未来予想図

十年後の自分はどこにいて、何をやっているのか。

こないだ友達と喋っていて、将来についての話になりました。
その友達いわく、
「今~の資格の勉強をしてるから、資格取得後○年後には独立する。
 それからだいたい五年以内に結婚して、マイホームは30代で購入。
 仕事引退後はその家も引き払って、~の地で老後を過ごす。
 お墓は景色がキレイな~に立地予定」

・・・。
な、なんじゃそりゃ!!
そんな、死んだ後の墓まで・・。
僕には彼が超人のように見えました。
(決して彼を否定してるわけではないです。それはそれで尊敬してます。)

この友人の例は少し極端だとしても、
普通の人なら、多かれ少なかれ人生設計を持っているはずですよね。
特に社会人ならば、ある程度そういう事も必要なのかもしれません。

でも僕には・・。見渡せるのはせいぜい一週間先ぐらい。
漠然と、「こういう人間に~」ってのはありますけど。
思い起こせば、
そもそも大学に入るつもりも全然ありませんでした。
そして大学に通っているときは、ちょっと関わってることがあって
卒業したらそっちへ本格的に取り組もうと思っていました。
ところが何故かそれも一転して大学院進学へ。
(本当は勉強なんて大嫌い。でもそれは周りの人達には秘密)

今現在でも、近い将来取ることが可能な幾つかの経路が見えてます。
それを実際どう取るかはわからない。
そして更に、もっと遠い将来。
自分がどこにいるのか、それは自分が一番よくわからない。
僕だったら、いい意味でも悪い意味でも
何をやらかすか自分でも見当がつかない。
結婚なんかも、本当にするのかどうか・・。
どーなんだろ。

でも一先ずは、それで良いと思ってます。
ジャングルの中では、遠い地点ばっかり見ていると
目の前の小石に蹴躓いてしまいます。
まずは、目の前にいる人たちを。
変化する環境に、臆せず飛び込んでいくことを。
今自分が磨いていることに集中することを。

そうしたうえで、固執することなく
少しずつ何かを思い描いていければ。
僕の未来予想図は、「今」の延長線上にあります。

そして、いざ自分がこの世を去るときに
自分の人生を回想する瞬間がすごく楽しみです。
本当どーなってることやら!


最近どーも文章がカタい気がする・・。しかも長っ。
しょーがない、そーいうシリーズということで!!
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大人になること

「ぼくは二十歳だった。
 それがひとの一生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」
  Byポール・ニザン『アデン アラビア』

「ひとりであること 未熟であること それが20歳の原点」
  By高野悦子20歳の原点

大人になること。
それがどういうことなのか、十代の頃僕はずっと考えていました。
幼い時代、父と母の保護の元で育ち、
彼らは何があっても動じないように感じていました。
大人ってすごいな~って。
でも彼らはいつから「大人」になったんだろ。

この問題は、きっと古くて新しい問題なのだと思います。
多くの哲学者がギリシアの時代から挑み続けてきた謎も、
大雑把にいえばこのこと、といってもあながち外れではないでしょう。
少し身近な例でいえば、作家である村上龍は
「経済的自立無くして、精神的自立はありえない」
みたいなこと言ってました。ことは「大人」の条件にも当てはまるでしょう。
うん、まずはお金なきゃ大人にもなれない。

僕も、年齢的にいえば立派に「大人」に該当しますね。
でもまだまだ大人とは到底いえません。
だけど、僕なりに定義した「大人」となる瞬間。
それは、
「何がどうなっても、絶対に守らなければならないものができたとき」
それは、家族かもしれないし、
取り組んでいる仕事なのかもしれない。
もしかしたら、誰にも見向きもされないことなのかもしれない。

でも、それが生まれた瞬間。
その時から、きっと自分の人生は自分だけの物では無くなります。
きっとそういう人が「大人」といえるのでしょう。
僕の場合は、ちょっとディープすぎて記事にするのは躊躇うけど、
そう感じた瞬間も確かにありました。
それは十代だったころ、けっこーひどい時代にでした。

どうしても、これだけは守らなければならない。
そのためには、周りの言うことなんか全く関係がない。
自分はこれだけは見失わないように生きていく。
こういうことなのかもかもしれない。
そしてこれはきっと、目指すべき指標なんかあったものじゃない現在に
誰しも必要なことなのでかもしれないですね。

大人になるぞ。
てきとーな部分は確実に残しつつ。
ま、「大人」にならなくても別にいいのかもしれないですけどね。
個人的にはそういう人好きです。


なんじゃこのディープな小話はああ!!ハッと気づきました。
しかも背景とのミスマッチ具合が凄まじい。
でもそれはそれで狙い(笑)
雨降ってる深夜だからこそ起きえるマジック。
この記事は「育児オトコへの道」・dakoさんにTBさせてもらいました。
ちょうどニザンについて考えてたら、都合よくdakoさんも記事にしていて。
実は隠れ読者です!!
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しばらく、パソコンを開く環境にいなくて更新が滞ってました・・。
あっちこっち夢中で飛び回っていたのです。
そんななか、訪問者数の数を見るととても心が痛い・・。
(chielyさんありがとーです!)

最近は、無事平穏な生活などどこにも無く。
きわどいことが目まぐるし回ってピーピーいってます。
でも落ち着いて思い返してみると、
それは今に始まったわけではなく
僕の生活はずっとそんな調子でした。

小さい頃に、病気で軽く死にかけたことがあります。
でもそれは別に暗い思い出なんかじゃ全然なくて、ただ
「これから先の自分の人生は、
 きっと無事に過ぎてはいかないんだろな」
って、妙に覚悟を決めたのをよく覚えています。
こんな状態が実は好きなんですね。

死なないこと。肝を据えてかかること。
この二つを手のひらに乗せておけば、
大抵のことはうまくいっちゃいますよね~。



先ほど、テレビで地震災害の被害の大きさを知りました。
その方々の中でこのブログを見ている人は
もちろんいないとは思いますが、
無事であることを祈っています。
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世界を知ること

色んな方のブログ見てると、
やっぱり恋愛ネタって面白いですね~。

僕が付き合う人は、なぜか「年上」の女性が圧倒的に多いです。
中学生の頃に高校生の子と付き合ったことに始まり、
17歳の時には27歳の人と付き合ったりしてました。

今思えば、その27歳の子に世界のあらゆることを教えてもらった気がします。
社会のこと、人間のこと、裏切りや挫折、未来のこと・・。

その頃から、僕の「背伸び」人生が始まりました。
何事もまず背伸びして望み、
いつか背伸びした分に追いつけるよう頑張る。
時々はフッと振り返ったりもする。

当時27歳だったその元彼女は、
今も自分なりの夢を追い続けているようです。
その彼女と別れることになったときには、
「ただの疲れてるだけのおっさんにだけはならないで」
とか何とか言い放っていました。

でも、その約束は未だ有効だと思っています。
おし、ハードボイルドに頑張っていこ。

「名前」の意味

今日は引き続き忙しいです・・。
寝てる暇も何処に。
ちょっと落ち着いたら、
また皆さんのブログに遊びに行かせてもらいます!

みなさんは自分の「名前」の由来をしっていますか??
ここでは本当の名前は明かせないけど、
僕は自分の名前がどういう経緯で付けられたか知りません。

僕の名前は少し変わってることもあって、
幼い頃、父にその由来を尋ねてみたことがあります。

無邪気に尋ねてきた僕に、父は仏頂面でこう言い放ちました。
「名前というのは、個人が形を変えないで所有できる唯一のものだ。
 それは自分に意味を与え続け、そして一生縛り続けるものでもある。
 名前の意味はあくまで俺達の勝手な思いであって、
 お前自身の人生には関係がない。
 だから由来は教えない。自分の人生を生きなさい」

幼い頃にははっきりと掴めなかったこの意味が、
今では少しだけわかってきた気がします。
「名前負け」しないような生き方をしていきたいものです。
まだまだ未熟極まりないが・・。
なんで大学院生になったの?って質問があったので、
ちょっとその辺ヨタヨタ書かせてもらいます。
プロフィールも更新したことだし。

大学時代には、個人的にビジネスをやっていて
卒業したらそれを大きくしようかなって思ってました。

でも、問題は大学四年に書いた卒業論文。
メインテーマは別にあるけど、、
裏のテーマであるコミュニケーションについて書いていました。
いわば、大学時代に考えていたことの集大成であるわけです。

個人的に思い入れのあるテーマでした。
それが、・・・書けなかった。
宿題となってしまった。
それに答えを出すために、
何の得にもならない大学院に進学したわけです。

僕の最優先事項は、お金でも成功でもないです。
好きな人たちに対して、自分に対して、
できるだけ嘘をつかないこと。
これに尽きる!!!