『忘られぬ死』 アガサ・クリスティー | 手当たり次第の読書日記

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新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。

アガサ・クリスティー, 中村 能三
忘られぬ死

榛野なな恵のコミックスと読み比べ第2弾。マンガのタイトルは「追憶のローズマリー」でした。
ストーリーはこうです。
若く美しく裕福な人妻ローズマリーが、誕生パーティーの席上で急死。死因は青酸化合物、バッグからは遺書と薬の包み紙が発見されましたが、夫ジョージは妻の自殺を信じず、1年後、パーティーの再現を試みます。出席者はローズマリーの妹アイリス、ジョージの秘書、ローズマリーの不倫相手とその妻、最初はローズマリーの取り巻きで今はアイリスに求愛している青年。
同じ店、同じ顔ぶれで何もかも1年前とそっくりに進んだパーティーは、新たな犠牲者を生みました。今度はジョージ。犯人はローズマリーを殺した人物なのか?
という息詰まるサスペンスが展開します。華やかな姉を持ったおとなしい妹の、姉に対する微妙な心情(憎んだり嫌ったりまではしていない)。実はずっとジョージを想っていた秘書の、ただ美しいだけの妻に対する心情。妻と手を携えて政界のトップにのぼりつめようとする男の、聞き分けのない愛人への心情……各人各様のローズマリーの記憶が、この作品の重要部分(だからマンガの題は秀逸!ですね)。実に読み応えがありますよ! 家族であるアイリスとジョージ以外の人間にとっては、ぶっちゃけ、頭空っぽの美人、でしかなかった彼女なのですが、それでもその美しさはたとえようもない。彼女を思い出しながら、「誰が殺したのか?」と疑心暗鬼にかられる人々……。
というハラハラ感が、短編にまとめてしまったマンガでは、やはりどうしても薄くなるんですね。下院議員ファラデー夫妻のエピソードなど、どうしてももどかしさが残りました。
ミステリとしての鍵は、クリスティー十八番の「レトリックによるミスリード」です。これが成立するためには、やはり、長編の長さが必要になるんですよね。だからなのか、マンガでは割にあっさりと、読者に犯人のヒントを与えるような台詞が挿入してありました。仕方がないか。
しかし、原作とマンガの一番の違いは、何といってもこれ。ローズマリーの人物設定。
マンガ版のローズマリー、バカじゃないんです。浮気性なのではなく、ただ自由なだけ。「古代の女王のよう」と言われるような、我儘でも堂々とした魅力の女性として描かれています。
これもいいなあ……と感心しつつ、でもやっぱり小説のラストが捨てがたいんですよ。トニーとアイリスがローズマリーのことを思い出す場面。


 彼は静かな調子で言った。「彼女はもうこのあたりにはいないでしょう?」
「誰のことを言ってらっしゃるの?」
「誰のことかわかってるくせに。ローズマリーですよ……僕は、アイリス、彼女は君が危険に陥っていたことを知っていた、と思いますね。」
 彼は香ぐわしい緑の若枝に唇をふれ、それから軽くそれを窓のそとへ投げた。
「さよなら、ローズマリー、ありがとう……」
 アイリスはやさしく言った。「忘れられぬひとだわ……」
 そしていっそうやさしい声で言った。「どうぞ、愛するお姉さま、おぼえていてくださいね……」
(訳:村上啓夫)


 生前の彼女が愚かで気まぐれな美女として描かれていたからこそ、この追憶の場面が生きるのだと思うんです。