手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
遠山金四郎 (講談社現代新書)/岡崎 寛徳
¥777
Amazon.co.jp

遠山金四郎、つまり「金さん」です。遠山左衛門尉景元。

こういう書名ですが、彼のことについてばかり書かれている本じゃないんですね。その父・遠山景晋の事績についても実に詳しく述べられています。

という訳で、私のような『風雲児たち』愛読者にはまさに願ってもない本でした(笑)。遠山父子は、金さんだけじゃなく、景晋さんもあのマンガの重要キャラですからねえ。

テレビ時代劇で有名になった人物をとりあげている本ですが、そういう興味に迎合して、噂に寄りかかったり想像を逞しくし過ぎたりするようなところは一切ありません。あくまでも史料・古文書にのっとって、正確に確かめられる事柄だけが書かれている真面目な本です。

それじゃあ、あんまり面白くもないんじゃないか、と思われる向きもあるかもしれませんが。

生真面目に丁寧に考証しているからこその面白さ、というのもあるんです。

たとえば、「金さん」といえば付き物の、彫り物を入れていたという話の真贋について。

直接見たという話は誰も書き残してはいませんが、あの人は全身に彫り物をしていたそうだよという伝聞は色々と残ってるんですね。但し根拠は判らない。若い頃は放蕩者だったそうだから彫り物くらいしててもおかしくないだろ、くらいのあやふやな噂が一人歩きしたものかもしれないんです(わー、まるで江戸時代の2ちゃんねる状態!)。とはいうものの、そんなもんなかったよ、という書き残しもこれまたない。

それが明治16年に発表された木村芥舟(咸臨丸でアメリカに行ったことのある人です)の文章に、景元の左腕には花の文様の彫り物があったと記されていたことから(但し根拠不明)、図柄についての諸説が入り乱れ始めます(笑)。花、というだけだったのが桜に特定されたかと思えば、いやそうじゃない「女の首級書筒を啣へるの図」だということになり、いやいやこれは本人の姪の証言だとして「右肘が桜花、背中から左脇にかけて飛龍の図柄」……何でこんなに違うんですか(爆)。

景晋さんの著作(幕府が旗本・御家人に対して行う学問試験のための参考書)が国会図書館にあるそうですが、その写本を所持していた人がこんな書き込みをしているんだそうです。


其子左衛門尉景元、父に継で御作事奉行より御勘定奉行を経て、町奉行に至る、大岡・根岸・石河・池田・曲淵につゞきたる奉行と称せられ、市民服従し、其節芙蓉の間御役人の一枚看板と賞し、また遠山の金さんと尊ミたり。


この書き込みは安政3年(1856年)のものとのことで、景元が亡くなった翌年のこと。明治になってから言われ始めた彫り物の図柄のことなんかとは違って(笑)、同時代の評判としてかなり信憑性があるといっていいんじゃないでしょうか? 「遠山の金さん」って、リアルタイムで呼ばれていた愛称だったんですね。てっきり、後代の講談師や小説家が適当に付けた呼称かと思ってました。この人、本当に庶民に親しまれてたんだなあ。

彼は60歳で南町奉行を退いて隠居し、3年後に亡くなりましたが、かつての部下だった与力・同心が何人も弔問に訪れています。10年以上も前の北町奉行時代の部下達まで。更には、彼の墓の両脇には2基の石灯籠が建っているのだそうですが、それは、牢屋奉行石出帯刀、南町奉行与力の父子、江戸の町年寄3人、計6人が奉納したもの。


 注意しなければならないのは、景元は町奉行在任中ではなく、隠居後に死去したということである。牢屋奉行と町与力と町年寄、かつての所属・支配下にあった者たちが景元のために石灯籠を献じた。幕臣・町人を問わず、景元は慕われていたことをうかがわせる。


何か、いいですねえ、こういうのって。

AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

青空百景さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。