと建っている。昨夜の屋台と田舎京劇は夢?やはりここはイギリスか?

 クアラルンプールとシンガポールの中間位の所にマラッカというマレーシア最古の都市がある。

 この街は、14世紀から15世紀にかけて東南アジアの香辛料取扱のため、オランダが東印度会社を置き、東西貿易で潤ったところであり、マラッカの街は、マラッカ川の両岸に広がっているが、ベンガラ色をした17世紀から18世紀のオランダ建築の「スタダイス」、別名ダッチハウスが教会を中心として一つの区画にあり、マレー人や華人の住む街並みは背の低い家屋で、マラッカ海峡からの風に対して首を縮めるようにして、まるで街全体が時間が止まっているようなたたずまいでひっそりとしている(LAeq4245dB)。

 フランシスコ・ザビエルの遺体が一時期安置されていたという丘の上の古いポルトガル風教会の廃墟跡に立つと、街の音より海峡を往来する漁船やタンカーの音が風に乗って聞こえて来るように感じられる。マラッカ海峡は、東北、東南アジアの経済、工業を支える上で、欠かすことのできない石油を中近東から運ぶための最重要な海峡であり、国際的にも名の通った地域である。我が国、その他へのキリスト教の布教時代においても、ヨーロッパ方面への香辛料運搬のための貿易においてもしかりであり、忘れることのできないところである。しかしながら、現在ではその名前とは裏腹に街の活気は感じることができず、往時の面影を想像するのみである。まさに「つわものどもの夢のあと」か……

 

(一社)日本環境測定分析協会「環境と測定技術」P115-116 環境背景音考(8Vol.26 No.3 1999

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