手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
大塚 英志
「おたく」の精神史 一九八〇年代論

前にもちょっと書きましたが、小野不由美の「十二国記」シリーズが大好きです。大好きですが、新刊が出るまでに近年とみに時間がかかるようになってきているのが、ファンとしてはつらいところ。待ち遠しいので、同人誌コミックのアンソロジーを読んで気を紛らわしていたことがありました。
ありました、と過去形なのは、何冊か読むうちにちょっとついていけないものを感じるようになってしまったので。この前ブックオフで新しい巻を見つけて読んでみたら、だいぶん傾向が変わって普通のマンガばかりになっていましたが、所謂「やおい」系の作品が目立っていた頃があったんですよね。
女性作者による女性読者のための少年愛もの、というジャンル全般についてはいいんです。趣味じゃないなと思えば読まなければいいだけの話。
ただ、それが既にある小説やマンガやドラマや映画の2次創作やパロディであって、そして素材になったオリジナルのほうには少年愛はおろか、そもそも性愛の要素それ自体がなかったりするような場合の、時にポルノ的ですらある「やおい」作品というのは……門外漢ながら、少々考え込んでしまう訳です。
というようなことを改めて思い返してみたのは、「一九八〇年代論」と副題のついた大塚英志『「おたく」の精神史』を読んだので。この本の中の「七〇年代末から八〇年代初頭の少年まんが誌における『ラブコメ』の誕生」についてのくだりに、こんな文章があったのですが。


 この頃からアニメやコミックのキャラクターを借用して同人誌がポルノグラフィー化するケースが顕在化してくるが、興味深いのは「翔んだカップル」や「タッチ」といったビルドゥングスロマンとしての側面の強い作品のキャラクターは同人誌の描き手による性的な凌辱の対象とはなっていない点だ。


この一文が含まれる章は、マンガの中にあらわれる男性の恋愛幻想の変化について述べられています。「キャラクターを借用して同人誌がポルノグラフィー化するケース」は、時代の説明としてさらりと述べられただけで、このこと自体は全く考察の対象にはなっていません。
何でもない説明文の中で何げなく使われた言葉だからこそ、却って非常に印象が強かったんです。
凌辱、という言葉が。
性表現を主体にした2次創作やパロディをつくるということは、オリジナルのキャラクターへの凌辱であるということ。大塚氏の中に、こんな認識がごく自然にあるということです。
彼は評論家であると同時に編集者であり、エロ本やロリコン雑誌の編集の経験がある人です。また、小説家でありマンガ原作者でもあります。高尚な文化人が高みから見下ろしてサブカルチャーをぶった切っている訳ではありません。そういう人が、「凌辱」という強い言葉を使っているということは、やはり、何がしかの考慮に値しないでしょうか。
もう随分昔のことになりますが、小林よしのりのエッセイマンガで、自分のマンガが同人誌で性的パロディの材料にされたことに対して激怒しているのを読んだことがあります。小林氏もやはり、自作が「凌辱された」と感じたのでしょう。

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