幸せの上昇氣流

    幸せ=平和=調和=美しさ=愛=成長

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〈ヒーラーの役割2からの続きです。〉

さてさて。
私がなぜヒーラーを職業にしているのか?
についてお話しすると言いました。

私は声楽家でもあるので、
おそらくなおさら、
そう思われる方も多いかもしれません。

簡単に言うならば、
生まれつき、
というのがたぶん一番正しい答えです。

昔はヒーラーなどという言葉は聞きませんでしたが、
小さな頃から、
テレビでやっていた見えない力で体を治す、
という類のことに、
非常に興味をもっていた記憶があります。

そして、
反骨精神に満ち満ちて、
困っている人を放っておけない、
という性分を持っています。

どんな形であれ、
人や生き物を傷つけるということに、
いてもたってもいられないほどの、
驚きと悲しみといたたまれなさを感じます。

人の悲しみや苦しみにも非常に敏感です。
とにかく敏感で繊細です。

特に、命にかかわるような病気の場合は、
前もってその波動を感じ取る性質です。

魂の法則性みたいな知識も、
持って生まれて来たように思います。
これについては後述しますが、
またいろいろあります。

そして、小さなころから、
助けたい、
そう思っていたように思います。

自分の中の慈悲を持て余していた、
そんな感じだったと思います。

それらが、
今あるここに向かわせたのだと思います。

がしかし。

助ける、って、
なんだか随分と、
おこがましい感じがしますね。

お前こそ何様なんだと。

だから、無意識的にあえて、
そういういわゆる自分の中のスピリチュアルなことを、
封印して実は何十年も生きてきたのでした。

まったく他人事として生きてきたんです。

それでも、完全に葬ることなど出来るわけもなく、
娘を生んだときはさすがに、
音楽をやるかどうかが氣になり、
へその緒がつながっている状態で、
波動を読み取りました。

しかし、音楽は特にやらないこと、
インターナショナルを視野に入れて生きたいということ、
上智大学に入ること、
などを決めて生まれてきたことを理解しました。
全てを読み取ってはいないと思いますが、
その瞬間に読み取った情報はそういうことなのでした、

なので、私が娘にすべきことは、
世界のどこの国の人にも覚えてもらいやすい、
発音しやすい名前をつけることと、
英会話を習わせることだと認識していました。

もちろん、
そうはいってもそうじゃない生き方の可能性がある中で、
勝手なレールを敷いてしまうのは申し訳ない、
と思っていたので、

娘にはそのことは一言も告げずに育てましたが、
結局そのベクトルで今のところ生きています。

上智大学に入学したのは、
上智にしか合格をいただけなかったからです。
入学が決まった時、
娘に初めてこれらのことを伝えました。

その他にも、
スピリチュアルを忘れるなと言わんばかりに、
いろいろ不思議なことはたくさん起きていました。




話を戻します。
大きく封印を解くきっかけになったのは、
氣光の師匠との出会いでした。

実は、10年くらい前に、
リコネクションというエネルギーワークを学びましたが、
あれは私にとってジャブのようなものでした。

父の壊死した心臓をそれで治したことで、
見えないエネルギーを確信した、
大事な時期でもありました。

その後、
今から思い返せばベストタイミングで、
氣光の師匠と出会ったのでした。

とあるパーティーで知り合ったのですが、
その後もご縁が続き、
氣、習いに来る?と言われて、
行きます、と素直に答えている自分がいました。

興味はあったけれど、
自ら探すこともなく遠くにあった氣が、
一氣に私のところにやってきたのでした。

氣を扱う以上、
感覚を最大限に研ぎ澄ます必要があるだろうと考え、
それで、あの封印を解いたのです。

蔵の一番奥のさらに押入れの奥の奥に、
何重にも鎖と鍵をかけてしまっておいた、
私の中のスピリチュアル。

そうしたら、
何が起こったかというと、
人生が180度変わったのです。
とても幸せに生きやすくなったのです。

あの閉じ込めておいたスピリチュアルは、
私の核心中の核であったことを悟りました。

ど真ん中のピースを、
ずーっとはずしたまま何十年も生きたせいで、
私は墓穴を掘りながら、
その生きずらさの中でもがき苦しみながら
生きていたのでした。

忌み嫌うものこそ、
実は自分の核心であること、

自分の核心を受け入れることが
どれほど大事なことであるかということ、

調和とはどうしたら生まれるのかということ、
何が幸せであるのかということ、
様々な魂のこと、

それらが怒涛のように、
私の中から溢れ出てきました。

なにより、
私が歌うことの意味が、
ようやく理解できたきっかけでもありました。

娘の動じることのない強く落ち着いたマインドは、
バックに長老がついているせいであることも、
この目で観て理解しました。

封印を解く前から、
お肉は食べられなくなっていましたが、

あれは準備を始めていたのだと、
今になってわかります。

最近は、卵も魚も、
あれほど大好きで毎食後食べていたスイーツも、
欲しくなくなりました。

食事は意図せずベジタリアンになっていますが、
これはやはり、氣とつながります。


魂事には、
悟りと氣は、欠かすことが出来ません。



自分でも驚くほどの食の変化や、
研ぎ澄まされていく感覚の中で、
放っておいたら出家してしまいそうだと
自ら感じる昨今、

それでも、
修行であるからこそ、
この世には救いが必要であるからこそ、
俗世にいる意味と必要があると、
そんなふうにも思っている自分がいます。

そもそも、
なぜこんなにも、
悟りということの下に身を置きたいと思うのか、
ということについては、

つい最近、
ああそうか、という出来事がありまして、
そのことについて、
書いてみたいと思います。


つづく・・・



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9月19日(月・祝)12:00~15:00

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