手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
大塚 英志
サブカルチャー文学論

普通の文庫本の倍、いや3倍はあるボリューム。ここまで厚いと当然値段も高くなり、本体価格1,400円というハードカバー単行本みたいなことになってます。
というような、未読の人に手にとってみたくなる気を起こさせるにはおよそ不向きな属性ばかりがまず目に付く本なんですが、しかしこれは面白い!
どんな内容かというと。
 まんがはいかにして文学であろうとし、文学はいかにしてまんがたり得なかったか
 村上春樹はなぜ「謎本」を誘発するのか
 幻冬舎文学論(あるいは天に唾する小説のあったはずの可能性)
 山田詠美とライナスの毛布
 神戸震災文学論
 三島由紀夫とディズニーランド

 ……
目次にある各章のタイトルです。ねっ、興味をそそられるでしょう?
批評の対象になっている作家は、この他に中上健次、吉本ばなな、村上龍、高橋源一郎、庄司薫、石原慎太郎、大江健三郎、等々。この本は基本的に、故・江藤淳が「文学のサブカルチャー化」を問題とした批評を引き継ぐ形になっていますが、かといって著者は江藤淳の弟子でも何でもなく、生前に面識も一切なし。従って江藤淳もまた著者の考察の対象となることを免れることはできず、かなり突っ込んだ批判をされています。
ただ、前にも書いたことがありますが、ここが大塚英志を私が好きな理由のひとつで、突っ込んだ批判、本質的な批判、時に「王様は裸だ」と叫ぶにも等しい身も蓋も無い批判を対象に加えてはいても、この人の文章は決して「罵倒」「否定」にはならないんですよね。ましてや、「王様は裸だと指摘できる俺って偉い」に陥ることはありません。「ぼく」という一人称を駆使して評論文を書きながらも、鼻につく自意識から自由であり続けることができている人です。だから読んでいて、目からウロコをぼろぼろ落とされる爽快感はあっても、イヤな感じになることがないんですよね。
というのは、批判の対象になっている作家の誰もについて、私が信奉者ではないからというのもあるかもしれませんが。


 村上春樹や高橋源一郎は何故、彼らが最初の小説を書き始めるまでに長い失語症にも似た機関が存在したことをあらかじめ彼らの小説の冒頭で告白した上で語り始めるのだろう。あたかも失語症からのリハビリ患者としての自分を強調して語り始め、にも拘らず、一度、語り始めた彼らは何故過剰なまでに饒舌なのだろうか。
(中略)
その理由はいくつか考えられる。一つにはガールフレンドが自殺したり、学生運動で挫折したりして、そういった青春の蹉跌からの回復に彼らの発語訓練が不可欠だった、とする説。例えば村上春樹の小説に連合赤軍事件の影を見てとる類の批評などはこの説を支持するものだ。それに対しぼくなどは長い間、彼らは別に小説に書くべきことなどないからその手前でただ勿体ぶって発語に苦しんで見せているだけではないか、と正直思っていた。今でもその印象を基本的には修正するつもりはない。(「庄司薫はデレク・ハートフィールドなのか」より)

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