花の島(フローレス)と日本の間

バイオマスエネルギー事業や排水処理事業を通じて、環境保全や住民の生活向上のための活動を行うNGOスタッフの日々の物語。インドネシア、東ヌサトゥンガラ州にあるフローレス島(ポルトガル語で花の島の意味)と日本を行ったり来たりしています。

1987年の設立以来、インドネシアの現地NGOと協力しながら、国際協力活動を行うNPO法人APEX(http://www.apex-ngo.org/ )の彦坂といいます。

現在、フローレス島内の農村で、ジャトロファ(またはヤトロファ、ナンヨウアブラギリ)という種子から油を採取できる植物を利用した、環境保全型地域開発事業に携わっています。この事業は、ナンヨウアブラギリによる荒地の緑化、ナンヨウアブラギリの種子からの搾油、その剪定枝や種皮などの廃棄物のガス化による発電、発電の際に放出される廃熱を利用した海水の淡水化を行い、環境保全をしながら住民の生活環境や収入を改善しようとするものです。事業の詳細についてはこちら をご覧ください。

また、この事業に対するご寄付 (ゆうちょ銀行、またはみずほ銀行への振込み)も受け付けております。 よろしければ、ご協力ください。

なお、このブログの記事は私個人の見解を書いたもので、所属団体の見解を示すものではありません。

テーマ:

 マウメレにある、主に精神障害を抱える女性のための施設を訪問しました。ここは精神障害の女性だけでなく、身体障害を持つ人や障害をもつ子どもたちなど、100名前後が一緒に暮らしている施設です。カトリックの修道院が運営しており、ミサなどの宗教活動も行われています。ただ、ここは彼らの病気を治すのではなく、同じ境遇の人たちが一緒に生活することで元の状態に回復することを目的としているようです。

 

 施設を運営するシスターに、彼女が書いたという“Mutiara Sampah(ゴミの真珠という意味)”という本をもらいました。障害を抱える人は、しばしば一般の人たちからはゴミのように扱われることもありますが、神様にとって彼女らは真珠である、だから、この本の題名を“Mutiara Sampah”にしたそうです。

 

 その本には、施設を開設するに至った経緯や施設の活動について、施設に入所している(または入所していた)患者のことについての話が書かれていました。いくつかの患者の話を、以下に記したいと思います。

 

本からの抜粋、ここから。


Germana Ger
 私がマウメレの道を通る度にいつも、Germanaがゴミ捨て場で泣いているのに出くわした。飢えを凌ぐため、食べ物の残りを探していたのだ。私は彼女を見ていて悲しくなり、Germanaを救わなければならないと思った。彼女は既に30年以上、路上で生活していた。


 彼女がうちの施設に入るまでのおよそ1年間、毎週日曜日に私は街の片隅でGermanaの体を洗い、新しい服を着せ、食事を与えた。彼女が私の愛情を感じ取り、より良いサービスを受けるため施設に入りたくなるように私は祈りながら、彼女の心が変わるのを待った。


 お祈りを捧げた後のある時、私は宗教局のそばで彼女に会った。私は彼女に優しく挨拶し、彼女を抱きしめた。最終的には彼女は施設への入所を希望し、同じ境遇の女性たちの仲間となった。


 最初の1週間は、身体を快復させる期間であった。彼女は栄養のある食事と薬を与えられた。大便をした際に出てきたのは12個の塊となった寄生虫であった。彼女はまだ施設に入所している。彼女の現在の状態は清潔かつ健康である。

 

Magdalena Gonde
 レナ、普段はそう呼ばれている。精神疾患、てんかんを患う彼女は、エンデの住民の間では割りと知られていた。ボロボロの服を着て、体中傷だらけで、いつも店の軒先や民家の庭で寝ていた。彼女はまだ子供だったが、誰一人として彼女を気にかける人はいなかった。彼女には家族・友人など誰もいなかった。


 2006年9月19日、レナは1人の女性によって、うちの施設に連れてこられた。幸運なことだ。彼女を見ていた数百人の人の中にも、彼女の状況を気にかけてくれる人が1人いたとは。レナは家族の誰にも付き添われずに施設に来た。レナには誰もいないし、レナは何も持っていなかった。彼女の手にはただ、鏡とクシだけが入ったボロボロのカバンがあるだけだった。

 

 性格はとてもユニークで、人を楽しませるのが好きだった。私が彼女に話しかけると、彼女はいつも微笑むばかりだった。彼女はいつも小さな鏡の前にいた。微笑みながら鏡に映る自分の顔を見ていた。施設の住人が前を通ると、彼女はいつも挨拶した。彼女はインドネシア語があまり話せなかった。彼女は彼女の民族の言葉で会話していた。


 2008年2月16日、レナは亡くなった。彼女は健康かつ落ち着いた状態で逝った。レナは聖ヨセフ教会の墓地に埋葬された、家族に付き添われることもなく。

 

Marta Toya
 マルタは、彼女の村はおろか、ナゲケオ県全体で非常によく知られた存在だった。精神障害の結果、彼女はさまよい歩き、村から村へと渡り歩いた。彼女は結婚していたが、子供はいなかった。

 

 彼女は夫と結婚した後、夫と一緒にマカッサルへ出稼ぎに行ったらしい。その間、彼女はよく夫に殴られたり、さらには縛られてバイクで引きずられたりした。彼女は夫にひどく虐待されていた。


 彼女の家族はその状況を憂慮して、彼女を故郷へと連れ帰った。しかし、状況は変わらず、さらに悪化した。そのため、家族は8年間、彼女に手かせ・足かせを施した。


 2009年10月7日、彼女は家族によってこの施設へと連れてこられた。施設にいる間、彼女は奇妙な性的行動を起こした。彼女は陰部に鋭い異物、例えばカミソリ、歯磨き粉の蓋、電池、鉄などをよく入れた。そのため、彼女はよく病院へ連れて行かれて、治療を受けた。


 マルタは現在もまだ施設に住んでいる。状態はすでに良くなっているが、まだ村には戻りたくないようだ。

 

Kristina Mora Sai
 モラは道端を放浪していた精神障害者である。ボラ郡では、まあまあ有名な存在である。何故なら彼女は暑い日だろうが、雨の日だろうが、村々をさまよい歩くからである。夜になれば、彼女は石の上でバナナの葉を被って寝る。お腹が空けば、彼女は道のゴミ捨て場で食べ物を探したり、目にすれば生のキャッサバ、生の唐辛子、卵、生の鶏肉などを食べた。時々、彼女は暴力を振るわれ、時には見ず知らずの男に強姦されたりもした。


 ある時、私にクリスという軍人が彼女のことを教えてくれた。私は彼にこの施設へ彼女を連れてくるように頼んだ。そして彼は彼女を施設に連れて来てくれた。今では彼女はすっかり健康になり、施設での活動にも積極的に参加している。

 

Darwin Deran
 その晩、施設の住人はみんな、私も含めてぐっすり寝ていた。夢の中で、私は誰かがか細い声で呼び、施設の門を開けようとしているのを聞いた。最終的に私は気付き、すぐに体を起こした。私はボロボロの服を着た彼女を門の外で見つけた。体は汚く、臭かった。手には服の入ったカバンを持っていた。彼女は2010年1月18日の夜12時にやって来た。彼女は1台のバスに連れてこられたようだ。


 私は早速彼女を中に入れ、座らせた。彼女は1968年にワイプカンで生まれた。彼女のカバンの中身を調べると、中身はいくらかの服とショールだけだった。彼女はイスラム教徒だったが、この施設への入居を希望してきた。その後、彼女に食事と飲み物を提供した。彼女はルンバタ島出身だと語った。彼女は1台のバスに連れてこられ、この施設の門の前で降ろされたそうだ。彼女はもう随分と長く、ルンバタ島の市場や道端で暮らしていた。


 彼女の状況を見て、私は気の毒に思った。彼女はまたてんかん持ちで、10人の男に強姦されたこともあることがわかった。てんかんの発作が頻発していた。

 
 ある時、彼女はカトリック教徒として洗礼を受けたいと言ってきた。私たちはその望みに応えた。彼女の洗礼は聖ベルナルドゥスの日に行われ、彼女はマリア・ベルナルダと名付けられた。その後、彼女はよくベルナルダという名前で呼ばれた。よく治療を行っていたが、てんかんの発作は頻発した。総合病院に連れて行かれたこともしばしばだったが、神様は彼女にとって別の道を用意された。2011年5月20日、ベルナルダは最後の息を引き取った。彼女は平穏のうちに亡くなった。


Helena Luju
 その時、太陽はほぼ地平線の下に沈もうとしていた。突然、西から2人の人がこの施設にやって来た。どうやら私に会いに来たらしい。


 2人のうち1人は障害者で、この施設に入所を希望していた。彼女の名はヘレナ・ルジュ、施設内の人からはヘレンと呼ばれた。彼女は知的・身体的障害を負っており、無宗教だった。彼女はすべてを人の善意に頼って生きていた。最終的に私は彼女をこの施設に受け入れた。


 この施設にいる間、彼女はとても世話のかかる人だった。彼女はどこででも排泄を行うのだった。時に彼女自身も気づかずに行うこともあった。私たちはその後片付けを行い、彼女の体を拭かなければならなかった。そのため、彼女の家族は家での介護を諦め、この施設に連れてくることにしたのだ。


 施設には介護を行う人がいる。介護者が彼女の世話をする時、彼女は感謝の代わりに微笑むだけだった。この施設に来てから3年10ヶ月が過ぎた2011年12月3日、彼女は亡くなった。彼女は穏やかに息を引取り、家族の墓地に埋葬された。彼女がこの施設にいる間、彼女の家族がこの施設を訪問することはめったになかったが。

 

Maria Wilhelmina Nimu
 エルミンと彼女は呼ばれた。エンデ県のウォロワル村出身である。彼女はインドネシア大学の心理社会学の学士を持つ。大学を卒業後、彼女はエンデ県に戻った。2000年、未婚の彼女は精神障害を負った。


 彼女の兄弟の話によれば、2009年12月27日、彼女をこの施設に連れてきた時、エルミンは彼女の兄弟にとってとても近い存在だった。大学に通っていた頃、エルミンは彼女の兄弟と一緒に下宿していた。彼女の兄弟がボアワエ村出身の女性と結婚した時、エルミンは反対していたようだ。彼女の兄弟の家ではいつも兄弟の妻と言い争い、時には喧嘩にまで発展した。


 2005年の中旬にはエルミンは落ち着いたようになったが、一人でいることや口を聞かなくなることが増え、例え問いかけても答えることが少なくなった。身体的には段々と痩せ衰えてきた。この年から黙って一人でいることが多くなった。彼女は兄弟の妻と言い争いや喧嘩をすることもなくなった。

 

 エルミンの兄弟と両親は彼女を介護し、治療を行おうとした。祈祷師を探して彼女の回復を祈祷してもらったり、病院に連れて行ったりした。しかし、彼女は良くならず、ますます悪化しているようだった。

 
 最終的に彼女はこの施設に連れてこられた。私は快くエルミンを受け入れ、彼女にとって最高のものを提供しようとした。


 施設に来た最初の頃は、彼女が一人でいる傾向は変わらなかった。彼女は黙ってひっそりとしていた。定期的に行うことは寝ること、食べること、水浴びをすることだった。確かに、彼女の治療には大変時間がかかるものだ。2週間後、彼女は施設の活動や礼拝に参加し始めた。まだ全部の活動に参加しているわけではないが、彼女は少しずつ変わり始めた。まだ完全には治っていないが、エルミンは段々と変わってきている。

 

本からの抜粋、ここまで。

 

 この施設を訪れた時、手足の不自由なフェニという名の男の子に出会いました。その後、彼をよく支援しているという中高年の男性がやって来て、私に話しかけてきました。その男性は私が日本人だと知ると、「日本人なら、“オト”を知ってるか?」と尋ねてきました。

 

 観光客としてインドネシアにやってきた日本人の名前を聞かれることが多いので、またその類かと思っていると、男性は「あの手足がここまでしかない」と上腕、太ももあたりを示しながら言います。

 

 この時点で乙武洋匡さんのことを言っているのかと思い当たりました。

 

 「オトはな、身体障害者だけど大学に行き、一般の健常者に混ざって弁論大会に参加して優勝したんだ。だから、俺もフェニが良い教育を受けられるように応援してるんだ。」と男性は言います。

 

 最後の弁論大会のくだりは事実かどうか分かりませんが、少なくとも乙武さんの存在がその男性に夢や希望をもたらしているのは事実です。しかも、日本から遠く離れた、こんな片田舎で。

 

 障害者・健常者関係なく、人はみな誰かにメッセージをもたらすために生まれてきたのかもしれません。時には、国境や時代を超えて、そのメッセージは伝えられるものです。

 

なお、この施設の紹介(英語、インドネシア語)は以下のページにもあります。

PANTI SANTA DYMPHNA
http://pantisantadymphna.blogspot.co.id/

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
アパ・カバール(所属団体の公式ブログ)にも書いたのですが、スタディーツアーの参加者の皆さんが8月11日から14日にかけて、フローレス島にやってきました。ここではツアー中にたまたま見学できたモケの生産現場をご紹介します。

モケというのはヤシの開花前の花から採取した蜜を発酵させ、蒸留を経て作られるお酒のことです。こちらではモケといいますが、インドネシア語ではアラックと呼びます。

モケ生産の原料は、オウギヤシ(インドネシア語でLontar)というヤシ、またはサトウヤシ(インドネシア語でArenまたはEnau)というヤシから得られる花の蜜です。

Palmyra Palm (Borassus aethiopum)
Palmyra Palm (Borassus aethiopum) / berniedup

オウギヤシ

Arenga pinnata, the Sugar Palm
Arenga pinnata, the Sugar Palm / Dick Culbert

サトウヤシ

これらの花の蜜は糖分を10~15%ほど含んでおり、自然にアルコール発酵します。モケはこれをろ過・蒸留して得られたお酒で、アルコール濃度はおそらく30%以上にはなります。


モケを加熱するかまど。

上に出ている竹の筒をどかして、花の蜜を入れます。



入れるときに不純物を取り除くために、ろ過を行うのですが、このろ過に使うのはサトウヤシの繊維の入った、なんと「ヘルメット」です。



要らなくなったヘルメットの頭頂部に穴を開けて、ふるいにしています。

エタノールと水の混ざった蜜を加熱すると、より沸点の低いエタノールが多く蒸発して、その蒸気を冷やして得られた液体はエタノール濃度がより高いものになります。その仕組を利用したものが蒸留です。



加熱されて発生した蒸気が上にあがり、斜め下に向かう竹の筒を通る間に冷やされて液体になります。



最後にポリタンクなどをセットしておいて回収するという仕組みです。

シッカ県の統計によれば、シッカ県内で17ヶ所は、このようにモケを生産している所があるそうです。でも多分、もっと多いのではないでしょうか。

しかし、実のところ、イスラム国家だからか、インドネシアでは5%以上のアルコール濃度を持つお酒の製造・販売は禁止されています。じゃあ、このモケ製造は違法なのかということになりますが、実は昔このシッカ県でもモケ生産を禁止しようとしたのです。

ところが、住民の生業にもなってるモケ生産を禁止するのかと住民から大反対をくらって、禁止令は廃案になったそうです。まあ、ただ単に飲みたいだけなのかもしれませんが。

しかし、同じように住民の反対にあっていた、お隣の東フローレス県ではモケ生産を禁止する条例が昨年になって施行されたそうで、将来的にはこのシッカ県でも禁止され、このモケは飲めなくなってしまうのかもしれません。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
国際協力の世界に入るきっかけは、いつも大学院卒業の時に行ったネパールでのワークキャンプと答えてたのですが、さらにその原点を考えると、あの本との出会いからだったのかもしれないと思うのです。

その本とは、三浦綾子さんの『氷点』です。

実は大学2,3年の頃までボランティアとか国際協力とか、あまり興味がありませんでした。しかし、『氷点』とその続編『続氷点』を呼んだことで、自分の中で何かが少しずつ変わってきたのかもしれません。

大学の国文学の授業で、先生が「『氷点』は登場人物の心理描写が実に上手い」と褒めており、大学の生協で、その単行本を見つけた時にふと読んでみようかと思って手に取ったのが始まりでした。

TVドラマなどにもなったほど、有名な小説なので、あらすじは省きますが、『氷点』『続氷点』というセットで人間の生まれながらにもつ原罪と、その贖罪というのがテーマです。

原罪とは何か、もしあるとしたら人として生きる意味とは何かとか考えたのを覚えています。

今の人生が正解だったかどうかは分かりませんが、生きる意味を探す旅が人生であり、今を生きることが大切なのかもしれません。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
これも機内誌で読んだコラムの話です。

アジア各地を経済危機が襲い始めた1997年、筆者はインドネシアの大学院生だったが、同じ大学に留学していた韓国人にこう聞かれたそうです。「インドネシアはいつ世界一になりますか?」と。答えに詰まった筆者は逆に、「韓国はいつ世界一になりますか?」と尋ねました。すると、その韓国人は「2010年です。」と答えました。

ご存知の通り、実際には2010年に韓国が世界一の国になるというようなことはなかったのですが、2010年に行われた国際競争力調査で韓国は23位だったそうです。2009年の27位から、さらに順位を上げていました。

1997年当時、韓国の企業名(サムソンやLG、現代など)をインドネシアで目にすることは、ほとんどありませんでした。今ではそれら韓国企業の製品はインドネシアの市場にありふれています。スマートフォンの分野では、サムソンが何年も首位にあったソニーを追い落とす勢いとなっています。

韓国人は例え外国製の製品のほうが安く、かつ質がよくても、韓国産の製品を選ぶ傾向にあるそうです。それは、例え質が悪くて高価であっても、韓国産の製品を買うことで、韓国企業がその利益でさらに開発投資を行い、品質がより良く安い製品を生み出してくれると期待しているからです。また韓国企業のトップも、そのような製品の売上は、もっと良い製品を生み出して消費者に返さなければならない借金のように考え、その期待に答えているそうです。

安いからといって国や地域の外で生産された製品を買うことは、国内、地域内の産業を脅かすことにも繋がります。また、人件費が安いからといって国外で製品を作るようになれば、国内の消費者は仕事を無くして購買力が減少します。

地元(国内)で作ったものを地元(国内)で消費することが、地域(国)の発展に繋がるのではないでしょうか。先進国だけの話ではなく、途上国の農村部(地方)にも通じる話なのではないかと思いました。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
たまたま乗り合わせた飛行機の機内誌に載っていたコラムが気になったので、メモしておきます。

「行動の伴わないビジョンは白昼夢であり、ビジョンの伴わない行動は悪夢だ」

ある人が現場で仕事をしている人に「今、何をしていますか?」と尋ねたところ、「レンガを積んでいます。」と答えた。まさに見たまま、彼が行っていることを答えたのです。

そこで、その人は近くにいた別の人に同じ質問(今、何をしていますか?)を尋ねました。2番めの人は「塀を作っています。」と答え、さらに塀の高さや幅が何メートルあるかまで答えました。

さらに、3番めに同じ質問を尋ねられた人は、「とてもユニークで豪華な家を作っています。内装も豪華で、中庭があり、プールもあります。完成したら、きっと、このあたりで最も豪勢な家になるでしょう。」と答えました。

同じ作業を行っていても彼ら3人の答えは違っています。この3人の中で誰が最もビジョンを明確に持っているでしょうか?そう、3番めの人です。

1番目の人は今、まさに行っている作業を説明しているに過ぎません。そのような人たちは大体、言われたことをやっているだけの作業者で、責任感がありません。それに対して、3番めの人は長期的視野に立って仕事を見ています。ビジョンを明確に持つことは、自分のやるべきこと・達成すべきことを明確に定義することです。

以上が、そのコラムの内容でしたが、ビジョンとミッションの把握という初歩的なことの重要性を再認識させられました。

例えば、「あなたは仕事で何をしていますか?」と尋ねられたら、同じ業務内容でも「エンジンを作っています。」と答える人もいれば、「○◯自動車の乗用車を作っています。」と答える人もいるでしょう。また、「世界中のあらゆる人が安全に遠くまで行けるように、安くて丈夫な乗用車を作っています。」と答える人もいるかもしれません。誰が最も仕事におけるビジョンを明確に認識しているかといえば、最後の人に決まっています。

どの会社、組織にもビジョンとミッションはありますが、構成員全員がそれを共有しているとは限りません。

また同じ人でも家庭、会社、学校など場所ごとに異なるビジョン、ミッションがあり、それぞれの場所において各自の役割が決まっているものです。例え、企業に勤めていない主婦とはいえ、家族全員が健康に過ごせることをビジョンとしながら家事をこなしていれば、十分やる気も出てくることかと思います。

今、行っていることに集中することも必要で、集中すれば集中するほど全体が見えづらくなるものですが、長期的視野に立って全体を見渡すことも重要なのではないかと思います。

あなたは普段、家庭や職場で何をしていますか?
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。