2011年07月09日

普段の立ち位置

テーマ:生き方

「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」山中鹿之助(幸盛)



人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。 
 急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なく心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え。
 勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば害その身に至る。
 おのれを責めて人を責むるな。
 及ばざるは過ぎたるより優れり。


徳川家康



普段から何を普通と思って生きているかで、壁や辛いことがあった時の対処能力が違ってくるように思います。

「何でも来い!」「Welcome trouble」「何があっても絶対に逃げない」と決意しながら生きていければ後は幸せしか待っていないんだと思います。

弱気になった時にはなかなかそう思えるものではないですが、元気のいい時にこそ、意識的にこう思う習慣を身に着けていきたいなと思います。

そして、いつの日か、意識下では楽な道よりいばらな道を選択する生き方を選ぶ人間になりたいな。

そのためには、何が必要なのか、何が足りないのかを真剣に考えていきたいです。







2011年07月02日

集中できない時には

テーマ:仕事

気持ちが不安定で、右脳的にエネルギーが停滞している時には、左脳的な作業をしても効率が悪くなります。

別の言葉でいえば、どうしても何かにとらわれていて集中できない場合には、気持ちが入らないのでいい仕事はできません。

では、そんな時には何をすればいいのだろうか?

例えば

☆掃除

そんな時こそ、心を落ち着ける一番の方法は掃除をすることではないでしょうか?

掃除することで周りもきれいになり、自分の心も安定してきます。



☆頭を使わない単純作業

単純作業をしていくことで時間が少しずつ悪い「とらわれ」を薄めてくれます。

集中できる時には時間がもったいないですから、こういう時に気分転換にすればいいのです。

人は感情の動物ですから、いつもベストな状態ではありません。

野球でもそうですが、自分がベストではない時に自分をどうコントロールして持ちこたえられるかが、1流選手と2流選手の違いだと思います。

日常においても、いい時には誰がやってもいい結果は出るのですから、集中できない時こそ、いい環境でない時こそ、そこをどう乗り切れるかで、トータルの成長が違ってくるのだと思います。

2011年06月28日

嫌なことがあったら…

テーマ:生き方

何か嫌な事があったり、頭にきたことがあったら、今を見ないで未来を見るようにしています。




今は腹立たしいが、この腹立たしい出来事は、未来に成長や成功するために、何か活かすことはできないか?と考えれば………




出るは出るは、いろんなプラスの要素が………




こう考えれば、少しは前向きに嫌な事を受け入れられるんだと気付いた今日この頃でした。

2011年06月22日

継続する理由

テーマ:生き方

最近、何かを始める時に意識することが3つあります。

一生をかけて取り組んでいくテーマだと決意しているか。

必ず壁が来ることを覚悟しているか。

必ずリバウンドが来ることは覚悟しているか。

これらを考え、一生する価値があり、壁があっても諦めない理由があり、以前のように戻ったとしても再度続ける意思があるか、を自分に問いかけてから何かを始めます。

初めから、これらのことをしっかりと自分の中で整理できていることは、少ないですが、これら3つが自分の中で腑に落ちないことは、決して継続できないと思っています。

ダイエット然り、英会話然り、ブログ然り、仕事然り………

何かを始めてからも、これら3つのことは常に自分に問いかけながら頭を整理しながら行動しています。


人は簡単に物事を始めることはできますが、続けるためにはそれ相当の納得できるワクワクできる理由が必要なのではないでしょうか?

2011年06月20日

無関心VS過干渉

テーマ:教育

「愛」の反対語は「無関心」だとマザーテレサは言っています。

だからと言って、過干渉と愛とは違うと思います。

部下や子供を持ったら、愛が必要になってきます。

「無関心」が良くないからと言って過干渉になってくれば、部下や子供は反発してくるでしょう。

野球のコーチが、選手を指導しすぎることによって選手が壊される例は後を絶ちません。

子供にしても干渉しすぎて子供がぐれたり、親子関係がぎくしゃくしたり、依存心が強くて1人前になれない大人になってしまうでしょう。


愛、無関心、過干渉……世の中すべてに言えることですが、すべてはバランスの問題だと思います。

私自身、社員も小さい子供もいますので、教育に関しては考えることが多々あります。

教育で大切なことは「愛」だということは間違いないでしょう。

根底に「愛」があれば、何をするかの方法論は、多少の間違いがあってもいいと思っています。

「教育」とは何かと聞かれば、社員や子供が未来を強く生きていける人間にする手伝いをしていくことではないかと思います。

彼らが、自立するために、干渉する必要があるときは干渉し、見守っていた方がいいと思った時には、見守っていればいいと思います。


無関心と見守るとはやっていることは同じように見えても思いが違います。

ある意味、手を差し伸べる方が断然簡単なのです。


よく言われる例で、困っている人にお金や食べ物を与えることは簡単です。

しかし、本当の愛は、食べ物を与えることよりも、今後食べ物を獲得できる方法を身につけさせることだと言われています。

与えられることに慣れてしまえば、与えられない状況に不平不満を言い、自分の頭で考えない人間になってしまいます。


ティーチィングよりもコーチィングが大切というのは、教えることよりも気づかせることの方が何倍も大切なのです。

私自身、子供時代に親からもっとかまってもらえていたら、もう少しは優秀になれたのではないかと思った時期もありましたが、今では私の判断で自由に生きさせてくれたことで、自分の頭で考えれるようになったことをとてもありがたく思っています。


社員や子供から、無関心や野放しにされていると感じられれば干渉する割合の修正が必要かもしれませんが、彼女らが、愛されている、見守られているという信頼関係があるのであれば、彼女らの潜在能力を信じていく方法の方がいい結果に結びつくと思います。

2011年06月18日

仕返しvs成長

テーマ:生き方

誰かに嫌な気分にさせられると、まずその人への仕返しを考えてしまうのが人の常のように思います。



私もそうですが、100人中99人はそうではないでしょうか?



後の1人は相手への仕返しではなく、その出来事を自分の成長のために考えたり、その出来事にとらわれないで、違うことへ考えを移行します。



嫌な気分にされた時点で、その人の感情は悪循環に入っています。

そこで仕返しを考えると、悪循環が定着してしまいます。

一方、同じ出来事でもいい方に考えたり、違うことへ考えを移行できる人は、悪循環を一瞬で回避できます。


わかりやすい例で言いますと、ある日、犬のウンコを踏んでしまいました。

自分の靴はウンコを踏んでいると考えている限り、気分はすぐれません。

ウンコを踏んだことを忘れるか、ウンコを踏んだ靴がこの靴でよかった、とかいい方に考えて、少しでも早く嫌な気分から脱しなければなりません。

最悪なのは、このウンコをした犯人を捕まえて文句の一つも言ってやろうという対応ではないでしょうか?(笑)


嫌な気分にされた時に、仕返しいたい気持ちはあっても、たいていの場合は実行できません。

それならば、仕返ししたい気持ちを成長や成功に気持ちを切り替える習慣にしていきたいと思っています。


そうなった時、僕の人生は成長と成功しかない人生に変わっていくのだと思います。

2011年06月13日

泣いて馬謖を斬る

テーマ:仕事

中国に「泣いて馬謖を斬る」ということわざがありますが、クリニックを経営していて、優しさと厳しさのバランスに悩むことがよくあります。

自主性と強制的ともいえるかもしれません。


できることならどの経営者も、社員の自主性に任せ優しく接したいものです。

しかし、仕事というものはあるレベルに達しなければ仕事をしたことにはなりません。

趣味は自己満足でいいですが、仕事は他者満足を得て始めて完結します。

プライベートな友人関係ならミスをしても「ドンマイ、ドンマイ」ですみます。

しかし仕事においては、自分がミスをするということはお客さんなり、同僚に迷惑をかけることになります。


職場は仲良しクラブではありません。

お互いのミスを許しあうという風潮の裏には、「自分がミスをした時も許してね」という暗黙の甘さが隠れています。


お客さんに迷惑をかけておいて、「ドンマイ、ドンマイ」ですます風潮の会社は、遅かれ早かれつぶれていくでしょう。

その時点で、「ドンマイ、ドンマイ」でなかったことにやっと気がつきます。

しかし、「時すでに遅し」なのです。


経営者は社員に比べ、常にお客様を意識していますので、小さなミスにも敏感ですが、社員によっては、ミスに対する温度差があります。

小さなミスに対しても許されないこと、という緊張感がある職場と、小さなミスなので「ドンマイ、ドンマイ」で人間なんだから仕方がないではないかという雰囲気の会社では、ミスの頻度も違えばお客様の満足度も違ってきます。

その差をコントロールできるのはトップの経営者しかいないと思っています。

「和」を強調しすぎるあまり、「厳」がおろそかになりがちですが、「厳」があってこそ「和」に意味が出てくるのだと思います。


トップは、どうしても目の前の社員の顔色を見がちですが、社員に迎合して「ドンマイ、ドンマイ」ですましているのか、見えないお客様のほうを見て適度な緊張感を維持していくために「厳」を取り入れるのかでその会社の将来性が決まってくるように感じます。


「和」で妥協するのか、「厳」を取りいれられるかは、最終的にはトップがその会社をどういう方向に進めていきたいかの「思い」の違いで決まってくるように思います。

2011年06月11日

結婚と採用

テーマ:仕事

今は結婚していますが、独身時代に、結婚相手を決めるまで、いろんなことを頭で考えていました。

そして結婚が38歳と周りの友人よりも遅くなってしまいました。

当時から結婚はゴールではなくスタートだとは思っていました。

結婚後は見ず知らずの人と生活を共にして、普通に暮らせば4050年近くを一緒に過ごすことになります。

できれば、喧嘩は少なくしたい、自分の考え方を受け入れてくれるような価値観の近い人と結婚したい、将来的に起こるであろう問題点も解決できるパートナーでありたい……

相手が自分との結婚に何を期待しているのだろうか?

その期待に自分は答えられるのだろうか?

自分をアピールしたいが、期待されすぎないようにしないと、後で約束が違うなどともめることは嫌だ、等々……


いろんなことを考えれば考えるだけ、結婚というものが怖くなったり慎重になってきました。

友人からは「頭で考えないで好きという感情で動けばいいじゃん!」とじれったがれましたが、年齢とともに理屈っぽくなってきて、右脳よりも左脳が発達してしまい、どうしても結婚後の生活を冷静に判断している自分がいるのです。

どういう人と結婚するのが一番最適か、どういう人とだったらうまくいくか等々………

今となっては笑ってしまうような昔の思い出ですが、歯科医院を運営していて人を採用する際も同じようなことを考えている自分がいます。

一度採用すれば、その後長い付き合いになるのだから、きちんとした人を採用したい。

いったん採用したら、できるだけ目をつむって長い目で見守らなければなりません。

そのためには、採用時や試用期間中に十分観察して判断しなければと思っています。

クリニックに適した人材を採用したいが、相手の求めているものとこちらが提供できるものとが一致しているだろうか?

過度の期待をされて入社してもらっても、行き違いがあるといけないし、甘い考えで入社されても周りのスタッフに悪影響があるので厳しいことを言わなければいけません。

お互い知らない者同士が、面接や入社して今後のことを判断していくので難しい点は多いです。


年々クリニックのレベルが上がってくれば、求める社員のレベルも毎年上がってきます。

相手を見抜く力というのは技術ではなく直観力のような気がします。

直観力というのは、多くの経験を積んで身に着けていくしかないのではないかと思います。

いろんなことを試しながら、いい人材を確保していきたいと考えていますが、まずは自分が成長していくことが直観力を身に着ける唯一の方法ではないかと思い自己修練していきたいと思います。

2011年06月06日

注文が来ない!

テーマ:生き方

先日、牛丼屋で昼食を食べていた時、隣の人よりも後から来た私の方に、先に牛丼が運ばれてきました。

「あれ?!」とは思いましたが、「隣の方は何か時間がかかるものを注文されたんだろうな」と思ってそのまま食事をしていましたが、しばらくして、その方は返金を希望して立ち去られました。

「あ~やっぱり!」という感じで、社員の方が注文を忘れていたみたいでした。

私もこのお客の方と同じようなリアクションをしたことがあるので、返金して立ち去られる気持ちがとても理解できます。


しかし、今はなるべく穏便に済ましていきたいと考えています。

返金希望して立ち去ることで、少しは「俺は怒っているんだ。ざまあみろ!」という気持ちも解消できるかもしれません。

しかし、結局、一番損をするのは腹を立てた自分のような気がします。


その場で、「注文したものがまだ来てませんよ!」と言えば、あと23分で急いで牛丼は出てきます。

しかし、また別の店に行けば、怒りとともに新たに待つ時間も発生しますし、その日一日嫌な気分で過ごさなければなりません。

相手の為というよりは、自分の時間を無駄にしない為にも穏便に許してあげた方が得だと思います。


今回においても、隣の方には何の落ち度もありません。

落ち度もない上にイライラさせられたのでは、踏んだり蹴ったりになってしまいます。


自分の感情をコントロールできるのは自分だけです。

他人が自分のことを不愉快にしているように見えますが、その流れに乗る決断をしてしまうのは、やはり自分なのです。


怒ることが当然の場合でも、せめて怒りを少なくしていくことが自分の時間を無駄にしない為にも大切な事のように思います。


上記のように言うのは簡単ですが、それを実践することはとても大変な事なのはよく分かっています。

しかし、幸せって「嫌なことを最小限に感じて、いいことを最大限に感じる」

習慣の中にあると信じています。





2011年05月31日

何のために頑張るか?

テーマ:生き方

何のために頑張っているかと問われたら、今後もその理由は変わってくるとは思いますが、今は「自分を好きになるため」「自分に自信を持ちたいから」かなと思います。

毎日のすべての行動は「自分を好きになる」「自信を持つ」ために行っていると思って行動しています。

「こんなことを考えたり、行動する自分を好きになれるだろうか?」

と自問した時に、自分のとるべき考え方や行動が決まってくるように思います。

1つ1つの考え方や行動が、少しでも成長できていると感じた時には、好きな自分に近づいている自分を認めてあげるようにしています。

そして成長することに疲れた時は、休むようにしています。

一生かけて少しずつでも、自分を好きになり、自分に自信が持てればなぁ~と思います。

Slow & steady win the game.

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