㈱辻安全サービスセンター『辻太朗のブログ』

「ご安全に!」㈱辻安全サービスセンター 代表取締役の辻太朗です。

辻太朗を知っていただく為に「日常の生活」の中で感じたことや
フェイスブックやツイッターでは伝えきれない情報を発信していきたいと
思っています。


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平成19年4月29日 朝9時頃
私の義父は家の壁にペンキを塗っている時、脚立から落ちて夜12時頃亡くなりました。




その義父からおそわった大事なこと。




『明日は平等にやってこない』


冷静に考えればあたりまえのことを
思い知らされた。

事故の連絡をもらい病院に行った時には、すでに意識がなく頭の中に溜まった血を手術で抜くことが説明された。

事故は傾斜がある不安定な場所で脚立を使用していた為、バランスをくずし転落。コンクリートに後頭部を強打していた。

手術後、もう処置できることがなく
呼吸はしているが最期を時間の経過と共に待つだけの状態になった。

親族が、かけより話しかけた。



目も開けれず、言葉も返せない状態で義父は泣いていた…

きっと『すまん』と思っていたんだと思う。

そして事故があったその日に
何のお別れの言葉を交わすことなく
あの世に旅立ってしまった。




数年前に、還暦祝いで義母の分と一緒に紅白のヘルメットをプレゼントしていた。


私の前職はヘルメットメーカーだ。
だから断言できる
ヘルメットを被ってくれていれば
絶対助かっていた。


今の私の仕事は安全のコンサルティングだ。

だから思う。

たかだか家の壁にペンキ塗るぐらいでヘルメットなんて被るはずがないと。

しかし死んでしまってからでは
全てが手遅れ。




この事故のあと、義母の事を心配して2年間一緒に暮らした。


私は見ていないが、義母は夜中に仏壇の前で泣いていたらしい。

そして、義母は、ペンキを塗っている時に何故もっときをつけるように注意しなかったのかと自分を責めた。



これを書いていると
安全のコンサルティングという仕事をしている自分が情けなくなる。





『明日は平等にやってこない』


義父が命と引き換えに私に教えてくれた言葉。

だから一日一日を大切に、
明日の朝、目を覚ますことが出来なくても自分が納得できる一日を生きることが大事だと思っている。

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部屋がちらかっている・・・





(子供にむかって)

「パパと一緒に片付けるか!」



片付け始めてすぐに子供が言った。




「ちょっと休憩」




「ん、、」 どこかで聞いたことのあるセリフ。




そう、子供と遊んでいて疲れてきた時に、いつもパパ(私)が言う言葉である。





「ちょっと休憩」





普通の家庭ならパパとママが顔を見合ってこういうだろう。


「こりゃ パパ 一本とられたな!   よく見てるな~    あっはっは~」






実際に我が家も「あっはっは~」状態だった。




だが改めて考えてみると、とても恐ろしいことに気がついた。


「よく見てるな~」 ではなく 「かなり見られている」のである




「片付け」と「子供と遊ぶ」という行為にちがいはあっても「今やってることを中止したい」という


欲求はかわらない。


それをパパのことばで自分の望むようにしたのだ。




ここまでは喋れないが娘はこんな気持ちなんだろうか?





(パパだって疲れたら休憩っていうじゃない! 私だって疲れたんだから

休むわ!    じゃあ ちょっと休憩。)





完敗である。






子育てをするうえで 「こうしてほしい」 と思うことはたくさんあるが


自分はそれが、ちゃんとできているだろうか?





「ごはん中に遊ばない!」と子供に言いながら、食事の時間がずれた時に子供がリビングで


遊んでいるとなりでパパが携帯をさわりながら食べていないか?



(子供にとっては「自分の遊び」も「パパの携帯」も同じである)




今、ご飯の時に左手を茶碗にそえるように教えているが、時々パパが

忘れていて、娘からつっこまれる。


「パパ左手!」




・・・謝るしかない。




「よく見てる」 のではなく 「よく見られている」



子育ては親が背筋をただし、自分の行動を振り返ってみる必要がある。








当社 は安全を中心とした教育を行っていて、


毎年、新入社員教育のお仕事をいただくが


「企業の新入社員教育」に、こんなことを強く思う。





「新入社員教育も大事だが、


もっと大事なのは、社長教育であり、管理職教育であり、今在籍している社員教育の方である。」




鉄は熱いうちに打てというのは、ごもっともだが、せっかく打った鉄も、その会社の悪い雰囲気に


つかれば悪い社員になっていく。


立場が弱い新入社員であれば自分が会社の仲間になる為に会社の雰囲気に染まるのは


すごくあたり前である。


新入社員は自分の立場を守る為に頭をフル回転させて自分の身を守るだろう、


まさしく3歳児と同じである。




「新入社員を迎える側に立つ人達」は、こころしてほしい。




「見ている」  のではなく   「見られている」




ご安全に



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『心からお詫び申し上げます』




オリンパスをはじめ、最近もよく見る記者会見。



この「心から◯◯」という会見を見るたびに違和感を感じる、、


「あなたが心から思っているかどうかは、こちらが判断することで
いくらあなたが心からと思っていても、こちらに思いにが届かなければ
心からにはならない」




なのに自分から言ってしまう




「心からお詫び申し上げます」





まるで自分で「申し訳ない気持ちが足りてない」ということを認識しているから

「心から」と言って気持ちをもりあげようとしているみたい。










メラビアンの法則というものがあるように、言葉は7%しか
相手に伝わらない。 言葉意外の表情や声のトーンなどが
伝える情報のほとんど占めている。






謝るとして、仮にメールだけで伝えるなら言葉ぐらいしか伝達手段がないので
「心から」とつけてもいいかもしれない。(そもそも「心から」と
いうぐらい内容のある事をメールで済まそうとする自体に問題があるが)



それにしたって行間などをあけるなどして気持ちを伝えることはできる。




車の運転中に割り込みなどをした際に感謝の気持ちを込めてハザードをつけることを
するが、あれも私の勝手な想像からするとこんなふうに思う。

・1瞬だけハザードをつける→「ありがとっ!」という軽いお礼
・長く(5秒施し)ハザードをつける→「ありがとうございました」という気持ちのこもったお礼







話をもどして、、、





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山一証券の時の謝罪会見だが、私は、すくなくともはじめに載せた写真の人たちよりも
「申し訳ない」という気持ちがあると感じた。


記憶が確かではないが、この時に「社員は悪くありません、すべて私が悪いのです」とは
言っていたが「心から」という言葉は使われなかった気がする。






この会見で、少なくとも私には「心」が届いた。








私は3つ上の兄がいるが、小さい頃兄弟ケンカをした時に自分がこれ以上やっても
勝てないと感じると「ハイハイ、僕が悪かったんでしょう。 あやまればいいんでしょ、 ごめんごめん」と言っていたのを思い出した。






謝罪ではなく、形をかえた兄への攻撃。






企業の心のない会見をみると、上記兄弟ケンカのような攻撃までとはいかないが「「社会的に一応謝っておきますよ。 早く写真撮ってね、あ~早く謝罪会見終わってくれないかな~」というような残念な気持ちになる。





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昨日、3歳になったばかりの娘をつれて実家に1泊してきました。



実家に集まったメンバー

私の両親、私の姉と、その子供(10歳の女子と3歳の男子)
そして、私と私の嫁、私達の子供(3歳の女子と6ヶ月の男子)



★今回の宿泊で気づき・考えた事

姉の子供の3歳男子が私の娘に
積極的に交流をしようと接してくるのだが
私の娘は「完全拒否!」


ああ 男とは 年齢に関係なく

女子と交流しようと努力し、玉砕される悲しいDNAをもっているんだな~と
感じた。




それとは別に


我が娘が遊んでいる積み木を、姉の息子がとろうとしたので

(姉の息子に) 「貸して」と聞いてからじゃなきゃだめだよ。 と言うと


姉の息子は


(私の娘に) 「貸して」と言った。



私の娘の答えは

「イヤ!」




上記のような状況の時、多く見るケースとして

「◯◯ちゃん、そんなこと言わないで◯◯ちゃんに貸してあげなさい」と

いう親から子供への説得がある。



「なかよくする」「みんなで楽しい時間をつくる」という

目的の為には、私の娘のとった行動は、あまりよろしくないかもしれないが


「イヤ!」 と自己主張を、しっかりする娘をみた時に



「これも大事だな」と感じた。



イヤなもんはイヤ


大人でも当然ある




大事なことは
自己主張する事と、それによって
得るもの、失うものを自分が理解して、納得して
自己主張できるかどうかだと思う。



・親に対しての自己主張

・年上の人に対しての自己主張

・同い年ぐらいの人に対しての自己主張

・男女別に対しての自己主張



いろいろある



私としては
かわいくてたまらない我が娘が
今後成長していくなかで



自己主張をすると

「こういうプラスがあるよ」

「こういうマイナスがあるよ」



トータルで考えて
さあ どっちを選ぶ?




ということを体験させて


自分で考えて
自分で選択して
自分で行動していく力

を教えてあげたい。



自分の決めた事には自分が責任をとる


どの選択が良かったなど答えはない

本当の答えは自分が持っている


自分の決めた事に
逃げ道はない。




人のせいにした時には
「自分が虚しくなり」
「まわりの人が自分から去っていく」


我が娘には
まわりのたくさんの人を笑顔にし、
幸せをあたえる人になってほしいと願っている。




そんな子供達を見守る為にも


親が自分から逃げない。
全力で生きる。
全力で、子供達を愛してあげる



やっぱりこれが大事かなと思う。



そんなことを考えた実家一泊二日の
お泊り会でした。




最後に・・・

全力で求愛し、からんでいこうと行動しつづけた
姉の息子よ

心折れるなかれ
男とはそういう生き物だ

いつか大きくなったら
おじさんと酒を飲んで今回のことを語り合おう!


愛?(興味?)を
おくりつづけてくれた姉の息子(3歳)に感謝!









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数人のブログを読んでいるが
最近は電車移動時に、まとめて読むことが多い。


その方が、電車に乗っている時間も無駄にできずに
効率が良いと思っているからだ。


ところが、ある時

ふと車内を見渡してみると




「みんな携帯やスマホ」に集中している




その時に、こんなことを思った。


「電車の中では、電車の中でしか見れないことを見ておかなくては
いけないんだろうか?」

・携帯やスマホに集中している人の表情
・中刷り広告
・電車からの風景
などなど・・・・


情報を貯めて、効率化の為に
車内で、ブログを読む事は無駄な時間を省く為に
良い事だと思う。


ただブログを読むことの目的を
「幸せな人生」という、ちょっと大きすぎる目的とするなら
電車内では「車内観察」の方が重要なんじゃないだろうか?



ブログは、いつでも読めるし・・・




車内で携帯やスマホに集中している人達を
観察しているところから「ひらめき」や「アイデア」が
出てくるような気がする。


みんなが思いついたらアイデアにならないから
みんなと同じように、携帯やスマホに集中していたら
同じような角度のアイデアしか生まれない気がする。



いろんな物の見方や考えたとして・・・


少し前に「思考の整理学」という本を読んだのだが
「ひらめき」や「アイデア」は、
頭の中で、時間をかけて熟成させた方がいいと書いてあった。


また、秋元康さんがTwitterの中で
「アイデアはメモをとるな、忘れるというフィルターを
通り抜けても覚えている事は、本物のアイデアだ」と言っている。


面白い見方や考え方をする人達がいるなと思う。


・「アイデア」や「ひらめき」がでる方程式はない。
・時間は平等


方程式がある効率化も大事だが、方程式の無い「ひらめき」も大事。

そんな事を電車内で思った。

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