札幌の学習塾アポリア数学工房塾長hen-aporiaのブログ

札幌の数学塾なのか。
それとも、札幌の物理塾、化学塾。
あるいは、札幌の国語塾、社会塾。
さては、札幌の英語塾、古文塾?
譲れぬものが、あるのか無いのか。
それとも、現在が永劫回帰なのか。
自問自答は続きます。
そして、新たなジャンルを勝手に開拓します。

 冬はまだきーで、いくらか暑い日さえある。


 ただ、冬の木々になっており、陽も短い。


 こういう季節は、体調さえ悪くなければ最高の時だ。


 そして、今年はそれほど体調は悪くない。


 なので、階梯を刻む。


 誰も歩いていないのか、それとも誰かが来た道なのか。


 そういうことも、階梯を刻むごとに明らかになるだろう。


 日がだんだん短くなるこの季節は、まさに階梯の刻みの時だ。
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 何事にも自信とは大事だ。

 

 自信とは、しかしながら、自分だけでは成立できない。

 

 他者が認めて初めて自信となる。

 

 逆に言えば、他者が認めないと、それは自意識過剰なだけだ。

 

 

 

 

 

 自信とは、自分を高める。

 

 しかし、往々にして自分を高め過ぎる。

 

 ここが問題だ。

 

 自信を一度得た者が、成長するのも、おかしくなるのも、自己評価の在り方にある。

 

 

 

 

 

 オレの経験上言えるのは、自分を評価する相手が近隣の人間だけならダメだ、ということだ。

 

 特に、都会の自称天才たちは、この点でイタイということで一致している。

 

 

 

 

 田舎から来た普通の人間で、都会の人とおんなじ力を持っているのなら、間違いなく田舎の人の勝ちだ。

 

 それは、自然というものと触れ合う機会があるからだ。

 

 自然と触れ合うと、人間は傲慢から免れる。

 

 

 

 

 

 人間だけの環境の人は、すぐ多感になり、速攻で落ちぶれる可能性が高い。

 

 それは、実際自然と相対していないからだ。

 

 自信とは、自然に生まれるもので、人間のことでありながら、「自然」と親和力が高い。

 

 そして、オレの言う自信とは、みんなにとって認められるような自信のことであり、自己満足とは真逆だ。

 

 

 

 

 

 いくらでもいる。

 

 自称「自信がある人」など。

 

 極論を言えば、それは保健室に登校する人や、自宅に登校する人のことだ。

 

 

 

 劣等感と人工的な自信とは同義だ。

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 数学をやる。

 まずは、あるからやる。

 しかし、その意味など問うことはあまりない。

 

 

 

 この辺りに受験数学とか、一般的な学校の数学の意味がわかりずらい理由はある。

 

 だが、数学の意味とは、何度もやってみないとわからないものだ。

 

 だから、オレの仕事は、それぞれの人に対するそれぞれの必要性に応じた数学を与えることだ。

 

 

 

 とは言っても、オレ自身が数学の必要性を作り出している訳ではない。

 

 あくまでも、現状とその人間の適性を踏まえた上で、必要性をオレが判断してからの会話だ。

 

 

 

 

 そもそも余程数学が好きでない限り、数学など直接役には立たない。

 

 あくまでも、その使用価値にこそ意義はあるのだ。

 

 そして、そのその人それぞれにとっての存在意義を自分自身で認識できていることは少ない。

 

 なので、オレが代行するのだ。

 

 

 

 

 中学の数学における、~の応用、例えば「1次関数の応用」とか「方程式の応用」とか、「相似の応用」などは、普遍的に誰にも大事な訳ではない。

 

 特に、代数分野の「方程式の応用」などは、大学受験には全く関係ない。

 

 だから、中高一貫の学校の中学生で数学があまり得意でない生徒には、極めて少数の問題の解法を覚えなさいとしか言わない。

 

 もちろん、数学が勝手にできてしまう生徒は勝手にやるので、そんな話にはなりようもない。

 

 

 

 

 

 数学をはじめとして、ほとんど全部の教科に言えることだが、今やってることがずーっと役に立つことなどまれだ。

 

 はっきり言って、そういうことがあったなあという感じのノスタルジアにしか過ぎなくなるのだ。

 

 したがって、日常の学校生活における数学や定期試験の数学と、大学入試の数学との間には、とてつもない深淵が存在する。

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 オレは会話する。

 

 会話が仕事だからだ。

 

 一見、数学とか理科系科目は会話など関係なさそうだ。

 

 だが、オレの仕事は、いかに生徒のみんなに点数を取ってもらうかだ。

 

 そのために、一番大事なのは、技術以前に会話が成り立つかだ。

 

 もっと言うと、いかにいい空気を作れるかだ。

 

 (いや、もっと言えば、いい空気になっていただけるかだ。)

 

 

 

 

 オレは、意外に技術をうんぬんしない。

 

 もちろん、それはシステムが無いからだ。

 

 それは、大いにこれからの課題だ。

 

 だが、それ以前の問題があることを、オレは経験上知っている。

 

 それは、まさに、communication に外ならない。

 

 

 

 

 この communication は、知とは矛盾するのだ。

 

 智に働けば角が立つのだ。

 

 何も難しいことなどではない。

 

 その辺のありきたりのことだ。

 

 つまり、自分が「知」とか「智」であるのは、実に窮屈なことだ。

 

 

 

 

 

 このあたりの事情は、どうもふつうの倫理に流されている感じでは分からないらしい。

 

 しかし、ふつうの倫理とは、実に「つまらない」という語と同義だ。

 

 つまらないことを、つまらないもので固めていると、年を早く取っていく。

 

 

 

 

 

 何もみかけだけとは言えまい。

 

 精神の死を、多くの者がもう既に迎えているではないか。

 

 そんなのを見て、「ラッキー」。

 

 

 

 

 勝手に利益の源泉を自ら断ち切ってくれているのは、臣民が増えている感じで微笑ましい。

 

 偉いとか、立派だとか、そういうふつうの倫理の方々は実に有難い。

 

 自分が規準であるかのようで、実は幻想の世間が基準だからだ。

 

 

 

 

 そうだ。

 

 だから、世界は絶対勝者と敗者の存在となるわけだ。

 

 絶対を教えられて信じ、自分=世間を疑わないことこそが、会話をつまらなくする人生の「(自称)勝者」だ。

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