数年前、インタビューの仕事で
社命による「ボランティア」として
阪神淡路へ行った方の体験談をきいたことがある。
彼は平凡な東京のサラリーマン。関西に親戚さえいない。
「社命ですから、行かざるを得なかったんですよ」
「はぁ、社命ですからねえ…」
「医師でもない、土地勘もない、そんな自分に、できる仕事は限られていたんです。ハードな肉体労働を割り当てられましたよ」
「といいますと?」
「担架を担いでいました」
「けが人の搬送で?」
「いいえ」
「じゃあ?」
「…言っていいですか?」
その方は、ずっと、担架で死体を運んでいたそうだ。
「大変でしたね?」
「ええ、でも…そうでもありませんでした」
「なぜ?」
反射的に質問が出ていた。無神経だと思いながら、そこを突っ込むのが記者の仕事だ。
「亡くなった方は、自分で動けないわけですよ…」
だから、運んであげないといけない。
だってそうでないと、可哀相でしょう…そう思いながら赤の他人の死体を何十も担架で運んだ。
「……」
言葉が出なかった。
インタビュー終了後
「暗い話ですから、書かないでくださいね」と
同席した広報担当者からはNGが出た。
そう、その企業がどれだけ社会貢献をしているか、
それをPRするための広告取材のインタビューだった。
…明るい話を書かねばならぬ。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
今でもときどき思い出す。
大きな災害の影には必ず、死体を運び、棺桶を並べる人がいる。
亡くなった方も、運んだ彼も、書くなといった広報担当者も。
人間なのだなと思う。