手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間/村井 重俊
¥1,470
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最初にこの本の広告を見た時、大の司馬ファン、特に「街道をゆく」シリーズが大好きで常に繰り返し読み続けている我が父親に、こんなのが出たよと話を振ったのですが、反応ははかばかしくありませんでした。どうせ大して面白くないよ、と言うのです。

著者は、「街道をゆく」5人目の(そして最後の)担当編集者だった人で、歴代の担当者がそうだったように、文中にもしばしば「編集部の村井重俊氏が……」と登場してきます。司馬遼さんの筆が描き出した「長身の村井氏」は、若々しくて好奇心旺盛で、司馬さんの何気ない一言にすぐくすくす笑い出す、元気な青年編集者。

初登場の「本所深川散歩」では「喧嘩早くて情にもろくて、五稜郭がそこにあればやみくもに籠りそうな気配の人物」と表され、「ニューヨーク散歩」では、服装の話になった時にこんなことを言われています。


「ほんとうはね、村井君」

 と、私は編集部の村井重俊氏にいった。

「村井君は、黒紋服にアンドン袴、大刀を落とし差しにした椿三十郎のかっこうで歩けば、威風あたりを払うよ」


「私はこの人を笑わせるのが、大好きである」(「オホーツク街道」より)と司馬さんが書いた人。司馬さんが亡くなって「濃尾参州記」が未完で終わるまで、いわば「街道をゆく」の最後を見届けた人です。

自社のベストセラーの単なる便乗本じゃないよ、これは、きっと。そう確信があって、買いました。

大当たり!

私が読んだ後で、父も読んだようです。面白くなさそうだって思ったけど面白かったわと言ってたと、あとで母親が可笑しそうに教えてくれました。

下世話な表現をすれば、内輪話、楽屋裏の面白さ、ということになります。原稿を取りに行った際に聞く雑談がとても興味深かったとか、司馬夫妻のおしどり夫婦ぶりとか、担当編集者でなければ判らないこと。出来上がった「街道をゆく」には書かれていないこと。

最初の挿絵担当者にして長年の旅の相棒でもあった須田剋太画伯が亡くなった後、司馬さんは気落ちして連載をやめたいと言い出したことさえあったそうです。「街道をゆく」が普通のエッセイであったなら──というか、司馬遼太郎という作家が「私」を出すエッセイを書く作家であったとしたら、この心の揺れをそのまま連載中に書いていたかもしれません。

けれども、「亡くなった」ということさえも、「オランダ紀行」のゴッホのくだりでさりげなく書いただけだった司馬さんが、自分の個人的な悲しみや喪失感を「街道をゆく」の中で吐露する筈もありません。出来上がった司馬さんの文章だけを読む読者の目には、この連載は25年間、ずっと順調に続いてきたようにしか映らなかったでしょう。

しかし実際は、読者の夢にも知らないところで新米担当者の村井氏が、自分が至らなかったせいでもあるのかと慌てふためいていた訳です。

やめたいという手紙が「週刊朝日」編集部に届いて、ともかくも司馬家へ電話をした村井さん。電話口に出た司馬夫人のみどりさんに、思わずこんなことを口走ってしまいます。


「もし本当におやめになりたいなら、私はやめたほうがいいと思います」

 しまったと思った。いつも土壇場で言葉を選ぶのに失敗する。司馬さんに直接いったわけではないが、『街道』をやめたほうがいいといったのは、朝日では私くらいのものだろう。歴代の編集長が隣で電話を聞いていたら、ショックで倒れたかもしれない。まず、受話器は奪われただろう。


幸いにして司馬夫人が冷静だったため、意気消沈した作家と度を失った編集者とは、ともに平静さを取り戻すことができた訳なのですが(笑)。

こんな具合に村井さんは、そそっかしい編集者だった自分の失敗談、司馬さんの案外扱いにくい作家だった一面(物凄い偏食だったとか、風邪を引くとめちゃくちゃに機嫌が悪くなるとか)を、軽妙な筆致で紹介しています。

へーえと思ったのが、司馬さんが平行して連載を持っていた「文藝春秋」や産経新聞と、いわばネタの争奪戦ともいうべきものが時に起こっていた、ということでした。

村井さんはこれも自分の失敗の一つとして書いているのですが、オウム真理教の騒ぎが最高潮に達していた頃のこと。悪人の話に興味のあった司馬さんとは反対に、週刊誌記者でありながら全く事件に関心を持てなかった村井さん。いくら相手が司馬さんでも、オウム談義をする気になれません。


「要するに村井君は、オウムみたいな事件が嫌いなんだよな」

 その通りだったので、

「嫌いです」

 と即答した。みどりさんがなぜか、ヤレヤレというような顔をしたのを覚えている。

 しばらくして週刊文春に、司馬さんと立花隆さんの記事が掲載された。オウム真理教について、立花さんが司馬さんにインタビューもので、週刊朝日としては完敗だった。

 司馬さんの言葉とみどりさんの「ヤレヤレ」が、サインだったとようやく気付いた。


そうかと思えばこんなことも。産経新聞連載のコラムに台湾のことが書かれているのを読んだ文藝春秋の人から、李登輝総統(当時)と対談してはどうかという提案があり、司馬さんはその対談の掲載誌を「週刊朝日」に決めます。李登輝さん側にそれを依頼したのは、産経の台北支局長。

新聞社同士、出版社同士はライバル、商売敵だと単純に思ってしまいがちですが、本当に「敵」同士な訳では絶対にない。出版文化のために社の垣根を越えて協力し合うことは、普通に行われているんですね。

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