拝啓 松下竜一先生(其の二)

テーマ:
人生の日曜日-CA3G034200010001.jpg

松下先生、『豆腐屋の四季』の中の、もう一つの記憶に残る挿話を語らせて下さい。
「運動会」の章。病弱で運動の苦手だった幼少期の先生にとって、運動会という催しが辛かっただろうこと、想像に難くありません。何故なら私もそうでしたから(笑)。特にリレーは、自分のせいでグループ全体が負けの憂き目を味わうのですから…
「四年生の日、私はとうとう団体競技を前に裏門から逃げ出した…「竜一ちゃん」とうしろから呼ぶ声がした。振り向くと母だ。母は私の小さな胸うちの秘めた悩みを見抜いて、たぶん私から目を離さなかったのだろう。私はワッと悲しみを爆発させて母に泣きついた。あの日、あの畦道の熟れた稲の香を今も忘れぬ。私は母に慰められて競技に戻っていった。私の組は私ゆえに負け、私は級友からさんざんにののしられた。だがあのとき私を追ってきた母ゆえに、とうとう小学校の六年間、私は運動会から逃げ出す卑怯をせずにすんだ。私は一年生から六年生まで、いやさらに中学の三年間も、例外なしに遥かな後方をただひとり懸命に走り続けた」…
本当に辛い記憶でしょう。しかし、御母様の優しさが先生に「遥かな後方をただひとり懸命に走り続け」る、真の勁さを授けて下さったのです。
「ただひとりで走り続ける」勇気こそが、後に火力発電建設阻止の裁判闘争、各地の市民運動を繋ぐ「草の根通信」の持続的な発行、病身を押しての反戦行動を可能にした、容易には消えぬ火種であり続けたことと想像する次第です。
さらに想像逞しくするなら、先生がノンフィクション作で取り上げた多くの人物-ダム建設に立ち向かった蜂の巣城主・室原知幸、大杉榮・伊藤野枝の遺児・伊藤ルイ、谷津干潟を再生させたどろんこサブウこと森田三郎氏、さらには東アジア反日武装戦線兵士・大道寺将司氏等々-も皆、「善良な市民社会」なるものから指弾・排斥されながらも己の志と生を貫いた「ひとり行く人」でした。先生はやはり、これらの方々に先生御自身の姿を重ねていらしたように思われてならないのですが、如何でしょうか。
さらについでに申せば、学校での競走では常に最後尾に甘んじなければなりませんでしたが、しかし、先生の全生涯を俯瞰して見ると、実は先生は遅れることで結果として、周回遅れで時代の先頭に立っていたのではありませんか?
今でこそ大企業すらが掲げる「エコ」なるものも、先生は既に三十数年前に「暗闇の思想」と、遥かにラディカルな言葉で言い抜いておられました。「環境権」も然り。快適性と効率を盲目的に追求するエネルギーの過剰消費が招来する破滅を、先生は見抜いておられた。
「スローライフ」なんてものも先生は、昔から実践してらっしゃいましたね。もっとも、先生の言い方では「ビンボー生活」になってしまうのですが(笑)。金やモノのために人生を費やすよりも遥かに豊かな精神的生活の形を、先生はいささか自虐気味に「売れない作家のビンボー暮らし」として、我々に楽しく温かく伝えて下さいました。その時のキャッチコピーも秀逸でした。「少しビンボーになって競争社会から降りようよ」
これもまた、あの稲の香の匂う、運動会の季節の苦痛の記憶から、先生が掴み取った貴重な心棒と思い見なすのは些か想像逞し過ぎましょうか。

(つづく)

AD