再開の日のために
テーマ:東北大震災今を生きる 職人技避難先でも 古里のわが店再開を夢見て
浪江町の和菓子店「四季菓匠長岡家」の3代目、長岡光広さん(38)は会津坂下町の菓子製造・販売「太郎庵」で、職人として腕を振るっている。
いつかは「長岡家」の看板を再び掲げる-という思いを抱き、会津の地で菓子作りの道にまい進する。
長岡家は昭和3年に光広さんの祖父、故孝雄さんが創業した。
浪江町中心部にある店は「小石饅頭(まんじゅう)」が名物で、町民に親しまれてきた。
光広さんは双葉高卒業後、東京都内の専門学校で学び、都内の和菓子店で10年ほど修業した後、
古里に戻った。
父親の善十郎さん(72)や家族と共に店を守ってきた。
原発事故後、光広さんは両親、妻、娘3人の一家7人で郡山市の親戚宅に身を寄せた。
「生きていくには自分で道を切り開く。店を再開するためにも腕を鈍らせたくない」と
菓子店で働くことを決意。
昨年4月末、かつて参加した菓子作りの講習会で講師を務めていた太郎庵の目黒督朗社長(62)の
もとを訪ね、熱意と技を見込まれ採用された。
郡山市のアパートに移った両親と離れ、光広さんは妻、娘3人とともに会津坂下町に引っ越し、
新たなスタートを切った。
先の見えない避難生活は悩みが絶えなかったが、
菓子と向き合うことで心を落ち着かせることができた。職場では得意の上生菓子を任され、これまでの経験が新商品開発に生かせたこともある。
会津での暮らしは1年が過ぎた。
生活に慣れてきた娘たちのことを考えると、しばらく会津にとどまりたいとも考える。
ただ、自分の店の菓子を楽しみにしていた古里の客の姿を忘れることはできない。
「いつか必ず店を再開させる」と、思いは募る。会社側も独立する時は後押しを約束してくれた。
自分を受け入れ、支えてくれる会社のため、そして夢の実現のために、
光広さんは菓子作りの技を磨き続ける。
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