京都、宿泊ホテルの近くに 「膏薬辻子(こうやくずし)」

   「四条通」 から、中ほどで折れ曲がり 「綾小路通」 に走る細い道で、明治二年に 「新釜座町」と

   されるまでの 「地域名」 で、「大納言・藤原公任」 の邸宅 「四条宮」 の在った場所とか。

   天慶三年・940年に 「天慶の乱」 で戦死した 「平将門」 の首が、京都の町に晒されて以来、

   全国で天変地異が相次ぎ、「平将門 怨念の仕業」 と懼れられ、各地で霊を鎮める為に 「首塚」

   が築かれ、京都でも 「空也上人」 が道場の一角に 「塚・神田神宮」 を建て供養したと云います。

   その 「空也供養」 が訛り、細道を意味する 「辻子」 と併せて 「膏薬辻子」 になったとさ。

 

 

 

 

 

   「綾小路通」 に抜けると 「重要文化財 杉本家住宅」 (主屋・大蔵・隅蔵・中蔵) と 「国の名勝 

   杉本氏庭園」

 

   「杉本家」 は、寛保三年・1743年 「烏丸四条下ル」 に 「呉服商 奈良屋」 を創業し、明和四年

   ・1767年に現在地に移り、「京呉服」 を仕入れ 「関東」 で販売する 「他国店持京商人」 として

   繁栄。

   現在の 「主屋」 は 元治元年・1864年の大火後再建で、明治三年・1870年に上棟し 「当主・

   第六代新左衛門為賢、棟梁・菱屋利三郎と近江屋五良右衛門」 と云う 「棟札」 が遺されている

   そうです。

   「主屋」は 表通りに面する店舗部と裏の居室部を玄関でつなぐ 「表屋造り」 で、京格子・出格子、

   大戸・犬矢来・土塗り むしこ窓等々、昔ながらの 典型的な 「平格子の佇まい」で、町家としては

   「京都市内最大規模」、また 各一間半の床・棚を構える 「座敷」、独立棟として張出した 「仏間」、

   大きな台所などに特色著しい 「京都大店建築遺構」 とされる。

   「主屋」 の北寄りに鍵型に並ぶ 「大蔵・隅蔵・中蔵」 は 「元治の大火」 に焼け残った 「江戸時代

   建築物」 だそうです。

   また 「名勝 杉本氏庭園」 は 「京町家の庭」 として 初めて 「国の景勝指定」 を受け、「座敷庭・

   露地庭・仏間庭」 と併せ 「店庭・走り庭」 と云う 「町家の特徴である、屋内に細く伸びる 通り庭」

   が含まれているとの事です。  

 

 

   「大原神社」

   「祇園祭」 の 「綾傘鉾」 が、巡行の無事を祈って 「八坂さん」 のお祓いを受けます。

   (「伊弉册尊 (いざなみのみこと)」 を祀っているそうです)

 

 

   「化粧水」

   「西洞院四条南、和菓子・若菜屋」 に立つ石碑

   「いにしへ この地に 『小野小町』 の別荘ありしなり」

   (「小野小町」 が、化粧に使った水脈でしょうか?)

  

 

   「錦市場・大丸よし」 で 「美味ランチ!」