『初心者のための「文学」』 大塚英志 | 手当たり次第の読書日記

手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。

初心者のための「文学」 (角川文庫 お 39-14)/大塚 英志
¥700
Amazon.co.jp


一見、よくある普通のブックガイド、読書入門、のようにも思える書名と装丁ですが。

何たって著者が大塚英志です。これはもう絶対に、一筋縄ではいかない内容に決まってる!ってんで、トウの立った活字中毒者の分際で厚かましくも(笑)青少年向きのこの本を手にとってみたのです。

そしたら。


 本書は「文学」と呼ばれる小説の「読み方」について記したものです。もちろん、小説をどのように読むかは当然ですが読み手の自由です。それは、映画やまんがも同様で、正しい観方や読み方の作法があるわけではありません。

 しかし、こと「文学」と自称してきた小説に限ってはいささか事情が違うとぼくは考えます。ただし、誤解をしてほしくないのは「文学」は「高尚」な「芸術」なので、それを読むには特別の解読法が必要だというわけではありません。

 ぼくが、「文学」に限っては一定の「読み方」が必要だと考えるのは、「文学」と呼ばれる小説、もしくは「文学」と自称する小説が読者をしばしば誤った方向に導くからです。その点に関していえば、人が次々と死ぬゲームやライトノベルズより、時にはるかに悪い影響を「文学」は与えてしまうとさえいえます。「悪い影響」とは具体的には「読み手」の「私」を誤った形で立ち上げることに加担したり、「現実」や「社会」との関わりを示すように錯覚させてむしろそれを巧妙に回避したりさせてしまう、ということです。


はい、いきなりこう始まりました! 思った通り(笑)。

いかにも大塚英志らしく身も蓋もなく、しかしこれまたいかにも大塚英志らしいのですが、斜に構えて皮肉をかますところは一切なく、「文学」のあり方を看破しています。

あとがきによれば、初出はライトノベルの雑誌への連載だそうです。「ライトノベルズの読者たちがライトノベルズに求めているものは実は『文学』でなければ本当は満たされないもの」なのに、現在「文学」として発表されている小説はお粗末なものばかりだから、と。

「文学」は読者に悪影響を与えることがある、という大塚さんは、そのことを以て、「文学」なんかくだらない、などと言うつもりは毛頭ないんですね。愚にもつかない「文学」もあるけれども、そうではない「文学」もある。そして読むに値する「文学」とは「毒にも薬にもなるもの」だから、免疫のない読者は注意が必要だ──という訳で、取扱説明書や予防注射の役割を果たすこの本を書いた大塚さんは、毒舌を吐きながらも、「文学」に対して心の底から真摯です。

初出がライトノベル誌、ということは、想定されている読者は10代から20代の若い人達。だからこれ絶対意図的にやってるなと思うのですが、最初に取り上げているのが三島由紀夫の作品で、次が太宰治。どちらも、若い読者が読んでツボにはまったら、そのまま一気に愛読者を通り越して中毒患者になってしまいそうな作家です。

しかし、この2人に対して、大塚さんはまことに手厳しい。

戦争中という非日常がもたらしたある種の「わくわく感」がなければ生きられなかった、普通の「日常」「現実」を生きることは全くできなかった作家だと。

予防注射、というのはこういうことですね。三島も太宰も何しろ「巧い」書き手ですから。その文章の魅力にやられた結果、物の見方感じ方考え方までも、彼等の作品の影響下から抜け出せなくなる可能性は大いにあります。そうなる前に、彼等の情けない部分、狡さや弱さを、敢えて容赦せずに斬ってみせる。

中上健次も、ぴしゃりとやられていますね。「現実」や「世界」に耐えかね、徹底的に空想の中にとどまろうとしていた、と。中上作品のような「文学」は、「ぼくが『文学』を呼ばれるものを信じない最大の理由です」とまで言われてます(苦笑)。

と、色々と刺激的な論考が続くこの本なのですが、繰り返しになりますけれども、大塚さんの姿勢は真摯そのもの。「既成の権威に怯まない俺って偉い」的な臭みは一切ありません。

村上春樹『海辺のカフカ』を材料に、「人を殺す物語」について考える最終章には、マンガや小説を創る側の人間でもある大塚さんの、「書き手」としての自覚と決意が述べられています。

「象徴的」に人を殺す物語を、暴力や戦争や様々な悪意を、やはり物語作者は書くべきだ。

考えて考えて考え抜いた末に、村上春樹が到達した結論は、大塚さん自身の結論でもあります。

この章を締めくくる大塚さんの言葉に、大袈裟ではなく、心が震えました。