臨死体験者から学ぶこと 1 | misaのブログ

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遊びに来てくださって ありがとうございます!

「九死に一生」の話題が出たので、今日は臨死体験のお話をご紹介いたします。

松下電器の社長室長在職中、合唱やオーケストラの指揮者を歴任し、現在はNPO法人ネットワーク『地球村』代表として環境や平和、教育や生き方について、広く講演や提言をされている高木善之氏が、1981年に遭遇した貴重な臨死体験です。

彼が今、なぜ「美しい地球を」と呼びかけて活動しているのかが、この体験を読むと分かります。

光軍の戦士たち・wantonさんのブログより、一部省略して転載させていただきます。

★★★★★★★

その日 昼寝から覚めると珍しくオ-トバイに乗りたくなった。そしてどこに行くでもなく国道一号線を京都に向かって走っていった。

そして 気づいた時は遅かった。自動車がこちらに向かって走ってくる。

何なんだ、これは !!! 分離帯のある国道でクルマがこちらに走ってくることはあり得ない。

あり得ないから夢に違いない。ともかくブレ-キをかけなければ。だが、到底間に合う距離ではない。

急ブレ-キの音。スロ-モ-ションのようにクルマが近づく。

ゆっくりと接近・・・そして・・・ガッシャ-ン !!!

・・・・・ん?痛くない。。。

周りを見ると、オートバイが横転。バウンドしながら横すべりしていく・・・・

自分の身体も吹っ飛び、道路に叩き付けられる・・・ヘルメットが壊れて 道路を転がっていく・・・

それを見ている私。私は自分の交通事故を目撃しているのだ。

ヘルメットは歩道を歩いている女の人の足元まで転がっていった・・・・

その人が振り向いた。゛あれは合唱団のSさんだ!!! おおい、僕だよ 僕だよ !!!゛

Sさんはしばらく足を止めて事故現場を見ていたが・・・やがて行ってしまった・・・。

Sさんが ゛大したことないみたい 私には関係ない・・・と考えているのがわかる。

゛おいおい ひどいよ あれは僕だよ 関係はおおありだよ !!! ゛

オ-トバイはガ-ドレ-ルに引っかかるようにして止まる。

自分の身体も二度三度バウンドし「く」の字にねじれて国道の片隅に横たわっている。

それを上から眺める自分。

゛少しも痛くない。痛くないということは やはり夢なんだ゛。

自分を眺めることが出来るということも夢以外にない。

ああ驚いた。よかった、夢でよかった !!!

人が集まってくる。口々に色んなことを話している。

「歩道にあげないと危ない」「もう死んでる」「死体は動かしたらあかん」

「まだ生きている」「現場は動かしたらあかん」「オ-トバイからガソリンがこぼれてる。危ない」

場所は国道一号線 自分が勤務する松下本社の手前の交差点

ちょうど救急病院がある。すぐに担架が運び出されてきた。私は担架で病院の中に運ばれていく。

その横を酸素マスクを持った看護婦さんが走る。それを天井の高さで テレビカメラのように追う私・・・・

私は検査室の診察台の上でレントゲンをたくさん写されている。

「ひどいなあ これは・・・骨盤が砕けてる・・・足がはずれてる・・・・

おっと 首の骨もだめだよ・・・ほら この手 ぐしゃぐしゃ・・・・ひどいもんだね・・・膝も 肩も・・・全身骨折だよ・・・・」

医者が看護婦と話しながら検査している。

・・天井からその様子を眺めている。

゛あんなにレントゲンを浴びて大丈夫なんだろうか゛

右足は付け根から不自然に曲がり、首も不自然に曲がっている。首の骨が折れているか損傷しているのだろう。

骨盤が割れて右足は付け根からはずれているのだろう。膝がねじれているから関節で折れているのだろう。

しかし一番ショックだったのは左手 !!!

ピアニストにとって 手は命と同じくらい大切。子供のときから指を大切にしてきた。

遊ぶときも体操のときも、バレ―ボ―ルや柔道など、突き指や指のケガの可能性のあるものはほとんど避けてきた。

それほど大切にしてきたこの手が、突き指どころか、手が手首のところで折れ曲がり、手の甲が手首にくっついてしまっているのだ !!!

「これは無理ですね、うちでは。手の打ちようがない」

゛おいおい それはないだろう。何とかしてよ゛

結局 大学病院に転送された。

初めて乗る救急車。サイレンが時々鳴る。

゛そこどけそこどけ 僕が通る゛

一夜あけて手術が始まる。『天井からそれを見ている私。』

まるでマグロをさばくように自分が切り裂かれていく。腰の右側が大きく切り開かれる。どす黒い血が流れ出す。

゛ひどいものだ とても見られたものではない・・・・゛

骨盤が割れ、右足が骨盤からはずれている。骨盤に穴を開けるいやな音。

太いボルトが差し込まれ、骨がつなぎ止められる。

゛ちょっとちょっと!そんなことしていいの?? 土木工事じゃないんだから゛

とても見られたものではない。あまりの残酷さに目をおおう。

場面が転換。ICU(集中治療室)にて。

異様な姿。頭も顔もミイラのように包帯でぐるぐる巻き。足にはロ-プで重りがぶら下げられている。

腕はこれまでに見たことがないくらい大きなギブスで包まれている。

全身固定-酸素マスク-口鼻にパイプ。腕には点滴。あちこちからパイプが出ている。血液と排尿のためか。

ベッドの横にはオシロスコ-プ。脳波か心電図を取っているらしい。下半身から排泄用のパイプ。電極とオシロスコ-プ。

思わず目を背けてしまう姿。まだ生きているのだろうか。しかし動かない。

場面が転換・・・

妻が医者から説明を受けている。「やるだけのことはやりましたが・・・・」

妻が呼びかける。『お父さん大丈夫? お父さん、お父さん!・・・・お ― 父 ― さ ― ん !!!!! 』

呼びかけは次第に大きな声になる。最後は絶叫。

絶叫はたまらない。特に家族の絶叫は堪えられない。

゛大丈夫。僕はここにいる。心配いらない、これは夢なんだ゛

妻には聞こえていないようだ。伝わらない。

『お父さん - お父さん - どうして ・・・・ど  う  し  て ー 』

゛聞こえているよ。何か変なんだ。大丈夫だ、心配いらないってば゛

しかし通じない。伝わらない。もういい。もう見たくない。

場面は転換

待合室で脅えているわが子に一生懸命呼びかける。

゛大丈夫、心配いらないよ。何か変なんだ。あれはお芝居なんだ。何かの間違いだからね。これはきっと夢なんだ。お父さんは大丈夫だよ、すぐ帰れるから。今日は晩御飯は一緒に食べる日だからね。待ってるんだよ。゛

ああ・・・やはり通じない。手応えが無い。映画「ゴ-スト」のような感じ。

もういい。もう見たくない・・・

また場面は転換。

ICUで寝ている自分。動かない。その横で妻がイスに座って見守っている。

遺体が安置され、妻が不寝番をしているようにも見える。

゛ 僕はまだ生きているんだろうか?もう死んでいるんだろうか??  ゛

しかし こうして自分が自分を見ているということは・・・もしも夢でないとしたら・・・僕は死んでいるということになる・・・

゛まさか、そんな馬鹿な !!! ゛

私は今、河原に来ている。身体はないが意識だけがある。ちょうど夢の中のような感じ。

私は河原の上、地上2~3メ-トルの高さにいるようだ。

ここはどこだろう。賽の河原 ??? 

賽の河原ではない。すぐに分かった。

ここは愛媛県松山市の郊外、横河原。重信川という大きな川の河原。

よこがわら・・この名前はいつも私に何とも言えない気持ち、涙ぐむような感情を呼び覚ます。

ここは、子供の頃 (3歳から6歳) を過ごした思い出の場所。

子供の頃を思い出す時、田舎とかふるさとという言葉を聞く時、いつも思い浮かべるのはこの場所。

私は大阪生まれだが、横河原は間違いなく私のただ一つのふるさとなのだ。

父は肺結核の専門医で国立愛媛療養所の医師だった。結核は今ではほとんど忘れられた病名だが、当時(昭和20年代 )は猛威をふるっていた法定伝染病で、各地に国立療養所があった。

私達は国立愛媛療養所の官舎に住んでいた。結核病院は人里離れた場所にあり、周りは山の中だった。

隔離された場所だから遊ぶ仲間は少なく官舎のわずかな子供と、患者さんや看護婦さんが遊んでくれる程度だったが、むしろ一人のことが多かった。

中でもその広い河原が好きだった。みんなで散歩したり、お弁当を食べたり、一人で遊んだりした。

この川と河原は、丸い石を拾って川の表面に投げて水切りをしたり、珍しい形の石を捜したり、水遊びをしたり雪すべりをしたり、いろんな楽しみを与えてくれた。

その河原は非常に広かった。向こう岸は霞むくらい遠く、その先には森があり、そのはるか向こうには皿が嶺が聳えていた。

その青い頂きには雪が見えることもあった。

私はよくその河原の土手に座って その雄大な風景を眺めたり、夕焼けを見て感動したものだった。

゛いつかあの向こう岸に、そしてあの山に、あの山の向こうまで行ってみたい ゛
いつもそんなことを考えていた。今、ここに30年ぶりにやって来たのだ。

しかし、景色は大きく違っていた。河原も重信川も見る影もない。広大な河原は、信じられないくらい狭くなっていた。

雪すべりをした土手は護岸工事でコンクリ-トに変わっていた。広い河原も河川敷の工事でコンクリ-トで何段にも塗り固められていた。

わずかに残された河原の幅は数十メ-トル。そして、そこには一滴の水もない。コンクリ-トで埋められなかったわずかの川底にやっと昔のままの石ころが残されていた。

゛川は、河原は、土手は、その土手の赤松はどこに行ってしまったのだろう ゛
呆然と見回す。

゛私の家はどうなっているんだろう ゛それとおぼしき場所を訪れる。

ほとんどが草原だが かろうじてあの頃の家々の配置が分かる。自分の家のあった場所にやってきた。

゛ああここだ。あの匂いがする ゛

まさにあの頃の土の匂いを覚えていたのだ。はっきり分かる。ここが私の家の庭なのだ。

あの頃、広々とした庭だった場所は今はただの草原。家も塀も両隣の家も周りの家も何もない。

しかし、はっきり分かるのだ。あの時と同じあの匂いがするのだ。

アカシアの、ヒマワリの、ダリアの、ガ-ベラの、カンナの花たちの匂い。

それらの匂いは土の中に記憶されているのだ。

゛ああ ここでキリギリスを捜した。ここでアリを見つめて一日しゃがんでいた。ここにカブトムシの来る大きな樹があった ゛

幸せだった時代の幸せの象徴が、まるで『雨月物語』のように今は草原になっているのだ。

母の声が聞こえるようだ・・・・

゛はやくおうちに入らないと日射病にかかるわよ ゛優しい母の姿がよみがえってくるようだ。

おたまじゃくしを掬ったあの池は? 埋め立てられて運動場になっている。

でも玄関前の生け垣はあのときのままだ。

・・・・思い出の場所をすべて回り終えた。まるで巡礼が札所を回るように・・・・思い出の場所に別れを告げるように。

”そろそろ行かなきゃ”

子供の頃、夕方の汽車の汽笛が聞こえると、もう帰らなきゃ、と家に帰ったものだ。夕方のあの物悲しい感覚。

゛もう、行かなきゃ ゛・・・・

すると徐々に自分が上昇し始めた。

゛行かなきゃあ、でも行きたくない。でも行かなきゃあ・・・ ゛

そんな思いで手足をバタバタと動かしてもがいているような感覚。

゛今、僕はあの病室で死んだのだ ゛

この思いは強烈だった。死ぬってこんなことだったのか ・・・・・・

激しいショックだった。しかしやがてその事実を受け入れた。事実は受け入れざるを得ない。

そして嵐が静まった。穏やかになった。


゛もう何もしなくていいんだ。もう全てが終わったんだ。 ゛

そう思うと不思議と気持ちが楽になった。

苦しみが去り、私はなめらかに上昇し始めた。今までのもがきやもつれがなくなり、ス~ッとのぼっていく。

私の人生は、今終わった。したかったこともたくさんある。

でも、出来なかったこともたくさんある。家族はどうなるんだろうか。仲間達はどうなるんだろうか。

もっと優しくしておけばよかった。もっと仲良くしておけばよかった。

ごめんね。でも、仕方がない。もう苦しむことも、ジタバタすることもない。あれこれ考えることもない。

何もかもが終わったのだ。今、私は死んだのだ。

゛さよなら。みんな、さよなら・・・ありがとう。みんな、ありがとう・・・゛

苦しみが無くなり、なめらかに上昇し始めた。

次第に高度が増し、目の前の風景が 遠くなる。河原の両岸が寄ってきて狭まり小さくなる。

山々も集まってきて小さくなり、やがて四国が見えて小さくなる。

日本が小さくなり、そしてついに目の前に地球が現れる。

゛これが地球なんだ・・・・これが僕が生きた地球なんだ・・・・゛

強烈な衝撃・強烈な映像、その美しさ・・・・その大きさ、その厳粛さ・・・その圧倒的な迫力・・・その偉大さ、その美しさに感動・・・・

幸せ・満足・充足・至福の感覚・・・

突然、激しいショックを感じた。それは思い出した衝撃。

長い間悩み続けた問いを思い出した衝撃。誰もが必ず考え、そして答えが見つからず、やがてあきらめてしまう 問い。

゛自分とは何か?どこから来たのか?そしてどこへ行くのか?゛

今、目の前に巨大な地球。本物の地球、三次元の地球・・・

立体の地球が、圧倒的な迫力で語りかけてくる。

それを見たとたん、激しい衝撃。

゛生きている。地球は生きていたんだ゛

魂が揺さぶられる・・・・

感動の涙がこみあげてくる・・・・

今、自分が変わりつつあることが、はっきり分かる。

自分が地球と宇宙とつながっていくような感覚・・・ついに分かった。

一生問い続けた問い ?????

゛自分とは何か。どこから来たのか。そしてどこへ行くのか。゛

その答えを・・・ついに見つけたのだ。

感動的な答え、それは・・・・

光!すべてはひとつ!!

命は光であり、光の世界から来て、光の世界に帰る。

すべての生命は一つにつながっている。

ああ、分かった・・・・これが分かればすべて分かる。

何のために生まれてきたのかも分かる。どのように生きればいいのかも分かる。

なぜ、こんな簡単な事が分からなかったのだろう。

すべては一つ。すべてはつながっているのだ。すべての謎が解けた。

すべて分かった・・・・・もう、何もいらない。

安心・安らぎ・満足・本望・・・・

もう。何もいらない・・・・・安心していくことができる。安心して帰ることができる。

もう、何もいらない。

暗黒の宇宙の中で、地球だけが美しく輝いている。

周りがゆっくりと明るくなり、音響が湧き上がってくる。

光は、次第に輝きを増し、ハ-モニ-は強まってくる。

やがて激しい眩しさに何も見えなくなり、轟音に包まれて何も聞こえなくなる。

ああ、今から光の世界に帰るのだ。

自分の周りの強烈な光が、四方八方に飛び散っていく。

光の世界に入って行く・・・・ここには何もない。物質的なものは、何もない。

しかし、ここにはすべてがある。

過去・現在・未来のすべてがある。未来永劫がある。永遠がある。

めくるめく光の波。無数の映像、無数のフラッシュ。自分の過去・現在・未来のフラッシュ。

自分の未来。再生~地球環境~平和運動~そして死。

世界の過去・現在・未来のフラッシュ。

宇宙の過去・現在・未来のフラッシュ・・・・宇宙には、はじめも終わりもない。

10年後、ソビエトの崩壊。数十年後、アメリカの崩壊。さらに数十年後、世界の崩壊。

未来は決まっていない。未来は選択可能。滅亡も進化も選択可能。

未来は変えられる。

それには、この道を進むのをやめればいい。

左右に豊かな田園風景が見える。

廃墟へと続くこのハイウェイから、田園に続く道におりればいい。

足をアクセルからブレ-キに移し、ハンドルを切って横道に入ればいい。

未来はすべて決まっているわけではない。未来は現在につながっている。現在が変われば未来が変わる。

宇宙は永遠、精神生命体も永遠。すべては一つ。

自分は死んだのだ。そしてあの世(光の世界)に来たのだ。

物質的なものは何もない。ここには何もない。

お花畑も河原も。天国も地獄も無い。ここには物質的なものは何も無い。

宇宙のように何も無いのかと言えば、そうではなく、空間も無いのだ。

ちょうど目をつむって何かを考えているような感じ。

意識やイメ-ジはあるが、物質的なものは何も無い。

あるのは意識だけ。ちょうど暗闇の中で考えているような感じ。

自分の身体は無く、ただ意識だけがある。

自分の意識とは別に、もう一つ巨大な意識がある。

その意識はすべての意識の集合体のようなもので、全体意識とよんでもいい。

自分はこの全体意識の一部なのだ。全体意識にはすべてがある。

全体意識には過去・現在・未来のすべての出来事、すべての記憶がある。

過去の記憶、現在の出来事だけでなく、未来の記憶もある。

例えるならば、私はス-パ-コンピュータに接続されたパソコンのように、知りたいことは何でも知ることができる。

むしろ全体意識の中に自分(自意識 )があるといってもいい。

ここには過去・現在・未来という時間の流れも無い。例えるならばすべて現在である。

時間は意識の中に認識としてだけ存在する。

光の世界はゼロ次元である。ゼロ次元というのは、空間も時間も無いという意味である。

光の世界には何も無い。あるのは意識だけである。

光の世界はこの世のすべての場所、すべての時間に存在する。

光の世界はこの世とつながり、この世のすべてを包んでいる。過去現在未来は一つのもの、全てが現在である。

例えるならば、曼荼羅の絵のようなもの。

生命とは何か。長い間追い求めていた問い。その答えが分かった。

生命とは、光。

生命は光の世界から来て、光の世界に帰る。生命は一つ。

光の世界では、すべての生命が溶け合って一つになる 。

それだけでなく、この世でも生命は一つにつながっている。

生まれること、死ぬこと。光の世界とは白い大きな雲のようなもの。

生命は光の世界から来て、光の世界に帰る。雨粒が白い雲から降って来て、蒸発すれば白い雲に帰るように。

生命は光の世界では一つになっている。雨粒は白い雲の中では一つになっているように。

生命にはそれぞれの役割があり、その役割を果たすために生まれてくる。

雨粒にそれぞれの働きがあるように。

<転載終わり>

う~ん、深いです。

興味深いお話は、まだまだ続きますが、長くなるので一旦区切ります。

続く。

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