愛とは何か?

それは禅問答や哲学のようなものです。なんせ愛なんてものは人の こころ にあるとらえどころのないものですから、一言で簡単に説明することはできないでしょう。ブログの一記事ですべてを語りつくすことなど不可能です。

とりあえずは辞書を引いてその意味を確かめてみるとよいでしょう。定義を知りたければそれだけで十分ですが、解釈の仕方は人それぞれ、表現の仕方も無数にあると思います。

愛という漢字は「受」という文字の中に「心」を包み込むようにして書かれています。つまり、人の こころ を受け止めることが愛であると考えるとわかりやすいと思います。この文字を考案した人がそこまで考えていたかはわからないので説得力があるかどうかもわかりませんが、かなり核心を突いた解釈の仕方だとは思います。

愛は受け止めるものであって、与えるものではないということになります。人を愛することが難しいと思うのは、そのあたりを勘違いしているからではないでしょうか。

一生懸命愛情を注いでいたつもりなのに、その気持ちがなかなか伝わらずにもどかしい思いをしたことがある人もいることでしょう。それもそのはずです。愛していることを伝えるには相手に愛情を注ぐのではなく、相手の愛情を自分の方が感じ取らなければならないのですから。逆の努力を一生懸命していても伝わるはずがありません。

愛するということは相手の愛情を感じ取ることです。相手の気持ちを理解するということですね。自分からは何もする必要がないのでとても簡単なことのように思えるかもしれませんが、それがとても大切なことなのです。そんな簡単なことすらできなかった人は多いと思いますが、それは今まで愛し方を間違えていただけのことです。自分からは何もせず、ただ受け止めるだけでよかったのです。

先日別のブログで「離婚することは悪いことではない(PDF版)」という記事を書きましたが、その中ではまず「恋愛」について書きました。「恋愛は感情である」と定義したのです。

恋愛という熟語にするとややこしいので「恋」と一文字で書くべきだったかもしれませんね。「恋」と「愛」は混同しやすいと思いますが、ここでは異なるものとして考えます。

愛は感情ではありません。恋が感情であるならば、「愛は感覚である」と定義できます。

タロットカードで視覚的に解釈した方が理解しやすいでしょう。感情としての恋は「カップ」で表され、感覚である愛は「ペンタクルス」で表されます。参考: スピリチュアル・バランサー(タロット占い講座)

タロットカード: カップのエースタロットカード: ペンタクルスのエース

このようにして見ると、とらえどころのないものだと思っていた愛は、実はしっかりと形があって、手に取って感じ取ることができるものだということがなんとなくわかってくるかと思います。

感情は一時的なものですが、感覚は常にそこに在り、消えてなくなることはありません。

感覚というのは五感で感じ取ることができるものです。目で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手で触れる。そのようにして感じ取ること(受け止めること)自体が愛なのです。また、受け止めることによって生じる「感謝の気持ち」もまた愛と言えるでしょう。

愛するということは、相手の存在がそこに「在る」と認めることです。結果的にその相手を「生かす」ことになるでしょう。

私はそのように愛を定義しました。

私たちはその愛によって「生かされている」ということに気づくことができるでしょうか?