「これが、あの唐府(とうふ)ですか!」
美睦は目の前の膳に二三個盛られた、金色の食べ物を指して言った。
金色に輝くかわいらしい巾着の中には、僧の説明によると甘辛い酢を絡めた白米が詰められているのだという。
「この食べ物は、今のところあなた様と天皇様しか口にしておられません。お世話になったあなた様だからこそ、この極秘のものをお出ししたのです。
これは貴重なごま油を使って薄く切った唐府をさらに一枚一枚焼き、それを甘辛い汁につけて炊いたのです。日持ちいたしますし、非常においしいと天皇様も必ずこちらに立ち寄られては、食していかれる一品でございます」
ただならぬおいしそうな甘い香りが先ほどから狭い一室に充満し、参拝のために朝早く都を出た美睦の腹は我慢ならないほどにすいていた。
さっさとつまんで口に放り入れたいのだが、老僧の説法は長く、またこの稲荷揚げというものについての説明もいくら待っても終わりそうになかった。
お預けを食らった犬のように金色の茶巾に目が釘付けになっていると、僧が言った。
「で、なぜこれをあなた様にもお出ししたかというと、この近辺に非常に悪さをいたすキツネがおりまして、退治していただきたいのです」
「へ?」
僧の以外というか、やはりというべき言葉に、美睦は素っ頓狂な声を上げた。
「キツネ、ですか?」
「そうです」
僧は白い眉毛をしかめ、しかつめらしくつづけた。
「里に下りて二里ほど行きました場所にうっそうとした竹藪がございまして、そこに住み着いております源太狐のことでございます」
「それを、この私が? たまたま曾祖父がここの河に住み着いた赤童(あかわろ)を退治したからと言って、私にもできるとは……」
「河太郎より始末におえんと言ったとき、たまたまこの寺に参拝にしておりました貴方様のお爺様の廉睦(かねちか)様は二つ返事で引き受けてくださいました」
「う~ん……。私はもともと呼ばれた父の代わりに来た次第で……。位こそ左馬守を賜っておりますが、太刀の腕はからきしで……」
「そんなご謙遜を」
「いや、謙遜でなく」
こんな押し問答の末、結局、道中に食べてくれと稲荷揚げを持たされると、美睦は背中を押されつつ、見送られた。
「困ったな……」
美睦は連れの三郎太をつれ、里に下りていった。腰に下げた稲荷揚げが食いたいが、約束を果たさないうちに食べるというのも気が引ける。
「あ、美睦様、あれが里では?」
三郎太の指差した先に白い煙の上がる粗末な民家がいくつか見えてきた。子供も多く、活気のあるそれほど困っているわけでもなさそうな里に見える。が、どこか違和感を感じる。
よくよく見ると、走り回っている子供は皆同じ顔をしている。髪の毛も薄い栗色で品のある顔立ちをしており、里にいる人間と似ていない。
「これは……?」
不思議に思った美睦が、里の長に話しを聞くと、悪さとはどうもこういうことのようだった。
「若い村の娘に源太狐が通ってきて、ことごとく孕ませてしまう」
美睦は「はぁああ」と深いため息をついた。
確かに都の右大臣の娘にも蛇が通って子供が生まれた話を聞いたことがある。かの有名な陰陽師にも狐の血が流れているとも聞く。しかし、まさかこんな身近に降って湧くとは思ってもみなかった。
聞けば、今まさに源太狐に見初められたしまった娘がいるというではないか。この里を治めている寺としては見逃してはおけず、かといって里の娘の半数が孕まされたとなっては外聞も悪く、かなり昔の英雄を引っ張り出して問題解決させたかったのだろう。
まんまと利用されることになったと、たった三個の稲荷揚げを見つめて、美睦は肩を落とした。
しかし、目の前で困り切っている里のものを見捨てられず、美睦は娘の代わりに寝所に潜み、その狐を退治てやろうと約束してしまったのだった。
更深。
里のものはすっかり寝静まり、月の明かりが御簾のない窓から直接煌々と注いでくる。これほど明るいと、顔すらもはっきりと判別できてしまうほどだ。娘とその両親は別の家に避難しており、今この粗末家には美睦ただ一人。藁筵の敷かれた板敷に寝そべり、太刀の鞘を左手に持つ。頭からつぎの入った掻巻(かいまき)をかぶっている。パッと見ただけでは娘が寝ているのか、美睦が潜んでいるのかわからない。
暑くもなく寒くもない季節でなければ、掻巻をかぶることもできなかった。除虫菊も焚けないので虫も多い。いったい自分はこんな場所で何をしているのだろう、などと嘆いていると、がたがたと戸口が軋んだ。
「開けてくれろ。わしだ」
若い男の声。こいつが源太狐か、と美睦は左手に持った太刀の柄に右手を添わせた。
「なんや、あいとるのか。今日は月が明るうて、早咲きの桔梗が美しゅうてな。おまえに似合うと思うて持ってきたぞ」
源太狐は呑気にそう言いながら、戸口を開けるとそわそわと入ってきた。
それを掻巻の隙間から眺める。思ったよりも小柄な男だ。人間でいうと成人したばかりか。頭の先に突き出た二個の尖った耳とふさふさとした立派な尾がゆらゆらと揺れている。
どっちにしろ二十を越えた美睦の敵ではない。そう思って身構えていると、源太狐が足を止めた。
「なんやいい匂いがする。おまえ、なんかええもんもっとるんか? わしにも食わせてくれ」
何のことだろうと考えてみる。すると、源太狐がずかずか近づいてきて筵のわきに置いた美睦の荷物の中から、あの稲荷揚げを取り出したではないか。
「あ!」
これには美睦も慌てた。あれほど我慢して、役目を終えたら味わおうと楽しみにしているものを、こんな狐に取られたくない。掻巻をはねのけ、美睦は稲荷揚げをまさに口に放り込もうとしている源太狐に躍り掛かった。
「う、わ!」
「な、なんや!?」
押し倒す形で重なり合い、美睦と源太狐が目を瞠り見つめあった。
「お、男!?」
「お、おまえが源太狐か!?」
二人の胸の間で、おいしそうな匂いを醸す金色の巾着が見事につぶれている。
「あ……」
源太狐がそれを見て、ものすごく切なそうに眉をしかめた。月の明かりでやや銀色にも見える金毛。虹彩は青味がかった金茶で、肌の色は白く、青い月明かりの中でもなお唇は紅色に染まっている。黒髪が美人と揶揄されているのを忘れてしまうほどだった。
源太狐が必死で胸の間の巾着を取り、もったいないと口に運ぶさまを見て、あまりのいじらしさに美睦はほかの無事だった稲荷揚げを手にし、差し出した。
「ええのか? おまえは食わんのか?」
「代わりに……」
美睦はそういうと、源太狐の唇の端についた甘い飯粒をなめとった。
「私と都に参れ」
その言葉に源太狐がいぶかしげに眉をしかめ、とがった金の耳をぴくぴくさせた。
「……おまえと都とやらに行ったら、うまいもんが食えるのか? 美しいおなごがおるのか?」
美睦は源太狐の無邪気な言葉に苦笑した。
「美しいおなごより私がいる。おいしいものも私にできる限り用意しよう」
源太狐は首をかしげて考えていたが、やがて明るい顔で答えた。
「うまいもんがあるなら、わしも都に行――」
その答えを最後まで待ちきれず、美睦は源太狐の唇をふさぐ。そのまま、掻巻の下に引きずり込んだ。
早朝の鳥が鳴くころには、源太狐の声も甘やかなものに変わっていた。
「ありがとうございます。おかげで里のものも安心いたしましょう」
翌日、退治(?)の知らせを受けた老僧に礼を言われ、なおかつ手土産に重箱いっぱいの稲荷揚げをもらい、美睦と三郎太は寺を後にした。
里も過ぎ、源太狐の住処からも遠のいたころ、美睦の背後から声がした。
「美睦! そのうまいもん、あとでわしにもくれろ」
美睦の乗る馬を引く三郎太が跳ね上がって後ろを振り返った。
水干姿の金髪の少年が足取りも軽く、ついてきている。
「美睦様~」
三郎太の情けない声を聞いて、美睦は笑った。
「源太、その金毛と耳、皆が驚くから隠しておけ」
「へーい」
空中から衣被(きぬかつぎ)を取り出し、頭からかぶった。
「それから尻尾もな」
「むりじゃ~」
源太がふさふさのしっぽと格闘するのを見て、美睦は微笑んだ。源太と出会えたことに心から感謝しながら。
キュンキュンしたら、活力剤注入!!
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