手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


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大河ドラマでよく使われる方法、その2。

主人公と敵対する立場に位置し、早くして非業の死を遂げてしまうような人物が、その死の前に主人公と対話し、和解したり誤解が解けたり互いに理解し合ったりする、という場面がよく描かれるのですが、こういう作劇法は、ただ単に、主人公を器量の広い人間だと持ち上げるためだけのもの、とは言い切れないと思います。

「ドラマ」としてどんなにオリジナルの部分を物語に加えても、「歴史ドラマ」である以上、起こったことをなかったことにはできない。現実に非業の死を遂げた人物は、ドラマの中でも非業に死ななければならない。

しかしせめて、その死の前に、敵対者と和解することができていたとしたら。果たされなかった思いを、せめて誰かに伝えることができていたとしたら。

そんな、「本当はこうだったらよかったのに」という願いが込められていると感じるんです。

「新選組!」では近藤勇が清河八郎や伊東甲子太郎と胸襟を開いて語り合っていましたし、「篤姫」では、桜田門外の変の直前に、篤姫と井伊直弼の対面がありました。

そして、この「龍馬伝」では今回、龍馬が吉田東洋に会いに出かけた訳なのですが。

東洋と半平太。

東洋と龍馬。

それぞれの対面の様子を比べてみると、思わず嘆息しそうになってしまいます……。

身分の低い半平太や龍馬は、東洋と同じ部屋にいることはできません。次の間にいるか、でなければ外の地面にじかに平伏するか。それに対して東洋の態度はどうだったか。

初対面の半平太をわずか二言三言を交わしただけで見切った東洋は、しかし龍馬と会った際には、まるで態度が違いました。自ら立ち、龍馬のすぐ目の前まで歩いてきて坐り込み、声をかけた。

今度もそうです。半平太が土佐勤王党のメンバーを引き連れて来た時には、平伏している前に立ったまま、頭の上から一喝し、足を上げて蹴りつけた。けれども、同じように自分の前で土下座している相手でも、それが龍馬なら、坐り込んで目の高さを同じにするのです。

半平太は、東洋が、龍馬に対してならそういう態度をとることを知りません。自分が冷たくあしらわれるのは、東洋が自分という人間を評価してのことではなく、単に身分によるものだと思っています(或いは、思いたがっている、でしょうか?)。

「吉田様」は武市さんの言うような悪人じゃない、と必死に訴える龍馬の言葉は、半平太には果たしてどう響いていたのか。

2人の間で、幼馴染の親友であることを持ち出すのは、少し前までは半平太のほうでした。ものの見方、考え方が決定的に違ってきていることに気づかず、龍馬は昔のままに自分の友達で、だから、これからもずっと一緒にいるものだと頭から思い込んでいた。

今回、友情の記憶に訴えようとしたのは龍馬です。しかし彼の場合は、自分達が既に子供の頃とは違ってしまっていることを、かなり前から自覚しています。もはや昔の2人ではなく、それでも、思い出までがなくなってしまった訳ではない。同じ道を生きることができなくなった2人でも、それでもまだ友達のままでいることはできる。半平太が、暗殺などということに手を染めないでいてくれさえすれば──。

しかし今では、もう半平太のほうにそういう気持ちはなくなってしまっている。

半平太は、とことん、主義主張・思想信条・イデオロギー第一の人なんですよね……。違う信念を持ち、違う生き方をしていても、友達は友達だ。そういう風には思うことができないんです。同志になれないなら、それが全て。もう、「かつての友」でしかない……。

龍馬がついに脱藩に踏み切ったのは、直接には、「家族に迷惑をかける」という心配から解放されたことでしょう(以前は乙女ひとりがそうでしたが、今では、坂本家の全員が、龍馬に何かを託しているように思えます)。

それに加えて、半平太との決別も、龍馬にとって土佐にとどまる理由が更にひとつなくなった、ということだったのだと思います。

しかし、これは、半平太の歯止めとなりうる人間はもう誰もいなくなってしまった、ということ。

このドラマのナレーションは、晩年の弥太郎が往時を振り返って語るというものです。その後何が起こったかを判っている人間の目で見た時、龍馬の脱藩から東洋暗殺と続く一連の出来事は、こういう捉え方になる。

龍馬がいなくなった「から」、恐ろしい事が起きた、と。

雨中の惨劇場面、昔の「獅子の時代」での大久保利通暗殺の描かれ方を思い出しました。

独裁者と憎まれても動じない、傲岸な実力者。自分が独裁するのでなければ政治は立ち行かないじゃないかという自負を持っています。しかし、不満をたぎらせている下層の若者達には勿論納得できることではない。悪人を取り除く正義の行動だと信じて刃を振るいます。襲われた側には、襲撃者個々がどこの誰であるかは判らない。けれども、大きな意味で「彼らが何者であるか」は判っています──自分を殺したいと考えるのはどんな人間か、ということは。

「獅子の時代」の大久保がそうだったように、このドラマの東洋の最期の言葉も、襲撃者への憤りでした。殺されることそれ自体についてではない。この自分がいなくなるということが社会にとってどれだけのマイナスか、それが判らない愚か者への憤懣。

「武市……大馬鹿者ッ!」


さて、これでリアルタイムの物語の中からは、吉田東洋は退場してしまった訳なのですが。

この先出てくる人物の中に、ジョン万次郎がいることが判っているんですよね。

鯨捕りの漁師だった彼は、アメリカで積み重ねてきた経験を買われて武士に取り立てられているのですが、実はこの人事を決めたのが東洋な訳で。

いずれ万次郎が登場してくるくだりのどこかで、回想シーンとして東洋の姿をもう1回見られないだろうかと今から期待しています。

田中珉さん、本当に名演でした!

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