ある日、チベットのラマ僧が若い修行僧の集まりで、話をしていた。
ラマ僧は集まっている修行僧たちの前に容量1ガロンほどの広口の壺を置き、そこに1ダースほどのこぶし大の石をひとつひとつ入れていった。やがて壺が入り口のところまで一杯になると、ラマ僧が修行僧たちに尋ねる。
「この壺は一杯でしょうか?」
生徒たちは皆「はい」と答えた。
だがラマ僧は次にバケツ一杯もの砂利を取り出し、その壺へザーッとあけて振ると、大きな石のすき間にその砂利が入り込んだ。
それからラマ僧が再び尋ねた。
「この壺は、一杯でしょうか?」
「たぶん違います」修行僧たちも流石に何か気付いたようだ。
「よろしい!」ラマ僧はそう答えると、次にバケツ一杯の砂を取り出した。
その砂を壺にあけると、砂は石と砂利の隙間へと流れ込んでいく。
そして彼は再び「この壺は一杯でしょうか」と問う。
「いいえ!」修行僧たちは叫んだ。またもや「よろしい」ラマ僧はそう言うと次に水差しを取り出し、壺へと水を注ぐ。そして水が溢れそうになったとき「この例えの意味するところは、一体何でしょうか?」と問いかけた。
一人の若い修行僧が手を挙げて応える。
「自分の時間表がどれだけ詰まっていようが、その気になれは、いつでもそれ以上のものを組み込めるということです」
「いいえ」ラマ僧は首を横に振った。
「大きな石は先に入れなければ、後から入れようと思っても入らなくなってしまいます。あなたの人生にとって大きな石とは、何でしょう?
子供たち。
あなたの愛するひとたち。
あなたの教養。あなたの夢。
大義名分。他人の教育指導。
好きなことをすること。自分のための時間。
あなたの健康。あなたの大切な伴侶。
自分自身と他人への敬意。そして、地球への思いやり。
「大きな石」を、まず最初に入れることを覚えておきなさい。
さもなければ、それらを入れることができなくなるのですから。
もしあなたが砂利や砂のような些細なことに汗するならば、それは大した問題ではない。
あなたを悩ませる、つまらないことで人生を充たしてしまうでしょう。
そしてあなたは大きく、大切な事柄に費やすべき、本質の時間を持てなくなってしまいます。
ですから今夜・・・
いや、明日の朝にもこの話を思い出し自分自身に問うてみてください。
自分にとっての大きな石とは、何でしょうか?
そして、それをあなたの壺に最初に入れることです。


