日本では甲子園で盛り上がる暑い夏真っ盛りの今日この頃、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。ラオスでは、首都で一日限りの日本夏祭りを開催。ヨサコイソーランを披露して、その後の猛烈な筋肉痛に涙目。
さて今回は、義手・義足支援NGO『COPE(Cooperative Orthotic and Prosthetic Enterprise)』のお話。
COPEビジターセンターの看板。
通りからすぐ見つけられます。
『COPE(Cooperative Orthotic and Prosthetic Enterprise)』は、ラオスの地に大量に残された不発弾(UXO)の被害者のために義手・義足の製作、リハビリサービスを提供するラオス唯一の団体です。
1997年に英国のNGO『Power International』が中心となり、ラオス保健省と複数のNGOが共同で設立しました。運営資金は、主にラオスを含む各国政府やNGO(Power International、World Vision、The Leprosy Mission Internationalなど)、企業、個人からの寄付によるものです。
COPEビジターセンターは、国立リハビリテーションセンター(NRC)内にあり、ビエンチャン最大の市場『タラート・サオ』から用水路沿いに500mと、比較的行き易い位置にあります。
2007年1月、NRC内に障害者用体育館が日本政府の支援により建設されました。
障害者体育館の開所以来、車椅子バスケットボールチームも正式発足され、国内団体対抗戦を年4回開催するまでになっています。また、バトミントン、盲人卓球、ゴールボールなどが盛んになってきており、たくさんの障害当事者がこの体育館に集うことで、仲間とスポーツを楽しみ、互いに学びあうことができるようになりました。
ラオス・パラリンピック委員会、ラオス障害者協会も組織され、2012年のロンドンパラリンピック大会や2013年の第3回アジアユースパラゲームズ、そして2014年の第11回アジアパラ競技大会への出場に向けて、練習に励んでいます。
義手・義足製作センター。工房では 義肢の展示。一人ひとりに合った
義肢装具士がたくさん働いています。 ものを丁寧に作ります。
このセンターでは、義手や義足を製作しています。手や足の型を石膏で取り、その上にプラスチックをかぶせて固めたあと、石膏を取り除いて完成です。その後のリハビリまで行っています。
義肢製作工房。一つひとつが手作り リハビリテーションセンターなら
です。職業訓練・雇用の場としても。 ではの工夫が。わかるかな?
COPEは、国立リハビリテーションセンターのスタッフや義肢装具士の育成も行っています。ちなみに、50ドルの寄付で、義足が一本用意できるそうです。
50ドルと言えば、一般的なラオス人給料の一か月弱分。とても高価なものです。ましてや障害を持った人にとっては、その金額を稼ぐのは容易なことではありません。
製作センターの横には、不発弾の被害の恐ろしさやその処理活動について紹介するCOPEビジターセンター。
COPEビジターセンター。それ程大きく
はないが、中はとても充実している。
入口横のたくさんの花。その植木鉢 入口横のモニュメント。不発弾から
に使われているのは不発弾の殻。 作られた、爆撃から逃げる母と子。
ビジターセンターに入るとすぐ、8畳ほどの小さな売店があり、COPEのTシャツやマグカップ、本や少数民族のぬいぐるみなどが売られていて、その売り上げは『COPE』の活動資金になります。
回収業者に集められた何種類もの クラスター爆弾からばらまかれる
爆弾の数々。 無数のボンビー爆弾。
センター展示室に入ると、回収された不発弾がたくさん並んでいます。その種類の多さを見るだけでも、いかに不発弾処理が大変かが容易に伺えます。爆撃の様子や不発弾により被害を受けた村人たちの写真なども展示されています。
その展示コーナーの中央には、クラスター爆弾から無数のボンビー爆弾がばらまかれる様子を模した展示物があります。
クラスター爆弾が落とされた瞬間に、逃げ場などは微塵もなく、死を覚悟せざるを得ないことが伝わり、その恐怖感に圧倒されます。
展示コーナーの横には、不発弾に苦しむ村人の生活や空襲の様子、不発弾除去の活動の様子をおさめた映像が見られるシアタールームがあります。
不発弾の暴発により視力を失った 大量のクラスター爆弾を投下する
村人とその家族の生活。自分の子 アメリカ軍戦闘機。その中には、さ
どもの笑顔が見られない。 らに大量のボンビー爆弾が。
集められた不発弾の山を通り登校 不発弾を回収するMAGのスタッフ
する子ども。死があまりにも身近に。 たち。危険と常に隣り合わせ。
不発弾に苦しむ村人たちの、あまりにリアルであまりに悲しく、そして厳しい現実を突き付けられ、胸が苦しくなります。
そこを出ると、壁には空襲の様子を描いた村人たちの絵が展示されています。
一瞬にして焼き尽くされる村々と 次々と容赦なく訪れる死。あまり
確実に迫りくる死の恐怖。 に無力。
目の前で突然、前のめりに崩れ落ち 愛する人たちを埋めなければなら
ていく村の女性。母親か姉妹か。 ない苦しみ。生き残ることも地獄。
ラオスは一人あたりに落とされた爆弾の量が世界一多い国です。その爆弾の30%が未だに不発弾として残ってしまっており、なおも人々を苦しめ続けています。
センターの奥には、義足体験コーナーも。
義足体験コーナー。想像以上に思い 福祉用具の展示。障害者の生活
通りに動くことができなくて辛い。 動作を補助する「自助具」の展示。
隣接する日本のNGO『AAR(難民を助ける会)』が作る車椅子も展示されていて、実際に乗ることも可能です。
先日、首都のナイトマーケットで、車椅子に乗った3人の人たちが、バルーンアートの風船を売っているのを見かけました。風船を作ってそれを売り、現金収入を得る。
福祉が少しずつではありますが一歩一歩確実に進んできているのを感じた瞬間でした。
一般的。レバーを前後して走行。
しかし、ちょっと地方を見ると、車椅子に乗ったお年寄りが物乞いをしている姿をよく見かけます。この国にはまだ障害者が働くことのできる職が圧倒的に不足しているのです。
家族のつながりが強いため、障害者は家族たちの多くの手によって無理なくその生活が支えられます。本来、これがそうあるべき姿なのでしょう。しかし、そのために福祉の発展が遅れているのも現実です。家族を持たない障害者は、行く当てがなく厳し生活を余儀なくされてしまうのです。
COPE紹介用のポスター。義肢の青年が
満面の笑みでその足を見せています。
この義足の青年の笑顔は、実はそこに至るまでに想像を絶する苦しみがあり、それを乗り越えて、やっと掴んだものであるということを、センターのスタッフが教えてくれます。
一人でも多くの不発弾被害者が、こんな風な笑顔を見せられるように支援していくことが、負の遺産を償う全世界の責任です。
現在は『UXO LAO』というNGOが『国連開発計画(UNDP)』や『日本地雷処理を支援する会(JMAS)』などの技術協力、指導を受けながら、不発弾の除去活動や地域での啓蒙活動を行っているほか、『MAG(マイン・アドバイザリー・グループ)』や『ハンディーキャップ・インターナショナル』などのNGOや営利企業も活発に活動をしています。
外国人がアドバイザーとして、技術指導などを行っているが、将来はNGOの手を離れ、ラオス人だけで運営していくことが目標だといいます。
サラワン県、シェンクワン県へ行くと、未だに不発弾に苦しめられている村を実際に目にすることができます。
100万個以上も残っていると言われるラオスの不発弾が、一日も早く除去され、子どもたちが自由に野山を走り回れる日がくることを祈っています。
このCOPEビジターセンターで、戦争の悲惨さ、残酷さ、不発弾の恐怖などについて、実際に耳にして、目にして、手に取って、感じて学び、それらを後世に伝えていくことが大切なのではないでしょうか。