手当たり次第の読書日記

新旧は全くお構いなく、読んだ本・好きな本について書いていきます。ジャンルはミステリに相当偏りつつ、児童文学やマンガ、司馬遼太郎なども混ざるでしょう。
新選組と北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のファンブログでは断じてありません(笑)。


テーマ:
新井 素子
おしまいの日
『陰摩羅鬼の瑕』のことを書いたら、ふっとこの小説を思い出しました。
といっても、これはミステリではありません。新井素子作品ですが、SFでもない。帯にはサイコ・ホラーとあります。確かにその範疇だろうなとは思うんですが……ただ、まるでミステリを読むかのようにして読むことはできるんですね。
というのは、作者が読者に対して仕掛けるレトリックの罠がこれにもあるんです。
ヒロインが書く日記の部分と、彼女やその夫や友人や、色んな人の視点で語られる普通の小説の部分。大まかにいって、この2つの部分が交互に登場して成り立っている小説です。で、前者は日記という性格上、「あたしは……した」というような文体になる訳ですね。ここがくせもの。
新井作品の多くは女の子が主人公の一人称小説です。だから読者は、「あたしは」という文体には慣れている。この小説についても、きっと何とも思わないで読んでた人が殆どでしょう。そしてヒロインが書き綴る「白い虫」の恐怖に、背筋がぞぞーっとしていたことでしょう……ただ、しかし。
この部分、普通の一人称小説じゃないんですよ。日記、なんです。
このことは作中でしっかりと強調されています。写植の書体が変えてある。ところどころ、書き手がいったん書いた文章の上に線を引いたり、塗りつぶして消したりした部分がある。
ということは、どういうことなのかというと。
えーと、ミステリのネタ割りに等しいことをまたしてもしてしまうような気がするんですが(汗)、「手記には、本当でないことでも書くことができる」ということなんですね。
普通の一人称小説の場合、主人公が「私は、こう思った」と言ったとしたら、それは本当にそう思ってるんです。一人称ではあっても、地の文。地の文が嘘をついている小説なんてありえない。
しかし、「日記」は。実は本心は違う、心にもないことや創作したことを書いている、という場合だってあり得るんです。
と頭で判ってはいても、一人称小説を主に書いてきた作家の作品の、一人称の部分を読んでる最中に、「この部分は『手記』だから」と気付けるかというと。絶対無理!
新井作品の愛読者であればあるほど、このミスリードに引っかかってしまったことだろうと思います。新井さん、お見事。
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