2012-01-23 posted by aoyama-ib

りょうくん(宮城県塩釜ハウス)

テーマ:【会社紹介】わたしの師匠

その夜、わたしたちは、

男女あわせて12人、持参した寝袋で10畳一間に泊らせていただきました。

(うち1名は押し入れで就寝)



塩釜ハウスは、半壊しているので本来寝泊まりは禁止。



気持をつたえるなら花グラッチュが便利


つまり、

宿泊中に倒壊しても、責任負えないよ、という点を了承できる

ボランティアたちだけに、宿泊料無料で開放されている一軒家なのです。



当然、


部屋の中を冬の隙間風がぴゅーぴゅー。

夜中、暖房はなし。

お風呂は入ろうとおもえば入れるけど、厳寒。

何カ月も湿った布団。(たぶん)



でも、被災された方々をおもえば、

屋根があり、布団があり、トイレがあり、水がでるだけでほんとうに有難いことです。




りょうくんは、大阪出身。

15歳から美容師の仕事をしていました。

2011年3月11日、震災の日も、りょうくんは 大阪で勤務中でしたが、

震災を知りすぐに、有給休暇をつかって宮城県へきました。


有給休暇を使い切っても、まだ帰る気になれないりょうくんは、

勤務先に「しばらくボランティアをしたいが許可をもらえないか」と申し出ましたが



ばかやろーーーーーーーーーーーーーーー



と罵倒されたため、その電話で退職を申し出ます。



その後は、連日、瓦礫と格闘したり、被災した方に求められることにこたえるために邁進。

美容師出身の彼は、被災者のヘアカットもしたそうです。



ところが、

シャンプーしてない被災者の方の髪の毛は

気の毒なことに脂まみれで、

持参していたハサミが1カ月でだめになり、

カットは中断せざるおえなかったそうです。




数か月だったころ、手持ちの資金が底をついたので

軍資金をもらうため、りょうくんはいったん帰郷します。



大阪で彼を待っていたのは



「果てしない温度差」。




被災地と、数時間しか離れていない大阪なのに、


「被災地は大変だね~」


「震災がどうしたの?」


「募金?1回したからもういいでしょ」




激しい温度差に食事がのどを通らなくなり、

体重が激減してしまいます。



大阪で軍資金を得た彼は、逃げ出すように被災地へ。

ボランティアに精を出す日々をすごすうちに、

体調が良くなり、


いまは被災地で生き生きとすごす「りょうくん」




彼の行動力と利他の精神には突き動かされました。


わたしがこのブログを書いているこの瞬間も、

被災地の復興に人生を費やしている彼を尊敬します。




※塩釜ハウスは宿泊料無料ですが、寄付金で、水光熱費をまかなっています。

 金額に決まりはありませんが、いくばくかの御礼金をお渡しください。


 アースワン宮城ボランティアセンター

 宮城県塩釜市花立町21-11







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