本日の「世見」は、私の好きな話題でしたのでご紹介いたしますね。

松原照子さんの「幸福への近道」より
チチカカと涙の神様

<世見>2017.7.14

「チチカカ」どこかで聞いた名前です。

アァ~ 服屋さんだぁ~

このチチカカってどういう意味なのでしょう。

エエ!湖なのですか。

この湖から約20km行くと遺跡があるようです。

標高3,600mから4,200mもある場所に都市ですか?

「アカバーナ カラサのサヤ 十のトゥンクドゥンク」何だろうこの意味。

アカバーナはピラミッド。

ごめんね。今日も何を書いているのやら。

カラサのサヤ 太陽の門には暦があるといいます。

この地に天空人(宇宙人)が住んでいたとしたらどうだろうか。

私など真実はどうであれ、天空人がこの地球に住んでいたことの方が喜ばしい。

天空服に身を包まれているのは、羽がある人間のようにも見えます。

「今見せてもらった彫刻の写真」

「電波利用していたようにも見える。最近まで屋根に乗っかっていたアンテナ風の絵柄」

この地は昔、楽園だったそうです。

天空人が地球上から優れた人々をこの地に連れて来て、人種差別のない都市を建設したとか。

「本当かなぁ」

超人類なる優れた集団を標高の高い地に作ろうとしたのは、この頃ここら辺り一帯は、磁石を狂わすほどの磁力で囲われた地だったようです。

涙の神は言いました。

「地球上では多くの年が海に沈む」と。

あの頃と今とでは、一年の日にちが違うようです。

いつの日か地球の地軸が変化して、涙の神様の教えを改めて知るかもしれません。

<転載終わり>

「チチカカ湖」は、標高3810メートルの高所にある湖です。

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「チチカカ湖」は、本当に日本語のお父さんとお母さんという意味だとも言われています。

そして、その湖に近い3850mの場所に世界遺産「ティワナク遺跡」があります。

富士山よりも高い場所にあるって凄いと思いませんか。

「ティワナク」はかっては「パイピカラ」と呼ばれており、その意味は「中央の石」というものでした。

ティワナクは、過去において世界創造の場として崇拝されていたようです。

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この「太陽の門」は、驚くことに一枚岩でできているのです。

宇宙人が作ったと言われるのも分かります。

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こちらの↑復元模型の手前にあるのが「アカパナ」と呼ばれるピラミッドです。

長さ204m、幅192m、高さ17mの大きさのピラミッドは、空の神に捧げたピラミッドだということです。

7段の基壇からなり、頂上に貯水池があったそうです。

そのピラミッドの奥にある広場が「カラササヤ」と呼ばれる遺跡の中心部の広場です。

「カラササヤ」は大地の神のための神殿だったのではないかと考えられています。

かつて、ここには多くの「モノリート」(1つの石からできた石像)があったそうですが、多くが持ち去られてしまったとの事。

フライレ⬇︎
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ポンセ⬇︎
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ベネット⬇︎
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「カラササヤ」の右隣にある小さな広場が「半地下神殿」です。

「太陽の門」は、現在カラササヤの隅に置かれていますが、元々どこにあったのかは分かっていないそうです。

以前は門ではなく、建物の入り口だったのかも知れません。

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「太陽の門」の正面上部に刻まれているのは、両手に杖を持った神・ビラコチャです。

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そして、ビラコチャの左右には杖を持つ「鳥人」または「走る人」と呼ばれる姿が刻まれています。

ビラコチャはここで世界を創造し、人間に地中から出てくることを命じたと言います。

それに応じて人間が地中から集団で現れ、各地に広がっていきました。

そして、ビラコチャが各集団のシンボルとして石像をこの地に置いたり、「半地下神殿」の壁に無数にある顔として記録したのかも知れません。

タネの貯蔵庫のように、民族の種類ごとに、忘れないように残したのかも知れません。

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顔は全部で177もあるそうです。

(詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。)

ビラコチャは、よく見ると涙を流しているのです。

照子さんも書いていますが、ビラコチャは、地球上の多くの場所が長い間海に沈むのを悲しんでいたのでしょうか。

それについて、私も過去に書いています。

実は、「ティワナク遺跡」のすぐそばに、高度な技術で石を加工した跡のある「プマ・プンク」という遺跡があるのです。

それが何故か、破壊されたまま放置されているのです。

☆ 古代文明の謎 5「巨石文明」

☆ 大カタストロフィーを予知していた古代人

これは私の妄想ですが、本当のところはどうなんでしょうね?

私はこういう話題がめちゃくちゃ好きなんです。

どなたか真相を教えて下さい。
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「世見」関東大震災

テーマ:
「けいそのちから」プレゼントにたくさんのご応募をありがとうございます。

せつこさん&かっちゃんご夫妻から頂いた5本に、既に200件以上の応募があり、どうしましょう状態です。

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(昨日届きました♡)

かっちゃんによりますと、「けいそのちから」は、昨日の午前9時には完売してしまったそうですが、再入荷をするそうで、現在はオープン価格にて予約を受け付けているとの事です。

(待てない方は、プレゼントに応募だね)

なので、午前中にサイトを見て、売り切れだと諦めてしまった方も、再度注文してみて下さいね。

みんなの広場 「けいそのちから」注文フォーム

尚、特別価格の期間を過ぎてしまっても、7月9日の『東博士講演会&せつこさんのクリスタルボウルの演奏会』などのイベント時に、1本3000円ぽっきりで購入出来るそうです。

9日は、私も聴きに行く予定ですので、そちらのイベントも是非足を運んで下さいね♡

お申込みはこちら

東博士からは、目からウロコの「ケイ素のお話」が色々と聴けますよ!

久々の東博士のお話を、今から楽しみにしています。



久しぶりと言えば、照子さんの「世見」です⬇︎

松原照子さんの「幸福への近道」より
関東大震災

<世見>2017.6.17

関東大震災から94年目が、この9月1日に来ます。

あの日の夜明け頃は、南風を伴った豪雨でした。

その豪雨も、10時頃には止みました。

蒸し暑い一日だったそうです。

大地はゆっくりと揺れ始めました。

約15秒後、家が鳴り、烈しく約2分間揺れたそうです。

東京では80カ所以上から火の手が上がりました。

燃え広がった火は飛び火して約150カ所が燃え、鎮火するまで丸2日も続いたとも言われています。

阪神淡路大震災の時の大火災を忘れることの出来ない私としましては、あの当時の人々の恐怖が、今でも生々しく感じ取れてしまいます。

江戸の名残りが色濃くあった東京ですが、関東大震災で随分と江戸の良さが消えました。

「関東大地震は大丈夫ですか」と、よく質問されるのですが、私はこのように思っているのです。

「私は体験するだろう」と。

現在の私の年齢は70歳です。

後20年、生きられるかわかりませんが、20年生きられたとしたら20年以内に起きることと思っているのです。

関東大震災は、後6年で100年を迎えます。

勿論、起きて欲しくはありません。

南海トラフ地震が先か、関東が先か、今日はわかりませんが、連続するようにも思っているのです。

関東大震災は予言されていたともいいます。

私達は人間である前に、命の危機を察知できる動物でもあります。

いつ、どこで、どんな大災害が起きてもおかしくない時期が今です。

<転載終わり>

照子さんが何度も大地震は近いというくらいですから、嫌だけれども覚悟はしておかなければと思います。

いくら照子さんは煽り過ぎ、絶対地震は来ないから大丈夫と言われても、いざ大揺れが来た時に、ちゃんと構えていた人と「え〜、来ないって言ってたじゃん!」と何も心の準備をせず油断していた人とでは大きく違ってくると思うのです。

今ある平和な生活は、決して当たり前じゃない事を、時々思い出して下さい。

そうすれば、1日1日に感謝して過ごすことが出来ます。

今しかやれないことを、精一杯しておくことも出来ます。

家族に優しくしたり、「ありがとう」って言うことも出来ます。

だから、いつ何が起こっても後悔しないように、毎日を大事に大事に生きていって下さい。

死んだら終わりじゃないけど、地球で肉体を持って生活出来る今を、めいっぱい楽しんで下さい。
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まずは、久しぶりの「世見」から。

松原照子さんの「幸福への近道」より

江戸の遊郭

<世見>2017.5.19

江戸時代、もしもあなたが江戸で暮らしていたら、どんな暮らしをしていたと思いますか?

太平の世がやって来た江戸時代。

武士の生活はどのようであったか、農民はどうであったのか、町人や商人は‥‥。

シーボルトが膨大な史料を残したといわれます。

あの当時、ヨーロッパでは日本の情報が少なかったと言われています。

江戸時代の人は鶴を食べていたとも言われます。今ひとつピンときませんが、朱鷺も食べていたようです。

幕府公認の遊郭が江戸の吉原にありました。

最初にあったのが日本橋(元吉原)。

後に浅草寺の北に移され、男の人には最高に思える場所になったようです。

吉原の遊郭で豪遊をすると、現在の価格で約1,000万円にもなるというのですから驚きです。

紀伊国屋文左衛門は、その吉原を貸し切りにしたというのですから、またビックリです。

そうそう、不思議な世界の方に面白いお話を教えてもらいました。

平賀源内は、遊女より男娼に興味があったみたいです。

あの頃は、10代の若くて艶やかな男子が、振袖に袴をはき、白粉を塗って身を売っていたのです。遊女と遊ぶよりかなり高かったみたいなのですが、源内はどこに惹かれたのでしょうネ。

現在の日本橋人形町辺りが賑やかだったところです。

江戸時代は女性より男性の数が多く、女性のおよそ2倍もの男性がいたというのですから、女性はきっとモテたことでしょう。

時には江戸時代にタイムスリップして見るのも、私は楽しいと思います。

<転載終わり>

遊郭に男性がいたとは知りませんでした。

興味深い内容でした。

戻ってきた羽根

北海道のホテル内で落としてしまったピアスが見つかり、ホテルの方が送ってきて下さいました!

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この羽根は本物ではなく粘土で作られています。

諦めていたけど見つかって嬉しいです。

もう、落とさないよう「ピアスキャッチ オチナイくん」を買い取り付けました。

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普通のピアスキャッチではすぐ抜けてしまうので。これで安心です♡

以上、オチはないです(笑)

好きな場所・おすすめの場所はありますか?

何年かぶりに九州にお住まいの読者の方とお会いする事になったのですが、せっかくだから、何処かに一緒に行こうと思うのです。

彼女の疲れたハートを癒せる場所に。。

ご当地自慢でも、好きな場所でも構いませんので、彼女と訪れるのにおすすめの場所を教えて頂けませんか?

他の方にも参考になると思いますので、良きアドバイスをよろしくお願いいたします。
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