2011年12月24日(土) 10時17分35秒

シンクロニシティの条件。

テーマ:エッセイ 我思フ。
22歳で1億稼いだ現役早大生作家&社長・原田翔太のありえないブログ
師走とはよく言ったもので、確かに実に忙しい。
ここ2日は、1時間しか寝てなかった。そのせいか、家に帰って椅子座ったとたん瞬殺。

で、推定10分間くらい死んでた。遠くで呼ぶ声がして目が覚めた。あれが、俗に言う三途の川というやつだったのだろうか。笑 そんな気がしてならない。生き返ることができて感謝だ。^^

と、思った矢先、気がついたら床の上につっぷしたまま、倒れていたらしい。

なんとか「ぬおん・・・」と復活したし、今日はクリスマスイブというやつらしいし、とはいえ、特段やることもないのでとりとめもなくこの2日間の話でも書いてみようと思う。

おとといは、東進ハイスクールで受験勉強をしていたときに習っていた「ミスター現代文」出口汪先生と再会した。再会したっていうか、先生は僕の存在を認識していなかったので、初対面みたいなかんじ。高校生のときに習っていたので、嬉しかった。出口先生の粛々と語る語り口がすきで、勉強の楽しさに目覚めたばかりの当時の僕は、彼の「論理エンジン」という考え方に、とてもシンプルで美しいものの見方だな、と感動していたのを覚えている。

そんな出口先生が、今月吉祥寺駅前にオープンしたスペインバールへ足を運んだ。

同席者は、先日の日記にも書いたんだけど、最近急接近して近くお付き合いをさせて頂いているフォレスト出版の長倉さん。(写真がそのシーン)

出口先生の担当編集者でもあったりする。この人というのは、累計1000万部という出版の世界でも、モンスター級の実績を持つ、希代のスーパー編集者だ。こういう紹介だと、おそらく「すごい人」にしか思えないと思う。でも、僕に言わせれば、この人は、今も変わらぬいち「ロッケンローラー」。すごい人でもあるんだけど、それ以上に、かっこいい人なんだよ。

なにかというと、ビジネスの世界に、ロックの文脈を持ち込んで、新しいカテゴリを生み出した張本人。僕的な表現でいえば、そういう感じだ。そういう意味で、ちょっとした偉業を業界の中で成し遂げた、小っちゃな革命の体現者の一人なわけで、これは本当にすごいこと。金字塔を打ち立てた破壊と革命の先輩として、心から尊敬している。「僕より一回り世代くらい年上だけど、原田さんは、俺と手を結ぶ中に、生み出せるものがきっとある。」彼は一回り暮らし年下世代の僕に、その可能性を感じたと言ってくれた。だから僕は、長倉さんとこれから、一つの世界を揺るがす動きを作っていくことを決意した。僕は、これから、ある世界を見たくて、この人と一緒に共闘する。

そんな座組で、明るく楽しい本場さながらのスペインバールで、ぶっ通し5時間くらい話をしていた。変革を具体的なベクトルをもって共有できるというのは、とても楽しい時間だ。^^

そもそも、お二人ともfacebookを通じて、会話が始まった。きっかけはネットでのコミュニケーションだ。そこからわけもわからず短期間の間に、色々なものがつながった。そう思うと、素敵なツールだなぁと思う。最高の出会い系サイトだ。ばんざい!

*

で、昨日は僕の「師匠」と丸一日セッション。

師匠は、最近たまに書くけど20ヵ国語を操る「語学の達人」なのだ。英語はもちろん、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語などのメジャーなヨーロッパ系言語、ロシア語などのスラブ語系も専門の範疇だ。マイナーな言語まで含めれば20カ国語が、彼の自由に操れる範疇にある。

いま、何の気なしに、さらっと書いているけど、これってかなり「異常」なこと。じゃない?まあ、こんな人、なかなかいないよね。一言で言えば「希代の言語おたく」。そして、言葉と向き合うおもしろさ、深淵なる領域へアクセスすることの楽しみを僕に教えてくれた恩人中の恩人だ。

僕が、仮に、たった一人、自分の中の「メンターをあげろ」と言われれば、僕はこの師匠の名前をあげるだろう。神田昌典先生や、そのほかまだ名前を挙げたことのないメンターも含めて、やはり僕という人間の根幹を作る上で、一番の土台はこの師匠に与えてもらったものだ。だから、師匠も僕のことを「君は弟子です。」と認めてくれる。このことが、本当に嬉しい。学びという道の先にいく、本物の賢人だ。

今回帰国したのは、なんとロシア人の彼女と籍を入れるため!彼女は、経済学博士で、いま言語学のマスターをとろうとしている同じく変人。変人は変人としかいられないのだと思う。

この結婚には実は裏話がある。師匠は、今年、晴れて言語学の博士号を取得した。日本人で、海外の大学で博士号をとった先生は非常に少ない。たとえば、少なくとも僕が通っていた早稲田に、言語学で博士号を持つ先生は、本当に数えるくらいしかいない。
隣で見ていて、人文科学系の学問で博士まで修めるというのがいかに大変かということがよくわかった。一つの道を完成させた彼は、次の人生へ歩み始めた。

僕らは、この知恵を、「外」の世界へ届けるため、共に歩むことを決意した。そこにいたるまで、初めての出会いから実に12年の歳月を経過している。初めてあったとき、僕は小生意気につりあがった眉毛をした高校1年生のとき、彼は早稲田の学部生で僕の家庭教師として、だった。

これから行うことは、「小っちゃな革命」そのものだ。今は、まだ2人しかしら内、小さな小さな世界。でも、この活動は、後に百万人の人たちのもとに届く。そして、確実に問題意識を抱えた人たちを救う。果ては教育の中に一つの波紋を広げ、新たな文化を生み出せる。僕は、そう信じている。

*

僕の取り組んでいる仕事は、一つにはビジネスを語る、という側面。一つには、教育という側面がある。

純度は、どちらも100%ではない。ハイブリッドスタイルだ。

陳腐な表現でいえば、ビジネス×エンターテイメント×エデュケーションというかけ算式の構図になる。

どれにもなれなかった、中途半端なやつなわけだが、だからこそ生み出せる価値がある。
誰もがギフトを持っているとして、僕の強みの一つは、「バランス」なのだと思うようになった。これを見ている人が、原田翔太という人間をどう計るかは置いておいたとして、相当に器用貧乏な男だと我ながら思う。

言い換えれば中途半端だし、何者でもない。が、ゆえに相対する人間に応じて、あるいは関わる状況に応じて、柔軟に自分の役割を変えることができる。そして、極と極を結ぶことができる。これが自分の一つの才能なのだとはっきり認識したのはごく最近だ。だから、僕はこの「言語おたく」中の言語おたくという極を、言葉というもの、教養というものに対して全く無関心な人々の集団に対して届けていくつがいになろうと思った。

そのような立場において、僕は、いりプレイヤーとしてメッセンジャーの役割を担うこともあるが、同時に、プロデューサーでもある。そういう立ち位置に立って人とつきあうとき、いつも思うことがある。本気の人間と組んでやる仕事ほど面白いものはない。これだ。

逆に、中途半端な人間をプロデュースすることほど、苦痛はない。どうしょうもなく、退屈で、時間の無駄だとすら思う。そういう人間と話す1分は、本当に苦痛でたまらない。すぐにでもその場から逃げ出したくなる。というか、死にたくなる。

そも、プロデュースをする、ということはプロデュースされる側にとっても、僕というフィルターを通してある種のバイアスを加えるわけだから、猛烈な自己変革の痛みを伴う。時には安いプライドをボキボキへし折って頂かなければいけないこともある。もちろんプロデュースする側もそれは同じで、自分の中の既存の枠組みを何度か崩壊させるくらいのインパクトを伴ったプロジェクトというのは、「きつい」けど、これ以上に刺激的な経験はない。だから、きっと、変化への覚悟を決めていなければ、本来的に異物同士の混合から、『生み出す』ということはものすごく難しいことなのだろう。

チャレンジは、そのベクトルを互いに共有できたとき、はじめて始まる。情熱の指向性を重ね合わせられる人間とは、生涯何度も出会えるものではないのかもしれない。だから、そういう人間と人生を交差させることができるタイミングがあるとすれば、そのときは常に全力でいたい。

先日のセミナーでも「シンクロニシティ」(共時性)について話をしたのだけど、もう、少なくとも僕の周りでは、同じ指向性を共有する者同士が、どんどん「ルールを超えて」つながりあっているように感じている。

このままま、ぶっ飛んでいきたい人たちで、ぶっ飛んでいけたらいいなと思う。
そんな感じで、2つの『小っちゃな革命』のための会合をしていた2日間でした、というお話。オチはいつもどおり、なし。

さて、天気もいいし、ぼちぼち洗濯でもしてみっかな。

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