手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)/東 浩紀
¥903
Amazon.co.jp


大塚英志愛読者の端くれであるつもりの私ですが、この本は、最初買おうというつもりは全くありませんでした。

というのは、大塚さん単独の作物じゃないから。東浩紀さんとの対談なんです。

東浩紀の文章、を全く読んだことがないという訳ではないんですが。ただ、たまに「Cut」とか「SIGHT」とかの雑誌で見ていた程度で、それも積極的に求めて読んだというのでは全然ない。東さんの著書を手にとったことは一度もありません。

対談している2人のうち、片方しか私という読者にとっては身近ではない。それじゃあ読んでも仕方がないだろう、と思っていた訳なんですが。

数箇月経って、ふっと気が変わりました。先日買った「SIGHT」最新号の「今年も怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー’08」、そこで高橋源一郎さんと斎藤美奈子さんがこの本を取り上げているのを読んだんです。


高橋 そもそも、「人はどういうふうに生きるべきか?」って、近代文学ははじまってるんだから。そういう問題を抜きにして、小説表現っていうのはあり得ないわけなんだ。だから大塚さんはいらだちながら、「きみは倫理的にどうふるまうのか?」っていうふうにつきつける。それだけ言ってんだよね、ずっと。

斎藤 そうだね。はぐらかしを許さないもんね。

高橋 そう、ツッコミを徹底して細かくやってる。東さんが「いいじゃないですか、そんなことは」って音を上げるまでね。


……あれ、何か面白そうじゃない?

という訳で買ってきました。帯の文句はこうですよ──サブカルチャーの諸問題から国家論まで、「わかりあう」つもりのない二人が語り尽くす、だって(笑)。

で、読み始めて……第1章を読んでいる辺りでは、対談中で言及されているマンガやゲームのタイトルを自分が知らないので(汗)やっぱりどうしても隔靴掻痒だなあというくらいの感じだったんですけれども、読み進むにつれてどんどん面白くなって引き込まれていきました、が……面白いのと同時に、何だか奇妙な感覚にも襲われてきてしまったんですよね。

大塚英志、今年で51歳。東浩紀、今年で38歳。親子ほども開きがあるという年齢差ではないものの、昔風に言えば「ひと回り以上」違う訳で。

こういう2人が対談をしていて、それで何で、こんな構図になってるんだろう?

「SIGHT」誌の評でも指摘されていますが、物凄く大雑把にいうと、攻める大塚英志と防戦一方の東浩紀、1冊これで終始しているといってしまっても差し支えないほど。

若い批評家が年長の同業者をやり込める、という形にはどうしてなっていかないんでしょう。

東浩紀の語ることについて、大塚英志は疑問点、違和感、納得のいかないところをすぐに見つけ出し、問い質しているのですけれども、2人の立場が逆になることはついぞない。東浩紀に舌鋒鋭く追及されて流石の大塚英志もたじたじ、てなことには絶対にならない。大塚英志の突っ込みに東浩紀あわや逆ギレ寸前か、という状況なら何度も起こっているのですが。


東   この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんは僕の人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……。

大塚 人格の批判じゃないよ。論議の問題として、自分の人格の問題だから、ここから先は論議が成り立たないと言ったら……。


私は大塚英志の読者ではあっても東浩紀の読者ではないので、私の目を通すとこの対談は最初っから、東さん不利、になってしまうのは否めないんですよね。

「東浩紀とはこういう人だ」という自分なりの像を持たないままに読んでいるので、大塚さんが捉えた東浩紀像が、的を射ているのかそれとも誤読なのかの判断が私にはできません。最初から、大塚サイドに偏って議論の流れを追ってしまう、というきらいがあるのは確かなところです。

と、留保をつけつつも、やはり、「東さん旗色悪いなあ」「大塚さんに負けてるなあ」というのが素直な感想。

自分とは違う相手、とはうまく話ができない。相手が納得できずに食い下がってくるのを、自分への個人攻撃のように受け取ってしまう。

読んでいるうちに段々、何とも不思議な感じがしてきたんです。こんなことを言ったら、もしかしたら言論人東浩紀に対して物凄く無礼にあたるのかもしれませんが……インターネット上のブログや掲示板でしばしば見かける、「叩かれる」ことへの過剰な警戒心、それと同種のものを感じてしまったんですよね。

一般のネットユーザーならそれで一向に構いませんが、しかし、東浩紀は「批評家」です。物を言う人、であることを自ら役割として選び取った立場です。そういう人の、言葉を発するに際しての姿勢がその辺の普通の人と同レベル(のように見える)というのは……正直、ちょっぴりつまんない(苦笑)。


東   ぼくは日々、言葉の無力さを実感しているので、それは実感としてそう思っているんですよ。大塚さんが疑っているような「スタンス」ではありません。

大塚 そう言ったら、なぜ喋るの? なぜ書くの? ということに行きつかないかなあ。

東   喋ることも黙ることも等価なら、喋ることのほうが好きだから喋る、でいいと思います。

大塚 でも、それはコミュニケーションしたいからだよね。

東   それは微妙ですね。ただ、たとえそうだとしても、コミュニケーションしたいということと、コミュニケーションが無力だという判断は両立するんじゃないでしょうか。

大塚 ぼくは無力じゃないと思うんだけどな。

 ただ、これまで話していて意外と、ぼくのほうが他人に対する目標設定が低いのかもしれないと感じたけど。君はコミュニケーションの結果としてもたらされるものを、ものすごく高いものとして考えている気がする。話すことで生まれる第三項にちょっとだけ期待している。ぼくは、それこそ本音言えば人なんか大嫌いだし、本当は誰とも話したくない。それでも無理をして話すことで、できあがっていくものがお互いにお互いを少しはましなほうにもっていける、もしくはそういう「話すこと」や「場」がお互い、嫌々ながらでもできあがったことの可能性を信じていなければ徒労だし、その点で、ぼくは楽天的なのかもしれないし、ハードルが低いのかもしれない。君のほうが、言葉というものが相手に届いたときの、相手に与える影響や変化みたいなものの期待値が、もしかしたらぼくよりすごく高いのかなあという気がした。


この辺のやり取りも、私という読者にとって、すっと入ってくるのは大塚さんの言うことのほうなんです。言葉は無力だ、で終わってしまったら、それは物凄く安易な見切り方としか思われないんですよね。ましてや、その言葉を商売道具にしている人の言うことじゃないだろうと……。

実は理想がとんでもなく高いがゆえに、でもそんな理想は実現する筈がないからと全てを諦めている。これって、子供の発想じゃないかと思えるんです、私には。物を言う人、であることを自ら選んだ「プロ」であり、しかももういい大人であるなら、その逆であってほしいな、と。


東   その点では、大塚さんとぼくで考えが違うということですね。

大塚 だから違うから話すわけでしょう。さっきから思うけれど「違う」でスルーすべきではない。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

青空百景さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。