2017年12月10日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第230回です。

 

 

【俳句】

 

 

裸木に・孤独の力・ありにけり (東京都 大木瞳)(大串章選)

 

 

(天にすがりつこうとしているようにも見えるのは、見る者の気持ちの反映か?)

 

 

尉鶲(じょうびたき)・小庭に呪(まじな)い・札のごと (さぬき市 鈴木幸江) (金子兜太選)

 

 

(こちらにも尉鶲がよく来る。詠われるとうれしい。)

 

 

日向ぼこ・われは考へ・ない人に (鳥取県大山町 表いさお)(金子兜太選)

 

 

(「考える」とは二つ、合理的他者(自分を含め)を想定して合理的に「考える」という言語的「考える」と、他者なくぼんやりたゆたって感じるという非言語的「考える」がある。前者の意味において作者は「考へない」のであろう。)

 

 

【短歌】

 

 

花びらの・うすさになった・かみねんど・三ねん生の・男子がくれた

 (奈良市 山ぞえ葵)(永田和宏選)(馬場あき子選)(高野公彦選)

 

 

(3人の選者に選ばれている。しかし、筆者はこの歌に不自然さを感じる。詠われている情緒は小学生の情緒ではなく、大人の情緒ではないか。)

 

 

搬入車・待ちて立つ人・杙(くい)のごとし・中間貯蔵の・巨穴(おおあな)の底 

(福島市 青木祟郎)(馬場あき子選)

 

 

(非人間的巨大技術においては人間は非人間化せざるをえない。)

 

 

ニューロンの・森羅こんがら・かる息子・ヘルパーさんと・冬の海見る 

(戸田市 藤原真理)(佐佐木幸綱選)

 

 

(詩情を共有できているという安心と喜び。)

 

 

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番外……東芝の西田厚聰氏逝去

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                     2017年12月10日

 

 朝刊(12月10日)を見てビックリ。東芝社長、会長を歴任し、今回の東芝の事件の中心人物である西田厚聰氏が死去した。

 西田氏とは昭和59年に一カ月の泊まり込み研修でいっしょだったという関係である。その後定期的に行われているその研修の同窓会のようなものでまれに会うことはあったが、年賀状のやり取りをするくらいで、あくまでも集団の中での関係であって個人的に話すという関係ではなかった。

 ビックリしたのはニュースのタイミングである。前夜、「東芝の悲劇」(大鹿靖明著、幻冬舎)で、まさに西田氏の生まれ育ちから、学問、結婚、東芝への就職、その後の社内での昇任という彼の人生を読んだばかりだったからである。それは一般のエリートが辿る道筋とはまったく異なる、驚くべき波乱万丈の人生であった。

 また、前日に来年の年賀状の印刷を開始したのだが、用紙不足となり、西田氏の数枚前までしか印刷できなかった。東芝の事件の展開から今年は年賀状を遠慮せよとのメッセージなのかな、などと思っていたところだったのである。

 おそらく今後、西田氏をめぐって様々な評伝が飛び交うことになるであろう。西田氏とはいったい本当はどういう人物だったのか、興味津々というのが偽らざるところであるが、若き日の研修の時は自己主張の強い面々の中で特に強く自己主張をすることもなく、いつもニコニコした穏やかな笑顔を見せる好人物であった。御冥福を祈りたい。

 

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                           2017年12月5日

 

 

 例えばこの世ならぬ美声を持ち人々を夢に誘う歌手についての異性関係の嫌悪を催す情報、例えば世界中を震撼させる高速でトラックを駆け抜ける短距離陸上走者についての怪しい新興宗教に帰依しているとの情報、例えばいかなる豪速球も最優秀の動態視力と腕力で跳ね返す野球選手についての危ない思想をまき散らして有害この上ない政治家との交際についての情報、これらの情報によって我々は何かを得ないわけではないが、むしろとても大きくて大切な何かを失う損失のほうがけた違いに大きいであろう。

 

 

 結局は営利原則のマスコミは、「知ることは価値」と商売に都合がいいスローガンを唱え、本気でその利害得失を考えたこともない「知る権利」を振りかざして、他人を貶めたいという人々の卑しい欲望に対応し、さらに市場を拡大するためにその欲望を掻き立てるべく、熱心に取材活動を展開するであろう。

 

 

 無制約の食欲が健康を妨げるということを人々はよく知りながら、なぜ抑制されない知的欲望が自分たちの精神をむしばんでしまうことに気がつかないのであろうか。

 

 

 「見ざる、言わざる、聞かざる」という知的禁欲は決して封建的支配の道具というだけの評価にとどまってはならない。人々が人間的であるために必要な精神的構えを支えるには、知的禁欲は必須の人間の叡知なのである。

 

 

 人間的であるために必要な精神的構えとは何か。それは理性という拘束から解き放たれた、「超越」「美」「究極」への憧れ、志向、可能性の確信である。それがなければ動物的欲望に支配された日常性の泥沼から浮かび上がることができず、人々はすべからくニヒリズムに陥るであろう。

 

 

 言うまでもなく、以上は大相撲をめぐる昨今の状況を悲しんで書き始めたものである。標題は12月4日の朝日新聞「歌壇俳壇」に掲載された高岡市池田典恵さんの俳句(大串章選)である。相撲のことから考えていたら宗教じみたことになって自分でも驚いている。

 

 

 

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                           2017年12月4日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第229回です。

 

 

【俳句】

 

 

横綱の・マスク悲しや・飛行場 (高岡市 池田典恵)(大串章選)

 

 

(「悲し」の意味が人によって大きく異なる対立的事態になっている。筆者の場合は横綱に対するそんなことになってしまった「おわび」をいっぱい含む。)

 

 

公演の・枯葉のための・ベンチかな (山形市 鈴木貴念子) (大串章選)

 

 

(言ってみただけのことだが、それによって意味が立ち上がってくる。)

 

 

【短歌】

 

 

死ぬことの・覚悟はすでに・出来てるが・初めてなので・不安は残る

(三郷市 木村義熙)(高野公彦選)(永田和宏選)

 

 

(日常の不安、心配、懸念、みんなたいしたことはない。最も重大な死についてさえ、この程度なのだから。)

 

 

古希を機に・法衣をまとう・四つ切りの・遺影写真を・用意し五年経(ふ)

 (三原市 岡田独甫)(永田和宏選)

 

 

(古希間近だが、どうもそれに合う写真がない。)

 

 

死ぬばかり・憧れし人に・美の在処(ありか)・ほのかに示す・伎芸天の指 

(徳島市 上田由美子)(馬場あき子選)

 

 

(奈良・秋篠寺の伎芸天、多くの人を魅了してきた。美の在処を示すがゆえであったか!)

 

 

 

                      2017年11月27日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第228回です。

 

 

【俳句】

 

 

和服着る・楽しみありて・冬に入る (八代市 山下接穂)(稲畑汀子選)

 

 

(その楽しみに外出時の御高祖頭巾を入れてほしい。人を美しく見せる御高祖頭巾の復活を願っている。)

 

 

死なば冬・大き眠りの・ときなれば (福岡県鞍手町 松野賢珠) (長谷川櫂選)

 

 

(静かであることが何より望ましい。)

 

 

悪戯(いたずら)の・全身ゐのこ・づちだらけ (枚方市 山岡冬岳)(長谷川櫂選)

 

 

(セーターを着てたりしてたら大変だ。)

 

 

山粧(よそお)ふ・老いは十人・十色かな (羽村市 寺尾善三)(大串章選)

 

 

(自己主張がなければ十人一色。警句として読みたい。)

 

 

【短歌】

 

 

鯉にパン・やるおじさんの・話出て・それが夫と・よう言わず居り

 (宝塚市 萩尾亜矢子)(高野公彦選)

 

 

(夫を孤独に追いやった軽い罪悪感がしからしむるのかな。)

 

 

おまえよく・ここに居ること・わかったね・昨日私が・入所させたの 

(横浜市 林直美)(永田和宏選)

 

 

(詠われることの稀な感情。)

 

 

授業中・窓から心を・投げている・君よ 瞳に・何を棲まわす 

(千葉市 愛川弘文)(馬場あき子選)

 

 

(「君」「瞳」で清純が、「棲む」で動物性が示唆される。)

 

 

 

                       2017年11月20日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第227回です。

 

 

【俳句】

 

 

黄葉降る・ラストシーンに・ゐるごとし (川越市 佐藤俊春)(大串章選)

 

 

(二重の意味での「ラストシーン」。ところで「黄葉」をここでは何と読んだらいいのか?)

 

 

木々倒し・空を廣(ひろ)げし・野分かな (神戸市 岸田健) (稲畑汀子選)

 

 

(筆者の雑木林の散歩道において同じ。)

 

 

霧深し・七十といふ・秘境かな (三郷市 岡崎正宏)(金子兜太選)

 

 

(良いことを聞く。秘境ならば面白いことがありそうではないか。)

 

 

晩秋や・あつさりと癌(がん)・告知さる (向日市 松重幹雄)(金子兜太選)

 

 

(もはや天下の一大事ではない、とはいっても本人にとっては一大事。)

 

 

【短歌】

 

 

如(じょ)・雨(う)・露(ろ)・この三文字をあてしは・誰ならん・ポルトガル語の・jorro〈噴出〉に 

(大和郡山市 四方護)(佐佐木幸綱選)

 

 

(外来語当て字の傑作。英語のjarと同起源の語。)

 

 

椿象(かめむし)を・粘着テープに・ひろひつつ・耳しんしんと・雪来る予感 

(山形県 佐藤幹夫)(高野公彦選)

 

 

(かめむしは身を守るために臭いを出すのだろうが、そのために粘着テープで殺されてしまう。かめむしが静かになったら冬だ。)

 

 

                         2017年11月19日

 

 文在寅(ムン・ジェイン)政権になってから慰安婦に関する韓国の態度が一変していることは皆さんご承知のとおりである。

 慰安婦問題に関するパク時代の日韓合意(2015年12月28日の日本の岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長による外相会談後に行われた共同記者発表)を批判して政権についたという性格がこの問題に関するムン政権の政策選択の自由度を狭めており、またムン政権は公約を具体的なかたちにして提示することを迫られているというのが韓国の態度一変の背景である。

 しかし、そもそも基礎となるべき慰安婦問題に関する事実認識が韓国内において曖昧なまま日韓合意がなされたということに今日の事態の基本的原因があるということはあらためて確認しておく必要がある。

 筆者に具体的情報があるわけではないが、パク政権内部においては慰安婦の強制連行による調達はなかったという認識は形成されていた、しかしその認識を国民レベルにするために人々を説得しようという力は基盤脆弱なパク政権にはなかったというのが実情だったのではないかと考えている。(この考えは、少女像に関して「可能な対応方向」「適切に解決するよう努力する」という言葉にとどめた日韓合意の文言によって形成された。この文言を受け入れた日本政府の認識でもあったはずだということになる。すなわち、日韓合意における韓国側表明は「韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する。」である。)

 日本政府は韓国において新たな措置がとられるたびに抗議しており、それは国対国の関係での合意に反するという抗議として正当性はあるものの、抗議するだけで先々の展望がない、むしろ関係をさらに悪化させている、という意味では外交的怠惰であると批判せざるを得ない。

 

 

 慰安婦問題を収めていこうとせず積極的に問題化しようというムン政権に対して日本はどのような態度をとるのがいいのであろうか?筆者の考えは以下のとおりである。

 

 

1 日韓合意に反するという抗議の態度はとらない。

 (抗議だけでは対立をあおるだけで生産的でない。もともと100%の履行はできないという認識だったのでもある。)

 

 

2 ムン政権の諸措置に対して、3の点を強く注意喚起しつつ、日本に対し戦前の誤りへの反省を迫るものとして評価するスタンスをとる。

 (日韓合意に日本側表明として次の文章があり、そのことを日本の国民に想起するきっかけとして評価するというスタンスである。

  「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。」)

 

 

3 軍、官憲による強制連行はなかったにもかかわらず韓国内に根強い事実認識の誤りがあることを強く指摘する。

 (放置され続けることによっては決して解決しない両国の事実認識の隔たりはこのことによって少しずつでも改善していくであろう。)

 

 

 

                             2017年11月18日

 

 

 当初、酔っぱらった日馬富士の単なる・度を越した暴力沙汰と思われた事件は、事実それ自体が不分明となり、不可解な言動の貴乃花親方も登場してきて、協会内の派閥争い、権力抗争を背景とするとか・しないとかの複雑な様相を呈し始めている。テレビのトップニュース、新聞の第1面、官房長官記者会見と、取り扱いもどんどん格が上がり、本件は今年の重大ニュースの上位を占める勢いを示している。九州場所開催中だが、大関復帰のかかった照ノ富士の途中休場などまったくニュースにもならない。いやだから見ないが、物知り顔の評論家たちがこれぞ年末のいい小遣い稼ぎだと、にわか道徳教師となって、あることないことを喜んでくっちゃべっているにちがいない。

 

 

 なぜ有名人のスキャンダルはかくも世間から歓迎されるのか?(けしからん事件であり、不愉快千万、決して歓迎などしていない、とのたまわるご仁もおられようが、マスコミの喜々とした報道ぶりを見れば、本件が表面的批判とは別に、実質的には世間から喜んで迎えられていることは否定すべくもないと考えられる。)

 

 

 大衆は哀れで悲しい。人間は誰しも醜悪性、非道徳性を抱えている。すなわち「生きる」ためには他者を犠牲にせざるをえないという状況から誰しも逃れられてはいない。その醜悪性、非道徳性は非難されるべきであるとの認識を大衆は植えつけられ、その認識を血肉化している。不可避であるとの自覚があるがゆえに、大衆にとってそれは潜在的な・重い心理的負担となっている。そこから逃れたいという欲望は、声高に叫ばれることはないが、社会に充満している。その欲望(経済学的に言えば需要)に資本主義社会が応えないはずはない。

 そして、いかにも資本主義社会らしく、極めて卑しいかたちで、すなわち欲望の完全解消ではなく需要・供給関係が永続するようなかたちで、欲望の充足(需要に対する供給)が行われる。すなわち、あなたは彼らほど醜悪ではなく、非道徳であるわけではないというメッセージの提供がそれである。醜悪性、非道徳性の存在は否定しない、しかしその程度においてあなたは「まし」であるという安心感の提供である。それによって大衆は自己を許し、慰めるのである。そして、「まし」ではないほうの役割を有名人が果たしているのである。本件での「ビール瓶」「脳みそ」がその象徴である。有名人は本人の自覚があろうがなかろうが、「度を越す」「異常」「馬鹿げた」役割を果たすことが期待される存在なのである。その社会的役割を「有名税」などと言うこともある。そして、その社会的役割を果たすにおいてはメッセージの提供が必須なのであって、究極的に事実か否かということは問題ではない。「まし」を感じさせればそれで必要な供給は実施されたのである。

 

 

 少年時代からの大相撲ファンである筆者としては、その社会的役割を政治家、芸能人、大相撲以外のスポーツ選手が果たすことについては寛容である。ただそこから目を背けていればいいからである。しかし、相撲取りになるについて人生をすべてなげうっている力士たちには相撲をとること以外の社会的役割を背負わさないでほしい。力士になるについて彼らは多くのものを捨て、過酷な運命を受け入れている。その彼らにさらに過酷な役割を強要するのはあまりにも理不尽だ。自己の卑しい欲望解消のために若者を犠牲にするのは恥ずかしいことだ。

 

 

                        2017年11月12日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第226回です。

 

 

【俳句】

 

 

一票を・投じ天下の・秋を知る (長野市 縣展子)(長谷川櫂選)

 

 

(わからぬでもないが、まだ早い。天下分け目の戦はこれからだ。)

 

 

凩(こがらし)や・原発灯(とも)る・枕元 (豊田市 鈴木吉保) (長谷川櫂選)

 

 

(この立場に立って原発の可否が定められなければならない。)

 

 

稲刈を・終へて教師に・戻りけり (今治市 横田青天子)(大串章選)

 

 

(意識として2つに割らなければならないものだろうか?割らざるを得ない現実があるのであろう。)

 

 

【短歌】

 

 

あちこちが・痛きと老いら・嘆きつつ・ミサイル飛べば・熱く怒れり 

(枚方市 鍵山奈美江)(馬場あき子選)

 

 

(時事を追っかけさせられて喜怒哀楽をコントロールされる人生って何?。)

 

 

 

                               2017年11月6日

 

 

 朝日新聞俳壇、歌壇からの印象句、印象歌の報告、第225回です。

 

 

【俳句】

 

 

幾万の・枯葉流れに・逆らはず

             (オランダ モーレンカンプふゆこ)(金子兜太選)

 

 

(壮観、とも言えるが、警句とも読める。)

 

 

疎ましき・饒舌の世や・秋しぐれ (いわき市 星野みつ子)(金子兜太選)

 

 

(と言ってみて自分の寡黙の中身のなさに気づくこともある。)

 

 

秋ふかし・何しに二階へ・来たのやら (東京都 矢野美与子)(金子兜太選)

 

 

(秋の夜は知らず幽冥界ぎりぎりのところにいたりする。)

 

 

時雨忌や・命の限り・万歩計 (柏市 藤嶋務)(大串章選)

 

 

(長谷川時雨と間違っちゃった。何で万歩計なのかなんて。)

 

 

【短歌】

 

 

書き損じ・修正液で・消してゆく・つもりで美白・クリームを塗る

 (鎌倉市 半場保子)(高野公彦選)

 

 

〈自己満足でも満足できるならいいということ。)

 

 

哲学を・語りし後の・寮生ら・裏の畑の・豆少し盗る 

(仙台市 星川滉一)(馬場あき子選)

 

 

(哲学を道徳と誤認している例。哲学は道徳ではなく、道徳の根拠を問うものだ。)

 

 

通るたび・異臭感じて・ふと見れば・お堂の屋根で・イタチ死におり 

(三原市 岡田独甫)(馬場あき子選)

 

 

(死体になじまぬ社会ではそのぐらいの大きさでもショックがある。総合的に考えればいいことだ。)