広島の原爆は『リトル・ボーイ』と呼ばれるウラン爆弾、長崎の原爆は『ファット・マン』と呼ばれるプルトニウム爆弾でした。
広島の原爆は約16キロトン、長崎は22キロトンもの規模だと言われています。
威力では長崎に落とされた原爆の方が大きいですが、長崎は周りが山で囲まれた地形だった為、広島よりも被害を抑えられたのです。
最初の標的となっていた小倉市に投下されていたら、平坦な土地の為、広島よりも被害が拡大していただろうと予想されています。
長崎市の平和公園で開かれた今日の式典には、過去最多の32か国の代表が参列しましたが、広島の式典と違ってアメリカ代表の姿はなく、被爆者からは落胆の声も聞かれたようです。
原爆投下の日から今日までで、長崎の原爆犠牲者は15万2276人となりました。
そして、長崎と言えば、さだまさしさんを語らずに私は今日を過ごす事は出来ません!
去年、さださんのお父さまがお亡くなりになりました。
最後は、白血病のようになって亡くなったのだそうです。
血小板が異常に増えるという病気になり、医師が血液データをさださんに見せながら、こう言ったそうです。
「あんたに見せても分かんないだろうけど、これねぇ、専門家が見たらねぇ、原爆症、って言うでしょうね。」
さださんのお父さまは、被爆者ではありませんでした。
戦後すぐに長崎にやってきて、被爆地、爆心地に近いところで生活はしてたそうです。
『被爆者じゃないのに、晩年89歳になってね、この血液データと、これどういうメッセージだろう。
最後、血液内科、一番優れてるのは、原爆病院なんで、長崎原爆病院で、僕の父は死んだんですけども。。。
この父の最期の、ダイイングメッセージっていうんですか。
これを僕はどう受け止めたらいいんだろう、って考え込んでるんです。』
最期の時に、お父様はこんなメッセージをさださんに残したのです。
そして、さださんはその意味に、しっかり気づく人でした。
長崎に投下された原爆とさださんは深い関係があったんですね。
さださんには、愛と平和を、歌や話や小説など、様々なものを媒体にして、世界に発信していくという役割があるのだと思います。
さださんが長崎に生まれたと言うのにも、ちゃんと理由があったのでした。
さださんの平和への取り組みのひとつを、次回にお伝えしようと思います。
昨日の忍野八海での赤富士(ライブカメラ)




