手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
群 ようこ
鞄に本だけつめこんで (新潮文庫)

『自伝の人間学』を読んでいたら、他のところで名前を見た本が取り上げられていました。
「女が書く女の怖さ」という章は、著者保阪正康氏が「面白くてためになる」と言う、女性の手になる自伝や自分史についての章です。面白い、ためになる、というのは「自分を語るのに正直だからである」「男性主導社会の裏側をえぐりだしている」からだというんですが、ここで同性としてうっかり喜べない。


 たぶん原稿用紙に向ったときは、自らを飾ろう、高邁に語ろう、という計算があるのだろうが、書き進めていくうちに感情が抑えられなくなるらしい。記憶を検証しているうちに、怒りや怨みが異常なスピードで湧いてくるのであろう。これは書かずにはいられないと覚悟したときに、自らと関わった人物を実名で登場させ、そして激しく恨みを書き列ねるのである。


こういう姿勢を保阪氏は、芥川龍之介の言葉を借りて、自分の中に一人の野蛮人を抱える、と表現しています。そして「『一人の野蛮人』もかかえていない女性の自伝や自分史は少しも読者を感動させない」と言っているので、否定や批判をしているのではないことはすぐに判るんではありますが……な、何か微妙(苦笑)。
そもそも、女性の自伝、とひとまとめにしてしまうこと自体に、保阪氏が男性だからかそれともご年配であるからか、の限界を見たくなってしまったりもするのですが。


 女性の自伝や自分史を読みつづけていくと、自分の女性観や女性への対応を改めて自問自答したくなってくる。心底において、自分は女性の感性を愚弄しているのではないか、女性は男性より劣っていると考えているのではないか、と改めて問いつめてみたくなる。そして、事実、大半の女性は男性より社会性がなく、わけのわからない空論を吐き、ヒステリックなのではないか、と思っている自分に気がつく。主体性に欠ける存在ではないかと思っている自分に気がつくのだ。それを裏づける自伝や自分史も多いのだが、そういう書物に出会ったときは、内心では安堵の胸をなで下ろす。


正直者(苦笑)。
そんな保阪氏が、「自伝に名を借りた仕返し」「復讐の書」だというのが、金子ふみ子『何が私をかうさせたか』。
この人は、関東大震災直後、でっち上げらしい大逆罪によって朝鮮人アナーキストの恋人と一緒に逮捕され、23歳の若さで獄中で自殺したという人です。
獄中で書かれたというこの自伝は、貧しい家に生まれ、身内の愛情にも恵まれなかった彼女のなめた辛酸が克明に記されているらしいのですが(この本自体は私は未読)、保阪氏にかかると「自らの苦しみや痛さを全て他者のせいにする(タイトルもその典型だ)」ということになるんですね(汗)。


 金子の自伝が公刊されたとき、人びとは「かわいそうなふみ子よ。それにひきかえ彼女の肉親たちは鬼畜生にも劣るではないか」と涙を流したに違いない。その蔭で、金子はペロッと舌を出しているとしか思えないのだ。


な、何もそこまで言わなくても(汗)。
と現物を読んでもないのに思ってしまったのは、群ようこさんの読書エッセイで、この本を取り上げてるのを以前に読んでたからなんです。
時代も境遇も全く違ってはいても、性別と年齢において、保阪氏とは比べ物にならないくらい金子ふみ子に近いところにいる群さんの読み方は素直そのもの。自分の少女時代を振り返り、鬱屈にとらわれ家がいやになったこともあった、乏しいお小遣いから本代をひねり出すのに頭を絞ったこともあったと思い返し、でも自分は親とは喧嘩をしても本当に仲が冷えていた訳ではなかったし、読みたい本に本当に飢えたこともなかった、それに比べてふみ子は……と嘆息します。


 私は思想的なことはよくわからない。しかし金子ふみ子という一人の女性が二十三歳まで生きてきた道をたどると、親と子、姉と弟、学問、本、恋愛、すべて彼女が欲しているのと全く違うほうへと流れていってしまった彼女の不運に胸がいたんでしまうのだ。


 私はこの本を読んで、ふみ子はいつ幸せになれるのだろうかと思いつつ読みすすんだ。今度は幸せになれるのではないか、今度は……と思うのだが、ふみ子にはいつになっても満足する日々はやってこない。


群さんがこの本の内容を紹介している書き方を見ると、保阪氏が言うような「復讐の書」としての捉え方は全くしていないことが判ります。親族からのひどい仕打ちも、それ自体を糾弾するよりも、それに耐えるふみ子自身にひたすら注目している。第三者の目ではなく、可能な限り自分に引きつけて。
保阪氏が喝破した、女性が自伝を書く際の姿勢とは、たぶん、「書く」場合にのみ限定のものではないのでしょう。
多くの女性は、主観的にものを書く。そして、読むときにもやはり主観的に読む。
かくかくしかじか、こんなつらいことがあったと書くのは、何もにっくき仇敵に筆誅を加えてやろうなんていう目的じゃあなくてね。読者に伝えようとしているのは、つらかった、という自分の思い、気持ち、心情。
うろ覚えですが、確か佐野元春がこんなことを言ってました。歌の歌詞でも、男女は違う。男性の一人称だと、俺は苦しい、なぜなら彼女に去られたから、と理屈で説明していくけれど、女性視点だと、私がこんなに幸せだから今日の空は美しい、みたいな言い方になる、って。

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