ちゃんと子どもの話、聞いてあげたかな・・・・と一日を振り返ってしまう時がある。
うん、うんと生返事、じゃなく。
「見て!見て!」と出来上がった絵を持って来た時、ちゃんとどんなストーリーの絵なのか、
作った工作、どうやって動かすのか・・・手を止めてちゃんと聞いてあげたっけ??
少し前に、幼稚園バスのお迎えにバス停に向かっていたら、
小学校1、2年生くらいの男の子が、
私と下の子を見てハッと顔を上げて
片手を上げて「ゴーーーーーンってするよ!」と下の子を叩く真似をして近づいて来たのです。
瞬間的に母魂が出てしまい、ハッとして(下の子を守りたい気持ちで)身構えて、
その後すぐ、”本気じゃない”って気づいたので、
その子に「どうして~~~~?(^o^;)」とどうにか笑って、
でも「どうして?」と聞くのが精一杯でした。
その子はその後、「その子(下の子)いくつ?どこの保育園?」などと聞いて来て
「自分は○○保育園だった」・・・・・としゃべり始めました。
「ああ、そっかぁ。また”聞いて欲しい” ”僕を見て” サインだったんだな」って
後から気づきました。
だったら、「どうして?」と返事したことは良かったのかな?
もうちょっと、その子の気持ちを聞いてあげれたらよかったのにな・・・・・と
今でも後を引いています。
お母さんが自分のことを”大好き” ”愛してくれてる”って
子どもは何から感じ取るんだろう。
もちろん、言葉からっていうのもあると思うけど。
子どもが「見て!」「聞いて!」ってお母さんに寄って行った時に
「なあに?(´∀`)」って笑顔で受け止めてくれて、話を聞きだしてくれて。
「かわいく描けたね!」とか「すごい、作品だね!」「いい事したね!」って
受け止めて、笑顔で返して・・・。
そういう過程で子どもって安心したり、嬉しくなって。
”ぼく、私、お母さんと一緒にいたら嬉しい、あったかい気持ちになる(愛されてる)”
って感じるんじゃないかな。
・・・・・でも、世の中のおかあさんは普通にみんなそんなこと、とっくに分かってるか!(´Д`;)
ただ私がそういう家庭で育ってこなくて、今、ようやく分かりかけてきてるってことなんだな。
私の妹が産まれたのはちょうど私が3歳の時だった。
3歳ってちょっとお母さんから離れて、遊んだりしていても
まだちょっとお母さんと離れたくない、不安、そこにいてね!って感じも残ってるように思う。
外に出て遊んで来て
「お母さん、見て!見て!」「こんなことあったの、聞いて!」って
寄って行っても、きっと、私の母は受け止める状態にはなかったのだと思う。
外に出て一緒に遊ぶってことは出来なくなっていたと思う。
もちろん家の中でじっくり二人で遊ぶってことすら。
妹が泣いていると、そして下に寝かせておくと父は嫌な顔をするので、
母はずっとおぶっていたそうだ。
その悲しみの中にいたら、私が寄って行っても気持ちを切り替えて
私に笑顔を向けることは難しかっただろう。
心の中には子どもへの愛情は間違いなくあるのに、届けられない。届いてない。
今、自分が母親になることが出来て、
私の過去は「愛されたくて」っていう思いからどんどん間違った方向になっていってたけど、
本当は母から愛されていたんだな、届いてなかったけど、愛されていたって分かった。
だって、子どものことは、子どもが愛されたいからと言って何か特別なことをしなくても
親は子どものこと、ただただ愛してる。最初から。産まれた時、産まれる前から。
子どもは親に愛されるために、何もしなくていい。
”そこにいる”ってだけでいい。
楽しくて、笑っていてくれてるだけでいい。
でも、子どもに親が”愛してる”ことを伝えるには、親の心も、
いつでも子どもにスッと”愛してる”を出せる状態にしていないとならないように思う。
今月は赤字???
あれを用意しなきゃならないけど、買える?
信号が赤になった、イライラ。
今晩、何作ろう・・・食材が足りない・・・・。
働きに出なきゃだめかな。
悲しい、辛い、イヤだな・・・。
などなど。
お母さんの心を曇らせて、心から愛をスッと出させないようにする邪魔な事柄が
世の中にはゴロゴロしてる。
すぐ心に入り込んで来る。
気づいて取り除いてもまたすぐやって来る。
でも・・・その事に左右されず、常にずっと子どもに愛を感じさせられる心でいたい。


