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タイトルとは全然関係ありませんが...
先日「メタ」についてのことに触れたのでその続きを少しだけ。

考えてみれば「広告」ほど「メタ」なものもありません。

企業が消費者に売りたい商品を売るために、広告会社が企業に「売る」商品なわけですから、まさしくメタ商品と言えるでしょう。
コピーなどのクリエイティブというものが「この商品を買ってくれ」ということを伝えるための情報なのだとすれば、立派な「メタ情報」とも言えます。

しかしメタとは「高次な~」という意味でした。それでは広告会社がその他のメーカーや商社に比べて上等な会社とでも言うのでしょうか。広告はいろんな娯楽や芸術や情報よりも高等なのでしょうか。それもたぶん違いますよね。

広告が高次なのは、いつも末端に位置させられているユーザーから見た場合なのです。

広告関連の会社は尽く社会の中では「黒子」のような存在。決して表舞台には出てきません。
それはお金を出して露出の機会を買っている企業をたてるためだと言うのは、お題目にすぎません。

これまで世間一般の人が抱いていた広告に対する不信感も、この「目に見えない」高次の存在に対する不信感だったんだと思います。

もっとも、メッセージの裏に別の含意が隠されていること事態は日常でもよくあることです。
むしろ、日常的な場面でこそ多く見られるコミュニケーションでしょう。

人対人のコミュニケーションにおける含意に対して、
人対広告のコミュニケーションにおける含意には妙に警戒をしてしまう理由は何なのでしょう。

お金の問題かもしれません。この含意を忍ばせたメッセージを送ることに幾らかかっていて、それがどれだけ商品の値段に関わっているのか、と勘ぐってしまうのかも。

組織のせいかもしれません。時にお客様は神様ですと表現されるように一義的に個人と企業との力関係を計れないという理由も考えられるでしょう。

単一方向性のせいかもしれません。人対人であれば、メッセージに対して色々な反応の仕方がありますが、広告に対し個人がとれるレスポンスは非常に限られています。無視するか、無視しないかの2択。いえ、無視した場合はそこにコミュニケーションが発生しなかったとしてカウントに含まれないために、極論すれば一択かもしれません。

もっと単純に総量のせいか、あるいは純粋なメッセージとの割合のせいなのかもしれません。企業と消費者との接点の大部分が広告である場合も多いでしょう。確かに人対人の場合でも、いっつも何か裏がありそうな人とは関わりたくなくなりますよね。

いずれにせよ、この人対組織の間に存在するわだかまりや歪みみたいなものを、徐々に少なくし最後には無くしてしまうことが必要です。
その時に、広告代理店という「組織体」についても考え直す必要が出てくるでしょう。
広告を効率的に制作し流通させるための存在が、逆に企業と人との間で何かブラックボックスのような働きをしてしまうようではいけないということです。