アメリカの生活が長かったとは言え、根本的に日本人の心を失っていない僕は、行いを積み上げることが自分の徳になるような考えがどこかにあります。
でも、これって全然クリスチャンらしい考えではないですが・・・
たとえば、最近教会でメッセージをしましたが、メッセージをしていない時は何だか心が空っぽになります。
これはジムでのワークアウトなどにも言える事で、僕は自分で決めたルーティンをやり遂げないと、"自分に負けた"みたいな強迫観念にかられてしまうので、たとえへとへとでも最後まで自分のルーティンをやり遂げます。
ですから、信仰生活においても、聖書を読まなきゃだめだ!祈らなきゃだめだ!ってな感じで、行い先行主義に走ってしまうところがあります。
そうしなければ神様に認めてもらえないみたいな・・・
でも、神様の恵みはそんなチッポケなものではないですね。
もし、行いを積み上げることでしか、神様の恵みを受けることができないならば、いろんな事情もあって、いろんなことができない人は、恵みを受けれないということになってしまいます。
僕が持って生まれた日本人のアイデンティティは、当然捨てることはできませんが、その日本人のアイデンティティと神様の恵みがぶつかり合うとき、僕の葛藤が始まります。
自分を満たすものは自分の行いなのか、それとも神様の恵みなのか。
この答えを本当に心で理解するための旅を今まで続けてきました。
そして、十字架上のイエス様を見上げるという作業も。
もし、僕が行いによって完璧になれるなら、イエス様は死ぬ必要はありませんでした。
イエス様が死んでくれたから、こんな僕が神様の目に高価で尊い者とされているわけです。
この神様の恵みだけが、これからも僕にとっての最大の心の支えであるべきです。


