あまりにやる気が無くて、高校時代の日記を読み返していました。
(恐らく、人生で唯一の日記的なもの)

そのなかで一際光っていた青々しい一節。

「知識なんていらない。
 そんな邪魔なものばかり抱え込んだ大人にはなりたくない」

・・・。
フッと横を見れば、昨日の地震で崩壊した幾百もの本たち。
高校生ころの僕が今の僕をみたら、
いったい何て言うんだろう。
恐らく即座に本に火を放ち
「何百冊の本よりも、
 おいしい焼いも一個焼けたほうがずっとマシだ」
とか言うのかも。そしてそれはたぶん正しい。

大学時代には、授業にはちっとも出なかったくせに
どんなジャンルの本でも食い入るように読んできました。
そもそも大学へ行って勉強しようと思ったきっかけは、
なんとソシュールっていう言語学者の本に出会ったことがきっかけ。
(言語学や他にも多くの学問の基礎を築いたひと。
 恐ろしく難解でややこしい古典です。)
それまでは、大学に行く意味なんか全然わからなかった。

彼の言語や他者に対する考察を通して、
実は、大人や社会が普段言ってることは
どこにも根拠なんかないんじゃないか、って気づいたことです。
自明の前提なんてどこにもない。
それはどこか「学校」にモヤモヤしてた僕にとって
寝耳に洪水なことでした。
勉強が大っっっ嫌いな僕が、
そこから何千冊と本を読むようになった奇跡的な出来事でした。

だけど、知識を毛嫌いしている日記上の僕は、
今でも確かに存在しています。
たとえ、幾千の研究者が
何千年ものあいだ追い求めてきた真実でも、
やっぱり、焼いも一個のホカホカした
温かさには敵わないんじゃないかって思います。
ちょっとした、自分の大切な人を思う気持ちのほうが、
ずっとずっと大事件なんじゃないかって思います。
学問に対しては、その端っこに触れただけだけど、
今でもその気持ちは変わりません。

さて、僕はどんな「大人」になるだろ。

(かなりフライング気味の記事・・
 トップ記事からはずして二番目にしました)
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最近、論文を書くことにひたすら没頭してます。
(あ、院生らしいかも)
寝たり寝なかったり、食べたり食べなかったり。

僕は、昔から集中しだすと周りが見えなくなるクセがあります。
おかげで色んな人に迷惑かけてきた気がする・・。
でも、こういう状態を潜り抜けると、
何か以前の自分と確かに変わってるとは感じる。
それは、恋愛のこととも一緒ですね。

あー、論文終わるかな。
でも終わらせよ。
ちょっとアメリカに行かなきゃいけないかも。
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