梅雨と頭痛

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昨日は、午前中、庭でまだ張り残された所に防草シートを張った。これでだいたい雑草対策が完了した。いつでも雨が続いても大丈夫だ。きっと今までの年よりは、草刈りが楽になると思う。ついつい除草剤をまきたい衝動に駆られるが、庭にくる小鳥や自然のことを考えるとそう安易にも使えない。見た目はいまいちだが、梅雨の雨にどんどん伸びる草のことを思えば致し方ない。

 

そんな作業を終えた頃、左の頭が痛くなっていることに気がついた。一昨日は、右の頭が痛くなって、いつものように自分で鍼を頭から打ち始めると汗が出て、自然治癒モードに入った。2時間もど頭部腹部に鍼を打ったり、下したりしているうちにだいたい治まってきたので、最後はシャワーで汗を流して、4時から入っていた患者の治療をした。治療中は、まだ汗がでていたので、タオルでふきふき指圧をした。治療が次の患者さんが来るまで30分ほどあったので、ちょっと横になった眠ったら、だいぶ楽になった。

 

昨日は、今度は右の頭が痛くなったので、右の頭角から鍼を打ち始め、腹部を左周りに鍼を打っていった。ゲップがでてガスが抜けていく事に楽になって、これは2時間ぐらいで抜けていった。

 

梅雨は、湿気が多く汗をかきやすいので、どうしても冷えが身体に入ってしまい、頭痛が起きやすい。窓から入る風に注意して油断せずにこまめに汗を拭くことが大切なようだ。

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天の声 人の声

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自分がこのブログを書く場合、言葉がまるで天から降ってくるように内側からわき上がってくる場合もあるし、患者さんとの会話の中で刺激的な面白く役立つ言葉を頂く場合もある。

 

今日、往診に行った患者さんは、中学生時代に野球の試合をしていた時のこんな話をしてくれた。ある時、城南球場で試合をしている時にスタンドでキャンディーを売っているおじさんがいた。よくみると良く汲み取りに来てくれるおじさんだった。そこで「うんこ汲み来ているおじさんがキャンデー売りに来ているぜ」と皆ではやしたてたのだという。そうしたらそのおじさんが「うるさいおまえら、金ってのはな、きたなく稼いでもきれいに使えばいいんだ。」と言って怒鳴られたと言う。

 

その言葉が未だに忘れられずに、大勢の人を前に話をする機会があるとそのことを良く話したものだという。

ちょうど昨日浄化槽の掃除を友達にしてもらった所だ。汚いくさいと言っても、それらはみな元を正せば自分たちの身体からでてきたものだ。以前は、なぜそんなバイトを思ったが、今は、その働く姿ありがたさと美しさを感じるほどだ。下水が普及して汚い物を目にする機会が減ることは本当に良いことなのかかえって疑問に思う。

 

もし、昔から下水が普及していたら、汲み取りのおじさんが言ったような蘊蓄(うんちく)のある言葉は生まれなかったのだから。

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たまたま昼休みにテレビを見ていたら、「やすらぎの郷」というドラマを放送していた。ちょうど3人の老人がつりをしながら、会話しているシーンだった。その中の一人が友人の臨死体験の話をしていた。なんでも友人が交通事故に遭い病院に運ばれたが、事故に遭った時は、全然痛みがなく白い天使のようなものの両手に抱えられてお花畑に降ろされたそうで、実に気持ちがよかったんだそうだ。それが病院に運ばれて、医師のご臨終ですと言う言葉を聞いて霊安室に運ばれた後に奥さんが来て、半狂乱で身体を揺すられたら、どこかの詰まりがとれて生き返ってしまった。その時は、身体中が痛くて死ぬほど辛い思いをした。」というような話だった。

 

死んでしまうよりも、この世に生き返ったほうが、死ぬほど辛いという言葉に思わず笑ってしまった。

 

今はまだ、出来るだけ死を遠ざけて、いつまでも生きる方が善だと信じられているが、果たしてそうなのだろうかと思う。

しかも、世の中、ますます複雑化して、今までのように小売店に行って、お店の人と馬鹿話をしながら買い物をすると言った時代も終わりそうな勢いだ。車でさえ自動運転でかってに運転してくれる時代が来ようとしている。

 

でもそれって本当に必要なんだろうか。人の代わりに機械がすべてこなしてしまう時代は、ますます人とのつながりが希薄になってしまう。

 

うちに来ているある患者さんも、休みの日にそよ風に吹かれながら汗をかいて草刈りをしている時が、何も考えず自然と一体になっているようで実に幸せだと言っている。

臨死体験する人が言っているように最後はお花畑だ。世の中ますます複雑化してゆくが、単純化することの中にこそ、本当の幸せがあるのではないだろうか。

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