「京阪三条駅」 から 「中書島駅」 で乗り換えて 「京阪宇治駅」 へ

「京阪電車のシート」 この色合いは 「抹茶とほうじ茶?」



「京阪宇治駅」 から 「宇治橋」 を渡ると 「石鳥居」 が見えてきますが・・・・・
此れは 「縣神社参道」 のようです (「平等院」 は 寺院!)
「平等院」 に行く心算で、間違えて 「縣神社」 に行ってしまう人もいるようです。



「平等院・表門」 までの参道には 「お茶・茶団子」 を売る店が並びますが、元日と云う事もあり、
「老舗」 は 休みの方が多いかな?

『平等院』
9世紀末頃、「左大臣・源融 (光源氏の実在モデルの一人とか)」 別荘が 「宇多天皇」 に渡り、
天皇の孫 「源重信」 を経て、長徳4年・998年 「摂政・藤原道長」 の 別荘 「宇治殿」 となり、
道長の子 「関白・藤原頼通」 が 永承7年・1052年 「宇治殿」 を 寺院・開基 とする。
開山・初代執印は 「園城寺長吏・明尊」 (「小野道風」 の孫だそうです)
創建時の 「本堂」 は、「現・鳳凰堂」 の北 現在の 「観音堂」 付近に在り、宇治川の岸辺から
突きでた 「釣殿」 と廊で繋がって、川から 直接舟で訪れる事が出来たそうです
当時は、「大日如来」 を本尊としていたが、天喜元年・1053年に 「西方極楽浄土」 を この世
に出現させたような 「阿弥陀堂(鳳凰堂)」 が建立されたと云います。
(平安時代の最高の仏師 「定朝」 による 「丈六」 の 「阿弥陀如来坐像」 が安置され、東向き
に作られて 朝日を正面に受ける)
現在の 「平等院」 は、山号 「朝日山」 ・ 本尊 「阿弥陀如来」
天台宗系の 「最勝院」 と、浄土宗の 「浄土院」 と云う 二寺院が 毎年交代で、共同で 管理を
しているとの事。

「表門」 左手に 「観音堂」 (「鎌倉時代前期」 の建築とされます)
桁行七間・梁間四間の 寄棟造
正面は、全て 開口部、中央三間が 開戸・左右二間ずつが 引戸
側面は、扉と連子窓が付く



「藤棚」・・・・・? えっ、もうこんなに 葉が伸びているの!



「阿字池」 に浮かぶ 「鳳凰堂」 (堂内等の大修理工事が完了し、内部を拝観できるように
なったが、今日の拝観券は 「売切れ」 )・・・・・改修前は見ているのですが、残念!













「鳳凰堂・中堂」 の正面からは・・・・・金色に輝く 「阿弥陀如来」 の面相が!







屋根を見上げると・・・・・
「宝珠」 と



「鳳凰!」 (美しい姿ですが、レプリカなのだそうです)





「四阿」



上空を飛行機が・・・・・思わず!



「鐘楼と梵鐘」
(昭和47年に復原された 二代目 梵鐘。 美しい姿で 日本三銘鐘と云われるとか)





「浄土宗・浄土院」



「浄土院羅漢堂」
「棟札」 によると、建立は 寛永17年・1640年、大工が 京の善衛門・仏師は 京の伊兵衛、
播主 宇治茶師・星野浄安道斎、肝煎 (取り持ち役・差配役と云うところかな) 藤村味斎・
井上九左衛門 だそうで、また 「江戸時代の地誌 「都名所図絵」 によって 堂全体の形式
や位置に変化が無いことが確認されている とか。



「天台宗 最勝寺」







「春日型 石燈籠」 (鎌倉時代・十三世紀とされる)
「石燈籠」 は、「灯火器」 を 仏教の伝来につれて発展させた 「我が国 独自の 灯明器」 なのだ
そうで、特に 「春日型」 は 「藤原家氏神」 として繁栄した 「春日神社 参道」 に寄贈された一連
の物と云います。
この 「石燈籠」 は、平安王朝の 美意識を残して 優美秀麗・バランス良く、「擬宝珠」 には 四枚
の華を配し、燈籠の各部に欠失が無く 当初材が完存する 「鎌倉時代唯一の遺品」 と評価を
されています。



再び 「鳳凰堂」 の 屋根・鳳凰・瓦を裏手から確認を









そして 「降棟」 には・・・・・なに! これは 「龍頭瓦」 です!
(「降棟」 を体に見立て、先端に 「龍頭」 を持った 巨大な 「龍」 が 「鳳凰堂」 を守る)



と云う事は 「表」 にも在った筈だな・・・・・確認! {こちらからの方が 良く解ります)








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